月日 天候 あぜ道からひとり言 写真もあるよ
2008年
2008年(平成20年)1月1日から始まる百姓の毎日をお届けします。
おコメの出来るまでを毎日・・・?現場の声を・・・?
何となく感じたことや百姓に関係ないことまで簡単明瞭にお届けしたい!
百姓のブログだと、思っております。
このサイトは、一般消費者の皆さんに「コメつくり」理解していただくためのページです。
インターネットを通じて、「あなたもコメつくりに挑戦!」して下さいね!
春から夏、そして秋まで季節の変わり目を一緒に楽しみましょう・・・。
ご意見・ご感想・ご不明な点等、何でもお寄せ下さいね。 aoki@sun-net.jp   
12月31日 大晦日の朝はうっすらと雪化粧です。
年越しのお蕎麦を神前にお供えし、今年の家内安全、五穀豊穣、身体健康、交通安全等感謝します。
朝早くから母親が蕎麦を打っています。
出来上がったら蕎麦を茹でて神前にお供えします。(写真右)
年越しですから大晦日の夜食べるのが普通でしょうが、我が家は朝です。
蕎麦は炒り子出汁で、具は蒲鉾・竹輪・長天・春菊かネギを好みでいただきます。
孫も起きてきて「美味しいね、お蕎麦大好き!」(写真下4枚)
12月30日 新年を迎えるにあたり、飾り付けを行いました。(写真右)

小雨交じりの寒い中、孫は元気に外で遊んでいます。
バトミントンに興じ、羽根を突いていますが上手なモンです。(写真下)
カルタ取りもしますが相手をするのは大変です。
家に入ると、トランプのババ抜きと七並べに夢中です。
「ね〜、もう一回やろうよ・・・・」この台詞が延々と続きます。
孫の相手で年の瀬が超えようとしています。
12月28日 正月の餅をつきました。
神様にお供えするお飾りや雑煮でいただく小モチを作りました。
孫も手伝いに来て賑やかな餅つきです。
「あんころ餅・・・・、あんころ餅・・・」早速頬張っていました。
「お正月にはお雑煮を食べるんよ・・・・」
「お餅をいっぱい食べて大きゅうなるんよ・・・・」
餅つきにはいろいろな想いが入っているんですね・・・・・。
夕方には長女夫婦も駆けつけて、ジジの快気祝いを兼ねて忘年会?です。

こんなに元気に
なりました。
12月27日 海外勤務を終えて次男家族が帰国しました。
福岡空港まで次男の車を持って出迎えに行きました。
メルボルンから香港を経由して二男夫婦と孫二人元気に到着ゲートに現れました。
11月以来ですから、2ヶ月ぶりのご対面です。
大きな荷物と一緒に出てきて「お疲れさん!」「元気で何より!」
挨拶もそこそこに駐車場に行き車を渡して、「気をつけて帰るんよ・・・・」
博多の駅から新幹線に乗って、「どっちが早うにつくろ〜か・・・・」
「すき焼きでもして労うてやるいや・・・・」
ほぼ同じ時間に新山口に着きました。
新幹線口の駐車場からは我が家の自動車で帰りましたが、「国内じゃけ〜安心!安心!」
家に帰ってから「よう帰った、よう帰った・・・・・」出迎えたジジババとご対面です。
一杯飲みながら話は尽きません。
12月18日 11月23日体調不良で入院した父が退院しました。
心臓が弱っており、ペースメーカーを埋める手術をしました。
それに伴い?腎機能が低下したため緊急の人工透析をして急性腎不全を克服しました。
急性心不全と急性腎不全を併発したようなことで春以来の入院です。
おかげでペースメーカーにより体調も回復し、家においての養生です。
寒くなりますから、風邪を引いて肺炎を起こされたら命に関わりますから・・・・・。
12月12日
(新聞記事は2008.12.12の山陰中央新報)
12月7日 先般刈り取った蕎麦の収穫祭が上千原自治会でありました。
蕎麦を捏ねるのは男性が担当し、切って湯がくのは女性が担当します。(写真)
今年も地区内の転作田に播種し栽培して収穫まで集落の皆んなが出てしました。
今年はそば粉にして65kg出来ました。
今日蕎麦にして食べた以外はみんなに配分されました。
「おいしいね〜・・・・、肉そばにしたんじゃね〜」
「割御そばにして食べてみたいね〜・・・・」
「蕎麦はやっぱり濃いめの出汁が合うね〜・・・・・」
「来年はどこの田んぼに蒔くか〜・・・・・」
「これだけそば粉が貰えりゃ〜年越し蕎麦は自分の家で打たにゃ〜・・・・」
蕎麦も美味しいですが、そば湯も美味かったですよ。
12月6日 二日酔い気味?の寝ぼけ眼で起きると、外はうっすらと雪が積もっておりました。
まだ酔っているかな?・・・・・・・。
まだ明け切らない中、デジカメを持って雪を写しました・(写真右)
手前の黒いところは舗装ですが、ここが白くなる予感?雪が降ってきました。
「まだスタッドレスに変えんの?・・・・・」
「そろそろ変える頃かの〜・・・・・」(内心はさぶいの〜)
そうはいっても用心に越したことはないので、ジャッキアップして交換しました。
交換し終わった頃には数センチの積雪になっていました。


12月5日 益田農林高校農業科卒が4人集まり、忘年会をしました。
このメンバーで年数回集まって飲み、食い、喋りまくります。
みんな農家の出身ですから、話題は稲作りから草刈り等いろいろ活性化について話します。
「おい、お前の〜・・・」
「こり〜、ワシの話も聞けや・・・・」
選挙を勝ち上がってきた強者もおり、行政の中枢で頭を悩ます者もおり簡単には持論を引っ込めませんよ。
来年は58歳になり、そろそろ次のこと(還暦)に話題が集まります。
「わしら〜の時に一踏ん張りせにゃ〜の、集落はわしら〜が守らにゃ〜の・・・・・」
楽しい酒が何時までも続きます。(他の3人は日本酒で、小生はビール)
そのうち、会話が続くと差しつ差されつの徳利を傾けるのでないと調子が出ません。
「ワシも酒を飲むか〜、注いでくれ〜・・・・」
4人が徳利を傾けるのですから、あっという間になくなります。
「お〜い、お代わり・・・・」一人平均一升近くは飲んだですね〜。
このメンバーは強いですよ!
降っている雨が雪に変わりそうな気配もなんのその、話は延々と続くのでした・・・・・。
12月4日 小さな歓声が上がる中、振り下ろす杵に力が入ります。
孫の通う乳児園で恒例の餅つき会があり、爺ちゃん婆ちゃんたちの出番です。(写真右)
「わ〜い!お餅つき、ぺったん、ぺったん」周りで走り回っています。
「つき上がったよ、みんなでお餅を作りましょう〜」先生と婆ちゃんの出番です。
みんな上手にお餅を丸めます。
出来上がったお餅はお雑煮にして、「いただきま〜す」
12月3日 (写真は田中会長の挨拶)
津和野町農政会議と津和野町議会との懇談会がありました。
JA西いわみから津和野町内の実績報告がありました。
各生産部会の代表者から行政に対して要望を行いました。
意見交換会でいろいろな諸課題を話し合いましたが、「貸し渋りはないか・・・・」等の質問も出ました。
最後に、田中会長が「津和野町食と農の町民条例の制定」等要請書を後山議長に提出しました。(写真右)
仕上げは恒例の懇親会で一杯やりながら、のどを潤し舌の滑りも絶好調で農業の活性化を話し合いました。

要請書を
読み上げる
田中会長
12月2日 来年度の育苗用床土グリーンソイル250袋がやってきました。
早期予約割引適用資材ですから引き渡しが早いのです。(写真)
予約後請負耕作田が増えたためさらに追加50袋を急いで追加注文です。
予定では1500箱の育苗になります。
倉庫には全部はいりませんから、軒下にブルーシートをかけて雨対策です。
この前稲刈りが終わったと思ったら早くも育苗の準備?プレッシャーですね・・・・・。
12月1日 早いものですね、もう師走に入りました。
このまま何事もなく、正月を迎えなければなりませんが・・・・・。
とりあえず大雪が降らないことを祈るだけです。

年末にはオーストラリアに赴任中の二男夫婦が孫を連れて福岡空港に帰ってきます。
帰ってきたら一緒に餅つきです。

早朝、辞令交付を行い午後会議に出席しました。

菜の花も順調に生育しています。(写真右2枚)
写真でも分かるように小さな丸い葉であった一枚一枚の葉っぱが姿を出してきました。

夕方西の空の月の下に光輝いている星が二つ、星座は知りませんがきれいな星です。
そんな星を眺めながら、待ち合わせている居酒屋に向かって歩いて一杯です。


11月30日 益田日赤病院の8F大ホールに於いて「益田市民公開講座・救急医療について」が開講されました。
会場いっぱいに入った市民や関係機関の方々が熱心に聴講されていました。(写真右)
最初に福原市長が基調講演を行い、意見交換会になりました。
里帰り出産の中止や医師確保、電話による医療をはじめとする健康相談、潜在資格者の掘り起こし等々・・・・・。
地域に於いて赴任される医師を受け入れるという姿勢が大切である。
益田保健所の中川所長、益田市保健センター長、益田広域消防署、医師会病院のドクターから発表がありました。
コンビニ受診、救急搬送、分娩や透析対応、勤務医の過酷な勤務実態、地域完結型医療等々・・・・。
医療崩壊から医療破壊の現実、医療従事者へのクレーム対応は地域で吸収、患者と医療機関の相互信頼。
たくさんの意見が出ましたが、「病院は地域の財産である」という共通認識の元、
「医療に投資したら、あとで何倍もの価値を生み出す」というお話に納得した次第です。
やはり臨床研修医制度の廃止か見直しを早急に行い、長期的展望でなく即効性のある医師の適正配置が急がれます。
過酷な勤務医の実態から過労死、現場退去(開業)の実情から、医師を育てるという地元の気持ちが重要です。
11月29日 高津川森林組合の理事会があり出席しました。
理事会の3連ちゃんです。
森林を取り巻く情勢は大変厳しい物がありますが、国土保全のため、水資源のため山林の活用は重要です。
小泉内閣以来田舎が切り捨てられ、都会が勝ち組田舎が負け組という格差社会が構築されました。
人口が少ないから切り捨てられ、生産効率が悪いと行って切り捨てられ、田舎モンは日本国のゴミか!
国の活性化は中山間地域が元気であったこそ、自然環境が豊かな国土保全につながっているんですよ!
都会の者は水代を払え!その水代(交付金)が道路を造り医療を守るんじゃ!文句あっか!
地産地消といいながら、地元の材木で建てた家なんか見る影もない・・・・・。
ヨーロッパ風の○○ハウスの家ばっか、入母屋造りの和風の家なんか建ちゃあせん・・・・。
地元の材木で造った家が一番長持ちするんじゃがの〜・・・・・。
「家は一世代、30年持ちゃあええけ〜・・・・」と言う感性、格差社会に各世帯・・・・・。
20年経ったら空き家ばっかりの限界集落が空き家集落になるんでしょうね・・・・・。
11月28日 雷雨 雷様に起こされ、目が覚めて一日が始まりました。
一日中激しい雨が降り、山間部は時雨れる?雪?霙?・・・・・。
JA西いわみの理事会があり出席しました。
協議の最中も激しい雨が降り続いていました。
とうとう丸一日雨で、今年は大雪の予感?・・・・・・・・。
11月27日 晴曇 石西厚生連の理事会が開かれました。
10月5日付で提出した辞任願いが受理されませんでした。
任期まで粛々と責務を遂行することにし、辞任願いを撤回しました。
厳しい中での運営ですが、スタート時に於いて予期せぬ赤字を生み苦難のスタートでしたが、
その後の全職員あげての努力の結果、上期に於いて黒字を計上することが出来ました。
しかしながら、看護師不足は深刻で病棟閉鎖寸前等課題は山積しています。
90年の歴史を誇る農村医療発生の地での悲痛の叫びが・・・・・・。
「もう数年、国の取り組みが早かったら・・・・・」数年後、多分こんな会話がなされることでしょうが・・・・・。
こんな会話が起きることのないよう、今行政が立ち上がって病院の存続に真っ正面から取り組むべきです。
65歳以上の高齢者が人口の半分を超える限界集落が多いところから病院が消えていきます。
すでに旧日原町では病院がなくなり、診療所になっています。
消滅する病院はとりわけ小規模病院であり、厚労省の思惑、ねらい通りとなっています。
後期高齢者の医療制度は金勘定だけで導入した浅はかな制度で、命の格差を生み出しただけです。
天下の悪法、臨床研修医制度が地域医療を潰した!
父隆稲の手術が行われペースメーカーの埋め込みを行いました。
11月26日 我が家も私的に忙しい家です。
朝から出かけて帰宅したのが夜9時です。
帰って早速メールを開けてみましたら、奴道中の時の観光客の○○さんからお礼が届いておりました。
11月23日のブログにある方で、10数年ぶりにお会いできて旧交を温められたそうです。
「よかった、よかった」です。と、同時に電話がかかりそのときのお話を聞かせていただきました。
いつかの再会を約束して・・・・・・。
奴道中もまだまだ続けてやらにゃ〜いけん、役に立つこともある?
「宅配が来とるで・・・・」
「あ〜、三重の大会で会った福島県の○○さんからじゃ〜」(写真右)
津和野らあめんを送ったお礼にと丁重なる礼状とともに地元のお菓子と絵はがきが同封されておりました。
あちらは野口英世博士、こちらは森鴎外先生紙幣になっていないのは・・・・・・。残念!
一期一会、出会いを大切にすることが人生の幅を大きく広げて行くことになります。
これからも出会いを大切にし、袖触れ合っただけで縁を感じる出会いを大切にしたいものです。
11月25日 曇晴 地元農産物高付加価値化試食求表会がありました。(写真)
益田市の市民学習センターに12の出品グループが様々なジャンルの商品を出店しました。
私は新しく商品化する「津和野うどん」を出品し、試食していただきました。
主催は石西地域農林振興協議会で、地元の販売業者、消費者代表、加工組織、関係機関90名が参加しました。
寸胴に湯を沸かし、90名分の試食を作るのは大変でしたが皆さん喜んで試食してくださいました。
「今話題の米粉麺のうどんじゃけ〜・・・・・」
「平べったい麺じゃが、きしめんみたいじゃね〜・・・・・」
「平たい方が茹でる時間が短か〜け〜、省エネになるけ〜・・・・」
「おいしいよ!誰が作っとるんかね?・・・・・」
「津和野町B級グルメ研究会代表のこの私、パッケージの写真のええ男いね」
「年で米粉を使こうてらあめんを作る気になったんかね・・・・・」
「米の消費拡大、観光と農業の結びつき、中山間地農業の活性化が開発の基本コンセプトじゃけ〜」
意見交換し助言をいただき無事終わりました。
今回の試食会に多大なる尽力を賜りました津和野町農林課の藤本氏にお礼を申し上げる次第です。
11月23日 数日前の寒さがウソのような暖かい奴日和になりました。
沿道には鹿足郡駅伝の選手が試走しています。
SL列車から降りた観光客の声援を受けて、小川奴行列は「ささよ〜し」のかけ声も勇ましく槍を振るのでした。
公演が終わると拍手喝采の中移動していきます。
移動していると、「この町に以前職場が一緒であった、何番家老職の末裔がいるんですが・・・・」観光客の方です。
「あ〜でもない、こ〜でもない・・・・・・」??????
「そりゃ〜○○さんじゃ、昔の大きな家を改築して、奥さんのと二人で住んで、よう知っとるよ」
「電話帳で調べたらすぐ分かるよ、携帯があったら連絡してあげられるが、奴の最中じゃけ〜・・・」
奴を抜け出してお店で電話をかり「○○さんが来ておられるよ・・・・」
「今電話があった、会いに行くわ・・・・」とのことでした。
ここにも素晴らしい再会があったことでしょう。
町民の皆さんからお花やお酒をいただき、槍を振るのも一段と熱が入ります。
町内十数カ所での公演も終わり、直会で一杯です。
高齢化にめげず、来年も出演することを誓いながら杯を空けていくのでした。
今年も奴道中を応援賜り厚くお礼申し上げます。
奴道中が終わると、父隆稲が緊急入院したとの一報が入りました。
その足で益田日赤に駆けつけました。
11月22日 朝から東の空が澄み切って今日一日快晴の予感。
それではと、トラクターを駆使してわらの鋤き込み(荒越し)に出発進行!(写真右)
さすがに水の溜まっているところもありますが、そんなことは関係ね〜!(ちょっと古いギャグでした)
丸一日かけて1.5ha完了です。
今日は語呂合わせで「いい夫婦の日」だそうです。
自動車の希望ナンバーの第1位が「・・・1」その次に多いのが「1122」だそうです。
町内でも見受けられますが、やはり誕生日が多いですね・・・・・。
明日は小川奴行列です。
今日みたいに暖かい奴日和になりますように!
11月21日 雨曇 雪起こしでしょうか、大変な雷がとどろきました。
大粒の雨とともに雷雨です。
夜、JA西いわみ津和野支所管内の新総代さんい集まっていただきました。
総代さんの中から実行組合長さんを選出して、代表さんと副代表さんも決まりました。
新総代さんは次期津和野地区推薦の2名の地区役員(理事)を選出する役目があります。
年が明けるとその選出作業に入ることになります。
協議事項の後は、津和野支所の上期の実績等を報告し懇親会になりました。
以前はほとんどの人が残って一杯やりましたが、今ではほとんどの方がお帰りになります。
気心しれたメンバーで津和野町の農政を語ります。
11月20日 昨夜も雪が降ったんですね〜・・・・・。
屋根が白くなって、田んぼのあちこちが白くなっています。
「わらの鋤き込みが終わってないのはお前方だけで〜・・・・・」
「野暮用が多いけ〜、今日から再開するけ〜・・・・」
「雪が降ってじるいで〜・・・・」
「そね〜なことを言うとられんけ〜、今日みたいに寒いときにしたら蛆が死んでちょうどええけ〜・・・・・」
「屁理屈はええけ〜、ちいとづつでもええけ〜、片付けんさい・・・・・」
そんな会話があった昼前からトラクターが出動です。
田んぼは少し軟弱ですが、じる過ぎてどうこうはありません。
田んぼから上がったら数十メートルにわたって道路に泥が落ちます。
ホウキでその泥を掃いていきますが、水分が多く簡単に除去できません。
自動車は通るし、踏んづけていくし大変ですが道路に泥をまき散らしておくことは出来ません。
「終わったけ一杯やろうや〜・・・・」トラクターを置かしてもらって、いざ出陣!
「カメリアに行って焼き肉もええで・・・・」
寒いときの熱燗はうまいですね!
「久しぶりじゃの〜、日本酒を飲むな〜、焼酎のお湯割りばっかじゃけ・・・・・」
米を作っとるんじゃけ、酒も飲まにゃの〜・・・・。
「焼き肉は飽きたけ、、蔵に行こうや」てなことで二次会に出発。
「ええね〜、毎晩毎晩・・・・・・」最後はこの言葉が待っております。
11月19日 曇雪 驚いたですね〜!
屋根に雪が積もっています。
遠くの山は真っ白です。(写真右)
11月に積雪があるのは久しぶりですね・・・・・・。
「沼原は10cmくらい積もったといや・・・・」
「徳佐もそのくらい積もったらしいで〜・・・・・」
「そろそろスタッドレスを履かにゃ〜やれんの〜・・・・・」
「瀬戸内は冬ちゅうてもスノータイヤがいらんけ〜、タイヤ代だけでも浮くけ〜の・・・・・」
やっとこさ出たストーブを囲んで朝の会話でした。
11月18日 曇雪 風花が舞う寒い一日です。
津和野に嫁いでこられてから30数年間小川公民館に勤務された方が亡くなられました。
昨晩の通夜に続き、個人にお別れをする方の列が途絶えません。
3人の子供をを育て、一人は甲子園児として二人三脚の大活躍された姿が思い起こされます。
特に、公民館に於いては地域の文化活動の活性化に力を注がれていました。
町民運動会に仮装行列を取り入れ、昼食時のアトラクションを考えたのも彼女です。
以来、町民は「小川の仮装行列を見に運動会に行く」という現象が起きました。
常に斬新なテーマを考え、その規模はスケールが大きく「小川地区民はすごい!」と言わしめました。
月面着陸があった年はそれがテーマになり、NHKの大型時代劇もテーマに再々なりました。
彼女の持って生まれた特でしょうか、多くの地区民が「○○ちゃん」と言って協力を惜しみませんでした。
長年の友人による別れの言葉は参列者の涙を誘い、別れを惜しみました。
「気丈な母でしたが・・・・・・」喪主の挨拶にも、もっともっと長生きをして欲しかったとの想いが・・・・・・。
我が家にも秋祭りに来ていただいておりましたが・・・・・・。
天国から小川公民館の奴行列や運動会、作品展など活動を見守ってください!合掌!
11月17日 曇雨 我が家にも高齢化?の波が押し寄せてきました。
歩ける範囲内に手すりを設置することになりました。
業者さんが来て、高さ80cmの所に取り付けていきます。(写真右)
問題はサッシ戸の所ですが、縦の補強を入れなければなりません。
「この縁側の無節の赤松板は釘穴が・・・・」
そういうことを言っている段階ではないのですが・・・・・。
「外から見て不細工にならないように配慮して設置しますから・・・・」
そういう会話をする年齢になりました。

訃報です!
小川公民館に長い間勤務された○○さんが亡くなられました、62歳です。
通夜に出かけましたが、遺族の無念さが伝わってきます。
個人の人柄を示すように斎場はロビーまでいっぱいの弔問客でした。
11月15日 晴雨 太皷谷稲成神社秋の大祭です。

大先輩の青木茂(元町議会副議長)さんの米寿の祝いがありました。
人生の大先輩であり、議会在籍中ノウハウを教わりました。
そんな人柄により、中島町長さんはじめ22名の旧知の方々が集まってお祝いしました。(写真右)
皆さんそれなりに年をめさられた方ばかりの中、若者?ですが呼ばれました。
ますますお元気で過ごされますよう!

酔っぱらって帰ると孫が泊まりに来て寝ていました。
そばに小さくなって寝ましたが、「じいちゃんのイビキうるさい!・・・・」
11月13日〜
14日
第11回「全国農業担い手サミットinみえ」が伊勢市の三重県営サンアリーナで開かれました。
テーマは「語り合おう未来と夢!担い手が築く元気な農業、豊かな地域」です。
開会式と表彰式、事例発表は皇太子殿下のご臨席を賜る中で行われました。
開会式では皇太子殿下よりお言葉があり、感激しました。
事例発表は、静岡県の汲ネかじま農園、滋賀県の泣jューファームSAYURI、三重県の伊勢農協バラ部会よりありました。
夜は県内各地に移動し、地域交流会が盛大に行われました。
大会には全国から2100人が集まり、各地の担い手を自負するメンバーの集まりです。
カメラの持ち込みが禁止されており、写真はありません。(写真は入り口で写したものです)
町内からは京村牧場さんが参加されました。
益田市からはバス1台貸し切っての参加で、吉賀町からも2名の参加でした。
来年は埼玉県で、再来年は島根県での開催です。


11月11日〜
12日
石見空港から羽田に行き、JR山手線でつくばライナーに乗るために北千住まで行きました。
実際は秋葉原から乗るのですが、時間に余裕があったので・・・・・。
先日麻生総理が「こちら亀有公園前派出所」の漫画の両さんの除幕式に出席した記事が出ていました。
フーテンの寅さんの金町(柴又)も近くで、下町情緒ある所です。
さて、目的ですが足立都税事務所の一角に下記の写真の石碑が建立されています。
津和野町が新しく起ち上げた医療法人「橘井堂」の名前の由来の地を訪ねることです。
森鴎外の父、静男は元津和野藩主亀井家の典医であったが明治維新後上京し、
明治11年南足立郡設置とともに東京府から軍医を委嘱されて千住に住んだ。
同14年軍医を辞し、橘井堂森医院をこの地に開業した。
鴎外は19歳で東京大学医学部を卒業後、陸軍軍医副に任官し、千住の家から人力車で陸軍病院に通った。
こうして明治17年ドイツ留学までの4年間を千住で過ごした。
その後静男は、明治25年、本郷団子坂に居を移した。以下省略。

つくば学園都市に於いて会議がありました。
おりしも天皇陛下が来られており、厳重な警備でした。
明日は伊勢で全国大会ですから、名古屋市まで移動です。
11月10日 公用で松江に出かけました。
夜遅くに帰ってきましたが、明日から5日間の出張です。
11月9日 親戚のおじいさん(97歳)が亡くなったとの連絡が昨日ありました。
若いときから大工仕事に専念され、多くの弟子を育て上げた方です。
日原診療所の玄関に水車小屋(写真下左)が飾ってあります。
同じく玄関のロビーには多宝塔(写真下右)も飾って、診療に訪れた方々を和ませています。
隠居してから、このような作品を数多く創作され、多くの公的施設に寄贈されたおられます。
我が家を始め親戚にもいただいておりますよ。(写真右は我が家の床の間のものです)
津和野共存病院に入院されておりましたが、大往生です。
昔気質の頑固じいさんが、また一人日本から消えていきました。
ご冥福をお祈りします。合掌!
「小川地区作品展」が開催され、多くの作品が展示されています。
農産物コーナーでは丹精込めた育て上げられた里芋やにんじん、白菜、大根など展示即売されました。
11月8日 曇雨
明日の「小川地区作品展」で行う紅白のモチ作りが上千原集会所で始まっています。
朝早くから婦人が集まり、丸一日かけて数千個のモチを作ります。
こうして集まる機会が高齢化になると必要ですから、イベントもやらなくっちゃ!
明日はモチを拾いに来てくれんさい!
曇り空の中、津和野温泉なごみの里で収穫祭が開かれました。(写真右)
メインはやはり新蕎麦ですね。
昼ご飯代わりに新蕎麦をいただきました。

雨が降り出した午後、トラクターで荒越しをしているとき「稲刈りの反省会をしよう・・・・」友達から電話です。
「雨が降ったきたし、おでんを炊くけ〜ビールを買ってこいや〜・・・」
「オーストラリアのワインがあるけ〜・・・・・・・」
一杯やりながら話は弾みます。
「わしも7年前にシドニーとブリスベンに行って、オペラハウスの前に行っての・・・・・」
そんな会話や来年の田植えの話は夜半まで続き、お開きです。
「来年もええ稲を作ろうでや!」



菜種も大きくなって
きました。(写真)
11月7日 曇雨 曇り空の中、町内の農家が集まり新型田植機等の展示試乗会がありました。(写真右)
樺キ嶺農機さん主催で、町内高田地区の水田に於いてトラクターの試乗を行いました。
また畦畔では法面刈りの草刈り機の実演も行われ、早速注文が入っていました。
田植機は来年度の新型機が登場し、苗載板の改良の説明にメーカーさんも必死です。

試乗会が終わると周辺の荒越しに入りました。
高田地区ではすでに荒越しが終わっており、残っているのは数件の田んぼのみですから雨が降っても・・・・・・・。
10月31日〜11月6日 金〜木 朝早く福岡空港の出国カウンターに行き、チェックインして、いよいよ珍道中の始まり始まりです!
子供に案内してもらったときはイングリッシュが出来なくても良かったんですが・・・・・・。
二人でシドニーに行った2日間はジャパニッシュを駆使して・・・・・、年取ってからはツアーにしんさい。
最後の日は正月の再会を楽しみにして、はいポーズ!
免税店で最後の土産を買いあさり、我が家にはブーメランと現地の人が吹く笛の置物です。
珍道中の雑感は後日、時間があれば・・・・・・。なさそう・・・・・。

メルボルン市内


農村地帯
黒く見えるのは
和牛です
10月30日 津和野うどん 発売間近!
「つわの冷麺」「津和野らあめん」の姉妹品「津和野うどん」12月下旬発売予定!
米粉を使った米麺の「津和野らあめん」と「つわの冷麺」が発売以来好評のうちに3年になります。
この度、米麺の第3弾として姉妹品
「津和野うどん」を新発売いたします。
従来品同様ご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
なお、発売日が決定次第この欄にてお知らせいたします。

JA西いわみの理事会に出席し、上期の決算等承認しました。

お詫び!明日から1週間ばかりお休みします。ごめんなさい!
10月29日 曇晴 時々太陽が顔を出す天気です。
トラクターの中はエアコンが効いて快適です。
田んぼの周辺の草刈りが終わったところから荒越しです。
カラオケを聴き歌いながらの作業ですが、見ている人は口をパクパク開けて滑稽に見えるでしょう。
そんなことはお構いなく、1ha完了です。
家の前であってもイノシシがミミズを掘りに出没して、稲わらがかき混ぜられています。
今は我が物顔で出ていますが、猟期が近づくと不思議と山深く引き籠もって?しまいます。
商人集落の田んぼでは、小さなうり坊よりは大きいイノシシが田んぼの中でかけっこをしています。
まだ怖さを知らないため、逃げません。
これが大きくなると、あっという間に田んぼの稲を食い散らかすのです。
イノシシ対策を想いながら、荒越しは順調に進みます。
10月28日
新しい医療法人橘井堂が開業することになったとの記事が出ていました。(写真の記事は山陰中央新報本日付)
JA西いわみの委員会に出席し、上期の決算を承認しました。
10月27日 田んぼの周辺の草刈りがなかなか捗りません。
それでも6ha分については終わりました。
残り2.5haですが、これが堤防があったりしてまだ数日かかりそうです。
「田んぼの荒が起きとらんのは、お前の田んぼだけで〜」ご指摘です。
「年末までにはするいね・・・・」
来年度は70〜100aの耕作地が増えることになりました。
高齢化して小作地が増えますが、要因は農機具に高額のお金を使いたくない勤めている子供たちの事情があります。
学費がいる、新車が欲しい、百姓がしたくない!等々、家庭内における不採算部門が百姓ですから・・・・・。
年を取って足腰が痛い、機械に乗れない、発言権が弱り、「財産の管理じゃけ〜!」通りませんから。
「どね〜じゃろ〜、あんたも忙しゅうてやれんた〜想うが、田をを作ってくれんろうか〜・・・・・?」
「家庭内の協議をして、決定したら農業委員会に行って相談して、そいから来んさいや」
「頼むけ〜ね!・・・・・」拝まれます。
当初の計画の10haまでもう少しで到達です。
が、転作が付いてきますから・・・・・・。
作付面積10haまで数年です。下手な農業法人より大きな個人の経営がスタートします。

このブログを書いておりましたら、電話が鳴りました。
「議会が出資金を承認したので、町が新しい医療法人を立ちあげたよ・・・・」
「今日補正があるちゅうて聞いとったけ〜ね」
「早速法人の設立総会が開かれたよ、明日の新聞には出るよ」
「準備万端じゃね〜・・・・・」
「医療法人の名前はきっせいどう言うて、橘井堂言う漢字じゃけ」
「そりゃ〜、鴎外先生の父親が開いた病院からとったんじゃろ」
「よう知っとるね〜・・・・」
「昔、鴎外記念館存続で東京に行ったとき、たまたまこの字をきついど〜と読んでの〜・・・・」
「津和野の人は正確に読んでくださいちゅうて、怒られて?しまった・・・・」
「組織の存続に向けて頑張ったことは認めるが、流れには逆らうなよ・・・・・」
「そうか〜、津和野の医療法人がスタートしたかね・・・・、町がバックなら厚生連より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「おいおい、日原診療所の話じゃけ〜の・・・・病院の話じゃないよ・・・・」
「首を洗〜てまっとるんじゃが、なかなか承認が出んけ〜・・・・・・・」
そんな会話が続き、叱咤激励?で「近いうちに一杯やろ!」
10月26日 露に濡れた道草を踏み、ズボンはビッシャになりながら進んでいきます。
目指すは秋の味覚の王者マツタケです。
一息呼吸を整え、マツタケ山には入ります。
「ないの〜・・・・・・・」
「あった!」(写真右上)
写真は全収穫量です。(写真右下)
皆さんにお分けするほどありません。ごめんなさい!ペコペコ。
マツタケ山から帰ったら、興源寺の供養に出かけました。(写真下左)
 
供養で焼香を行い、吉田村の卵かけサミットに出発です。
途中、益田市横田の県立益田養護学校での福祉祭に寄り苗物やパンを購入しました。(写真上右)
忙しい日曜日でしたが、楽しい時間が過ぎていきました。帰ったのは23時です。


10月25日 「外へ出るとやはり寒いの〜!」
「数日前までは温いの〜!言うとったんが年のせいかの〜・・・・・」
「ストーブを出したか?・・・・・」
「まだまだ出しとらんけ〜・・・・・」
そんな寒さを感じている年寄り予備軍?が数人寄り添って話し込んでおりました。
若かりし頃、女房をもらうためにお願いした方の(親代わり)法事に出かけました。(写真)
読経後の法蔵寺の岡田住職様の法話は素晴らしいものがありました。
集まった方々へ、生きることの素晴らしさや生きていくことの大切さを説いておりました。
「投げ出さない!」、人生をこんこんと語りかけておられました。
後は納骨を行い、会場を移して故人を偲んで歓談です。合掌!
の後は、急いで千原天満宮の大祭の直会に出席です。
本殿の屋根の葺き替えや御輿倉の改修、本殿に向けて自動車道の開設、周辺の流木や竹の伐採等々・・・。
宮司さんや楽師さんを囲んで、責任総代と新任の氏子代表との活発な意見交換です。
元気のある氏子代表ですよ!
「早い内に幟を倒しに行こうで・・・・」
「待ちんさい、今日が大祭じゃけ〜、倒すのは明日にせにゃ〜いけんよ・・・・・」
組織も人事も人心一新で活力が生まれます。
10月24日 午前中、JA西いわみヘルシー米の来年度の作付けの手続きをしました。
菜種も雨で潤い、やっとこさ姿が見えてきました。(写真)
山口県阿東町から菜種栽培をするグループが町内の現地視察に訪れ、我が家にも来られました。
菜種を蒔いた圃場に案内し、お話をしました。
夜、小川猟友会の総会が津和野温泉なごみの里でありました。
昨年までは多忙で狩猟免許を受けていませんでしたが、今年から復活です。
新規の免許ですから11月からです。
10月23日 曇雨 あまり期待したような量の雨が降らず、う〜ん!・・・・・。
午前中事務整理をし、ヘルシー米の予約についての説明会に出席するも会場で中止になる。
明日に仕切り直しです。
オーストラリアに出発するまであと数日、必需品を買いに益田まで出掛けました。
夕方親不孝通りに出没すると、「まあ〜!!!!久しいね〜!!!!」前代未聞!約一ヶ月出ていない?
「そね〜に来んかったかいの〜・・・・」
「あんたが来んけ〜、どね〜しとるろ〜か〜、ちゅうて話よったんよ・・・・」
「会議でストレスが溜まらんけ〜、酒を飲むこともないし暇がな〜け〜の〜・・・・・」
「たまにゃ〜顔を見せんさいよ、寂しいわ〜ね・・・・」
「寂しいのは福沢諭吉じゃろが、顔を見たいのは諭吉じゃろ〜が・・・・・」
「活性化じゃけ〜、馬鹿を言うて飲まにゃ〜ね〜・・・・」
「酒と薬を交互に飲んで、手となり足となり首になり、ちゅうて綾小路きみまろの世界じゃの・・・・・・」
そんなに出没していなかったんですかね〜・・・・・・・。
楽しい酒を飲んで、店を出る頃また雨が降り出してきました。
家に帰れば冷めたご飯にさめた妻?旅行の支度に余念のない女房はすでに海外モードです。
10月22日 朝からどんよりした天気で、雨が降りそうです。
長期間晴天が続き雨が降らないのでそろそろマツタケ雨が欲しい頃です。
そんな中、スクモ(籾殻)の搬出に追われ完了しました。
予定した仕事が想うように捗ることは喜びです。
これで雨が降って、マツタケがニョキニョキ生えて来れば言うこと無しです。
それにしてもマツタケが当初の予想を遙かに凌いで?大不作ですから・・・・・・。
稲刈り中行けなかった散髪に行こう!
10月21日
8月23日に播種した蕎麦の刈り取りです。(写真)
今年の刈り取りは、フロンティア日原にお願いしました。
集落の皆さんが見守る中、汎用コンバインがみるみる刈り取っていきます。
乾燥調整までフロンティア日原がすべてやってくれますから、出来上がったものを受け取るだけです。
「蕎麦食いは何時やるん?・・・・・・」
話題はそのことだけです。
10月20日 捜索もいったん休止に入り、警察独自の捜索になりました。
パトカーや捜査の車が行き来し、夕方には検問も布かれました。
そんな中、籾殻の搬出に精を出しました。
まだまだ数日はかかります。
オーバーホールに出していたコンバインが見違えるほどきれいになって帰ってきました。
「来年も頼むけ〜の!」
泥だらけで格納すると、嫁に出した娘が苦労して可哀相みたいですから化粧してやります。
早く籾殻を処理して稲わらを鋤き込みたいのですが、今までの積み残した成果?ですから・・・・・。
この2年間の成果?無駄骨?仕事を犠牲にしてまでやった結果ですから、我が家の課題は山積です。
10月19日 千原天満宮秋の大祭に向けて幟立です。(写真右)
早朝から準備に氏子が集まり、宮掃除を行いました。
宮掃除が終わると、昨日に引き続き捜索の開始です。
昨日とは変わって、拠点ごとに捜索をしていきます。
一刻も早い発見を望むだけです。
10月18日 昨夜に引き続き、捜索の開始です。(写真右)
消防団や警察に混じり、周辺の山や川等捜索しましたが、手がかりすらつかめません。
普段行かない山の捜索も、「何十年ぶりじゃろ〜の、山の姿が変わっとて・・・・・」
「この山はあんたが詳しいけ〜・・・・・・・」
「4人一組で横に並んで捜索してみてください・・・・・」
一山越えて金山(促進住宅周辺)まで捜索した消防団員です。
婦人は炊き出しです。
何十人分のおにぎりを総出で作ります。
上千原集会所は捜索本部に早変わりです。
中島町長も駆けつけ緊張感が走ります。
しかしながら、夕方までの懸命の捜索にも拘わらず、手がかりさえつかめません。
明日再度の捜索に望みをつなぎます。

10月17日 JA西いわみの会議に出席し、午後籾殻搬出準備です。(写真右)
籾殻を素早く手早く積み込むため新しく搬送機を買いました。
そのテストを試行錯誤で行い、何とか明日からの段取りが出来ました。

夕食の時電話が鳴りました。
集落内のおばあさん(84歳)が夕方から行方不明とのことです。
早速懐中電灯を持って自治会総動員で捜索しましたが、手がかりさえつかめません。
21時過ぎまで探しましたが、明朝再度捜索すると言うことで解散しました。
10月15日 まつたけは一本も無し!不作??????
菜種を蒔いた転作田の周辺の草刈りです。(写真下完了)
30a 15a 30a
がまの穂が林立しています。(写真右)
生け花に使われる方差し上げますから電話ください。
10月14日 津和野うどんの発売に向けて奔走しています。
パッケージのデザインもほぼ決まり、後は最終チェックになります。
早朝から広島〜松江〜津和野のコースを運転して帰宅したのが夜11時です。
帰る途中タイヤがパンクし、真っ暗な中道路に止めて交換ですが、大型がスピードを緩めず怖いのなんの・・・・。
あああ〜、疲れた・・・・・。
明日はまつたけを採りに行くど!
10月13日 心地よい二日酔い?に目覚め、長男夫婦は帰る時間です。
3連休最後の日になり、新幹線は超満員です。
新山口まで送っていき、次回の再会を楽しみに待つことになります。
「正月は忙しいけ〜、帰らんよ」
「それじゃ〜、5月の連休になるの〜・・・・・」
「田植えの手伝いに帰るけ〜、元気でね・・・・」
こんな会話も長男の結婚によって、また楽しからずや!
駅のホームに消えると現実が待っています。
津和野の町は、昨日がスポ少の大会、今日は恵比須講祭りです。
恵比須講を楽しみながらと言う余裕もなく、家に着くとグッタリです。
昨日のお礼の電話やかかってくる電話の対応をしながら一杯です!
10月12日 今年3月1日に結婚した長男の結婚報告会をご近所・ご親戚をお招きして行いました。(写真右上)
自治会長の乾杯 開宴です 孫も歌います 叔父さん 娘よ! 万歳三唱
津和野観光ホテルわたやさんの大広間を貸し切り、40名での会食です。
本来なら3月の結婚式に招待すべき方々ですが、東京までお出かけいただくわけにも行かなかったからです。
もっと早い段階での披露を考えていましたが、父が入院したため延期していました。
父も順調に回復し、これなら大丈夫であるという確信を持ったので、今回急遽行ないました。
結婚式のような派手なものでなく顔見せですから、皆さん平服でお出かけいただきました。
奈良からはるばる両親もお出でいただき、皆さんに久しく挨拶されていました。
本人たちの挨拶に続き、私と両親からお礼かたがたご挨拶申し上げ開宴です。
詩吟有り、カラオケ有りの2時間30分でしたが、盛会の内に無事お開きとなりました。
お開きの後は無礼講で、我が家に帰ってから二次会です。(写真右下)
3人の子供すべてが片付き?親としての責任が完了です。





10月11日 奈良からご両親が来られました。
新山口までお迎えに行き、時間があったので秋芳洞にご案内しました。
再度新山口まで行き、長男夫婦を乗せて帰りました。
我が家に初めてお出でいただいたご両親と歓談し、会食は割烹あおき寿しです。
奈良ではまずご先祖様に対して報告をし、お供え物(線香)をいただき、差し上げます。
一人一人に嫁いだお印としてお土産を配りました。
私も女房もいただきました。ありがとう!
写真は町内観光
10月10日 晴曇 転作田の荒越しを行い、菜種を播種しました。
夕方からは中山間地直接支払制度による転作田の草刈りを総出で行いました。
高齢化して、草刈りが出来ない転作田や法面は共同で作業していくしかありません。
我々もあと何十年?草刈りが出来ますか・・・・・・。
10月9日 草刈りばかりでは疲れる?ので、トラクターにモアーを取り付けて転作田の草刈りです。
この草刈りをした後、荒越しして菜種を蒔きます。
それにしてもいい天気ですから、キャビンの中はエアコンを付けてカラオケを聴きながら快適作業?です。
夜は恒例の一杯が欠かせません。
10月8日 中山間地助成事業による田んぼの法面の草刈りです。
稲刈り後に伸びた蘖を見ながら伸びた草刈りも、秋の心地よい風が汗をかき消してくれます。
JA西いわみヘルシー元気米を生産するのに欠かせない堆肥散布の注文もしました。
堆肥散布は稲刈り時に軟弱だったので、大変でしょうがお願いします。
ここ数日は草刈り三昧です。
これが終わると籾殻の搬出です。
10月7日 JA西いわみの委員会と移転新築委員会があるため朝早く松江を出発しました。
益田市の駅前開発事業により、JA西いわみ本所ビルも立ち退きです。
別の旧跡地に移転新築するため、その設計について協議しました。
移転先の道路を挟んだ前には山陰合銀益田支店が新築されており、駅から出て左側に経済の拠点が移る格好です。
会議が終わると、狩猟免許の申請に合同庁舎に出向きました。
昨年と一昨年は公務多忙について狩猟をしませんでしたが、今年は暇なので受けることにしました。
10月6日 朝早く出て、刈り株も新しい斐川路を抜けJA島根中央会に挨拶に出掛けました。
いつ来ても200kmの行程は、疲れます。
浜田から江津は高速で抜けられますが、温泉津・仁摩・大田は高速道路の工事が真っ最中です。
田儀から以前は海岸通りを抜けていましたが、今は広域農道を一路斐川インターまで行きます。
高速道路に上がると松江までは10分くらいです。
挨拶もそこそこに帰路につこうとしたとき電話があり、一泊することになりました。
一杯飲みながら話すことはいろいろです。
10月5日 曇雨 曇り空の元、直地児童館と合同で小川地区民運動会がありました。(写真右)
1時間したら雨が降ってきたので、体育館に移動して続行です。
話し合いがあり、開会式が終わってラジオ体操をし、早々と会場を後にしました。
話し合いの後、厚生連の会長職を辞職しスッキリした気分でまた合流です。
玉入れなど参加し、閉会式の頃は本格的な雨になっていました。
何かの前途を暗示するかのように・・・・・・・・。
何日ぶりかの家族団らんの夕食をいただき、早めの就寝です。
10月4日 秋の盆地には霧が似合います。
国道九号線から見下ろす津和野の町は霧にすっぽり覆われ、城跡の石組みが見事に浮かんで見えます。
そんな霧が深い日は秋晴れが約束されます。
孫の運動会はそんな日本晴れの元、保護者やジジババがたくさん集まって声援を送っていました。
年々成長していく姿がかけっこにも良く現れています。
午前中で終わった運動会の余韻を楽しみながら、田んぼの周囲の草刈りが午後の仕事です。
明日は小川地区民の運動会です。
10月3日 57回目の誕生日です。
誰も祝ってくれない誕生日ですが、胃の痛くなる様な問題が突発しております。
前会長がガンを発症して他界しましたが、ガンになりますよ!
そのうちガンになるね!
朝から面白くない話を聞き、高津川森林組合の理事会に出掛けました。
協議を済ませて現地視察ですが、私だけは別行動です。
面白くもない話の続きです。
懇親会の席での酒のうまくないこと!酔えない!
夜、インターネットでオーストラリアにいる孫の顔を見てスッキリ!
「じいちゃん誕生日おめでとう」ありがたいことです。
「月末には何をほっといても行くけ〜の」
「ホテルも取ったけ〜ね、安心して来んさい」
画像を見ながら、孫の花嫁衣装を見るまでは死ねん!
明日は益田の孫の運動会です!
デジカメ提げて行くけ〜の!爺馬鹿と言われても。
10月2日 津和野で唯一のクラブの大ママが亡くなりました。
高校を卒業以来、40年間近く親不孝通りを飲んで歩いたものですが、よく通った店です。
クラブの大ママともう一つの顔があります。
熱心なある宗教の信者であり、毎日そこに通うのも日課の一つでした。
その途中にある義民が祀ってある社にも毎日かよって拝んでおられました。
お寺に対しても奉仕を続けておられ、その姿を多くの町民が見ておられました。
葬儀の後の仕上げ善について昔話をして故人を偲びましたが、頑張ってきた津和野の顔がまた一つ消えていきました。
両手を合わせ、「ありがたい、ありがたい」と、店に行くたび、また道で出会うと拝まれたものです。
享年84歳、ご冥福をお祈りします。合掌!
10月1日 10月に入り日本晴れの青空が広がっています。
津和野病院等地域医療基本構想策定委員会は報告書をまとめ、町長に提出したとの報道です。
山陰中央新報いわみワイド版10月1日付(写真右)によりますと、
1.津和野共存病院は入院機能をフル活用。
2.老健施設せせらぎはベッド数を半減。
3.日原診療所は開業医の協力による共同診療所。
4.日原診療所は12月を目標に町が出資する新たな医療法人の立ちあげにより運営移管。
5.病院経営が破綻した場合の新たな受け皿。
などからなっているそうです。
策定委員会は町内の医療、福祉関係者や県、町、コンサルタントら10名で構成。
4月から月1回のペースで協議し、構想をまとめた。
以上が記事の抜粋です。
津和野共存病院では島大医学部から新しく赴任されたドクターと薬剤師の辞令交付がありました。
9月30日 9月も最後の日がやってきました。
受託した農家に対しての請求書づくりに追われています。
月が変わる(10月)と、公私ともに多忙となる予感?・・・・・・。
9月29日 朝からどんよりした空模様です。
ストーブが恋しい?そんな一日でした。
今から30数年前になりますが、結婚する時大変お世話になった方の葬儀に参列しました。
以来、祭りや家建てなど呼ばれてかわいがっていただきました。
喪主の挨拶の中で「当時としてはハイカラな云々・・・・・」というお話がありましたがそんな感じの婦人でした。
88歳の天寿を全うされ、孫に見送られて永久の旅立ちです。合掌!
9月28日 肌寒い一日になりました。
そろそろ秋の気配が実感してきます。
午前中倉庫の片付けをして、秋中溜まった埃を落としました。
遅い昼ご飯を食べていると、「じいちゃん温泉に行こう・・・・」と孫がやってきました。
「それじゃ〜片付けも済んだし、行くか〜・・・・」
「うれしいな〜、外で待っとるよ・・・・」
 
待つ間中、里芋の茎をマイク代わりに姉妹二人で歌を歌っていました。(写真)
そんなことで田万川温泉に行ってきました。
田万川温泉は海の近くなので塩辛い温泉です。
夕方になったので孫はパジャマに着替えて帰りましたが、晩ご飯を一緒に食べることにし回転寿司に行きました。
温泉のすぐ側にある海水浴場は子供たちのキャンプや海水浴に来ていたところなので久しぶりに行ってみました。
山陰の海は鉛色の空と波しぶきが似合います?

上千原自治会では
集落の道端を
彼岸花で埋め尽くす
運動を行って
います。
9月27日 孫が泊まりにやってきました。(写真右)
夜勤があるためお泊まりだけですが、一緒に寝る約束です。
「プリキュラの携帯買っておいたよ」甘い?・・・・。
「じいちゃん大好き!・・・・・」今だけ・・・・・。
寝る前、アンパンマンの本を読んでやりました。
寝入ったところでこっちも寝てしまいました。
朝まで起きません。よく寝ますよ!
9月26日 JA西いわみの理事会です。
稲刈りが終わって一息ついたのですが、組織は待ったなしです。
9月25日 議会の一般質問に答える形で、日原診療所について新たに医療法人の開設を検討している答弁がありました。
右の記事は、山陰中央新報25日付いわみワイドです。
9月24日 曇晴 奥歯の調子が良くなく、診療に行ってきました。
そろそろ年かな?・・・・・・。
最後の籾摺りを半日かけて行いました。
夜は石西厚生連の運営会議です。
山積する諸問題に挑んでいく日々です。
9月23日 秋分の日です。
今年最後の稲刈りに出発しました。
順調に稲刈りが進んでいきます。
「カタ!」という音がして、コンバインが進行不能になりました。
原因は、クローラ(キャタピラ)の誘導軸が折れています。
早速、樺キ嶺農機の出動です。
「部品をメーカーからとると早くても明後日か?・・・・・・」
「今日で稲刈りを終わらせんといけんので、何とかして!」
「溶接でしばらく使える程度に・・・・・・」
ホンダカーズ津和野のレッカー車の出動です。
「片方吊ってもろうたら作業のしやすい所に出るけ〜・・・・・」
溶接も完了しセッティングです。
クローラをセットするの4人がかりで何とか取り付けました。
試運転の開始です。
恐る恐る前進レバーを動かしていきます。
稲が回転部に入って心地よいこぎ胴の音が聞こえます。
「金属疲労?か、あらましい?か・・・・・・・・」見守る皆様の口に出せない一瞬です。
樺キ嶺農機様様、ホンダカーズ津和野様様のおかげで、予定より1時間遅れの作業完了でした。
来年もよろしくお願い申し上げます!ペコ!ペコ!
9月22日 受託した農家の最後の稲刈りが無事完了しました。
後は我が家の70aの稲刈りを残すのみとなりました。
夕方からは、JA西いわみ津和野地区総代会を開催し出席しました。
今回で任期満了となる地区総代の選出をお願いするのが主な議題です。
選出方法を説明し、推薦か立候補か届け出をお願いして閉会しました。
さあ!明日は最後の稲刈りです。
9月21日 中学校は違いますが同級生になる友人の結婚報告会に参列しました。
会は太皷谷稲成神社の儀式殿で120人がお祝いの駆けつけ盛大に行われました。
竹下実行委員長の式辞に続き、中島町長、後山議長のお祝いの言葉がありました。
乾杯の後祝宴に入り、謡曲や詩吟、カラオケと会は盛り上がり酒もどんどん進みます。
外は雨ですから家に帰っても仕事にはなりません。
3時間の祝宴もお開きとなり、恒例の?二次会に出発です。
今年に入って同級生2人が結婚しましたが、独身の同年齢の励みになる結婚式でした。
生活習慣の違う土地での生活ですが、ここの集落の人は暖かみがある人ばかりですから良き伴侶となれそうです。
これで議員活動や農業生産に一掃の拍車がかかることを祈念します。おめでとうさん!
9月20日 晴雨 日本晴れの快晴の下でする稲刈りは秋のさわやかな風を受け最高です。
今から約40年前に高校を卒業して稲刈りをしました。
当時はまだ稲刈り機(バインダーやコンバイン)が普及しておらず、手で刈っていました。
「こね〜な百姓じゃやっとれん!・・・・・」と、言ったかどうか不明ですが、バインダーが我が家にもやってきました。
稲刈りの時期も9月20日頃から刈るのは早いほうで、10月でした。
当時は台風が10月に頻繁にやってきていましたから、台風前に稲を刈るためにコシヒカリの導入があったようです。
コシヒカリが脚光を浴びたのは食味ですが、到伏する欠点を改善して今日があります。
さらに30年前にコンバインが主流になりました。
今では稲ハゼを観るのが珍しくなってきました。
日中稲を刈り、ハゼを作り、刈った稲を集めて暗くなってから稲ハゼにかけていました。
真っ暗な中でかけていましたが、月明かりや稲の穂のほのかな明かり?を覚えています。
大変な重労働ですが、台風でよく倒壊して手直しする光景が見受けられました。
牛を飼育する農家の激減と建設業に従事する農家の二種兼業化がコンバインの普及につながったと想います。
農機具代金を払うために外で働く、俗に言う農機具屋の小作の出現です。
そんなこんな昔を思い起こしながらコンバインは快適に確実に豊作の田んぼで活躍していきます。
作業終了と同時に豪雨に匹敵する大粒の雨が降ってきました。
「お彼岸じゃけ〜、お寺にお参り行ってくるか〜・・・・」と、言うことでお彼岸のお寺参りです。
ご先祖様から見ると「何と、楽な百姓じゃの〜・・・・・・、昔は骨を折ったもんじゃがの〜・・・・・」想うことでしょう。
9月19日 出荷米の検査です。(写真右)
「ちょっと青いね〜・・・・」
「刈り遅れじゃね〜・・・・」
「倒れたかね?・・・・・」
「申し分ない米じゃね!A米」
「水分調整がちょっと・・・・・・」
農家の人は一喜一憂する瞬間です。
検査が無事終わると、稲刈りです。
稲刈りも終盤を迎え、受託農家は後一軒になりました。
我が家の稲刈りも1.5haとなり、残り2haまでにこぎ着けました。
台風被害もなく、順調な稲刈り日和が続きます。(写真左はスケジュールの黒板です)
9月18日 雨曇 この秋に新製品を発表します!
それは「米粉のうどん」です!
打ち合わせで松江市に早朝から出掛けていきました。
近日中の詳しく発表しますので、こうご期待!
9月17日 自治会で蒔いた蕎麦も花が咲きました。(写真左)
今年は今のところ最高の出来です。
秋のお彼岸も近づき、周辺には彼岸花が咲いて秋本番です。(写真右)
9月16日 「イノシシが毎晩出るけ〜、このままじゃ〜夜が寝れん・・・・・」
「昨日は○○さんからネットを借りて張ったんじゃやがの〜・・・・、入ったいや・・・・」
「朝行ってみたら、イノシシの小さいのが2匹田の中におるじゃ〜な〜・・・・」
「大けな声をしたら、石垣を登っては落ちるを繰り返し、しまいにゃ〜川に飛び込んで逃げたけ・・・・・」
「御前会議を開いて?青いが刈ることにしたけ〜、これが終わったらすぐ刈ってくれんかの〜・・・・・」
稲刈りをしているところへ緊急の申し込みです。
「そんなら刈るいね」と受けてしまいました。
「助かる!応援団も呼んどくけ〜・・・・・、これで枕を高〜して夜が寝られる」
こんな悲鳴が全国あちこちで聞かれるんでしょうね・・・・・。
9月15日 朝から雨の敬老の日です。
長男夫婦から父や母にプレゼントが届きました。
3月に火災にあった集落の家の棟上げがありました。
地元の水津建築さんんが施工し、集落や近隣からお祝いに駆けつけました。
棟上げが終わると、待ちに待ったもちまきがありみんなで一斉に拾いました。
昨日は集落の婦人が総出でこのもちまきの紅白のモチを作りました。
餅米はもちろん私の作った餅米です!

女房の中学時代の同級生が亡くなり、葬儀に列席しお見送りしました。
亡くなった同級生は町内の源氏巻販売店に勤めており、親しく声をかける一人でした。
信号待ちをしていると、いつもの笑顔で声をかけたりかけられたりしていました。
そんな彼女の友人が大勢焼香に駆けつけ、52歳の早い旅立ちに涙していました。
ご冥福をお祈りします。合掌!

孫ももちを
たくさん拾っていました
9月14日 晴曇 笹山地区の稲刈りを終え、コシヒカリの刈り取りが完了しました。
明日からは「きぬむすめ」の刈り取りが始まります。
イノシシ被害の田んぼに行ってみると3分の1が被害に遭っていますから対策が必要です。
周辺はネットや電柵で対応していますが、我が家はそんな時間的余裕がありません。
「少し早いが、刈り取ってしまおう〜・・・・」との結論です。
農業共済掛金もチラッと頭をかすめましたが、無事戻しをもらった方が得策?・・・・・。
稲刈りを終えて帰ると、孫が手伝いに?来ていました。
右の写真のようなミルキーローズのプリキュラを着て「はいポーズ!」「写真撮ってね」
自慢の婿殿とは、ツガニ(もくずがに)で一杯やりました。
孫の顔を見ると疲れも吹っ飛びます。
9月13日 曇雨 20aの軟弱で刈り取り不能の田んぼに出撃しました。
3人で黙々と手刈りしました。
側の県道を通る人から「大変じゃの〜」と、声がかかります。
同情するなら手伝って!腹の中はそうです・・・・・・。
そんな冷やかしにもめげず午前中で半分刈り取り、刈り取り不能の部分は残しました。
「あっちの田んぼはイノシシがでて、わやくちゃになっとるよ・・・・・・」近所のおばあさんが悲鳴を上げています。
「あんた方の田んぼもわやになっとるよ・・・・」
午後は笹山での稲刈りですから、対応しないで行きました。
明日は遅くなってからの電柵張りになりそうです。
9月12日 曇雨 朝から曇っています。
昨日まで続いた晴天ですから、軟弱で刈られない田んぼも大丈夫でしょうという事で出掛けました。
ところが、全然だめ!僅か刈りましたが機械が壊れたら大損ですから中止!
たまたま米の出荷検査日ですから、鷲原倉庫で検査を受けました。
検査結果はすべて1等でした。
検査の後は、昨日の籾摺りです。
例年より豊作ですから、米袋が足りません。
我が家の予備に名前を書いたりして大忙しで籾摺りも終わりました。
明日からは笹山地区に出動です。
9月11日 天気が続きます。
今、町内でも最高級の品質の米産地である名賀地区の徳次で稲刈りをしています。
十種ケ嶺から流れる清流で出来たお米ですから、艶といい味といい最高です。
ここで稲刈りが出来、籾摺りが出来いい気分です。
明日からは笹山地区に移動しての稲刈りです。
ここは津和野町の水源がある地区ですから、ここの米も最高級品が生産されています。
私が町内で推薦できる米はこの二カ所です。
9月10日 乾燥機の調子が良くありません。
バーナーの点火がおもわしくなく、乾燥に時間がかかっています。
そこで、樺キ嶺農機さんの出動です。
天気が続くとのことで農家の不満もありません。
「明日もええ天気じゃけ、騒がんでもしゃあな〜よ」
「申し訳ありません・・・・・」ペコペコ・・・・・。
夕方から団体交渉が待っています。
終わってからもう一つの会議に顔を出して、あ〜忙しいの〜!
明日で稲刈りのピークを迎えます。
「コンバインが壊れたけ〜、ちょっとじゃが頼むけ・・・・」稲刈り依頼の電話の書き置きがありました。
飲んで帰っても現実が待っています。
9月9日 秋晴れの中、稲刈りが順調に捗っていきます。
「れれれ・・・・」稲を倒していきます。
引き上げチェーンが切れてしまいました。
樺キ嶺農機の出陣です。
「あれ?・・・・」時々刈らない株がでたぞ・・・・・。
樺キ嶺農機の2回目の出陣です。
刈り歯が飛んでいますから交換です。
「無理難題、何でもお聞きします!」樺キ嶺農機さんのモットーです。
お世話になります。
あなたがいるから安心して稲刈りが出来ます!
9月8日 やっと本格的な秋晴れが続きそうです。
そんな天気ですから稲刈りモード最高潮です。
予定以上の稲刈りで、稲刈り要請のあった農家に出撃?
我が家の田んぼで水があって軟弱で到伏して二進も三進も行かない田んぼに緊急応援が来ました。
が、大型機械が「やれん!」悲鳴を上げたので中止!
こんなこともあります・・・・・・・・。
9月7日 雨曇 朝から雨で稲刈りは中止です。
町民体育館では津和野高校100周年事業のフィナーレを飾る「さだまさし」コンサートが行われました。
近隣からたくさんのファンが訪れました。
明日からは晴天が続くとのことですから、骨休めをして英気を養いました.
田植えの時入院した父が無事退院しました。
何と5ヶ月に及ぶ入院リハビリでした。
危篤状態から幾多さまよったかしれませんが、無事生還したことでお祝いです。
当分は自宅近くで散歩をしながら実生活に慣れるだけです・・・・・・。
9月6日 晴雨 予定していた稲刈りも終わりに近づくと、数百メートル先まで雨が降ってきました。
しかしながら、ここは降りません。
こんな空模様ですが、順調に稲刈りが推移しています。
「爺ちゃん、グラントワでキャンドルの集いがあるけ〜来てね」
孫から案内があったので出掛けました。
益田市や鹿足郡内の保育園の園児が全員参加の壮大な催しです。
「カメラ持て来た?・・・・」
「あ!忘れた・・・・・」
「肝心なときにカメラ持て来んかったら、つまらんじゃろが・・・・・・・」
しばし一服の清涼感のあるひとときでした。
9月5日 久しぶりの日本晴れです。
島根県立津和野高等学校創立100周年記念式典が13時から多数のご来賓をお招きし盛大に挙行されました。
稲刈りを途中で止め、式典に出席しました。
今から10年前に2年間ほど同校のPTA会長をしており、感謝状を村上校長先生よりいただきました。(写真下左)
同時に記念品のグラスをいただきましたので、早速夜ビールを注いで一杯です。
 グラスには「T」と「∞」のロゴが入っています。(写真)
「T」は津和野の頭文字、「∞」はインフィニティ(無限)を表し、「次の一歩」を目指しているそうです。
式辞の中で、食糧生産のエキスパートを輩出する使命について述べられていましたが(医療や各分野についても同様)、
普通高校の式辞に於いて(農林高校ならいざ知らず)触れられており、村上校長の器の大きさに感心するのみでした。
子供3人が卒業し、PTAや野球部の保護者会長をしてOBではありませんが、校歌まで覚えてしまって、感無量?・・・・・。
式典が終わると現実が待っており、「はよ、稲を刈ってくれ〜よ」と急かされてコンバインを駆使するのでありました。
式典後のフォーラムは、下森博士や山ア弁護士、堀パイロットがパネラーとなり「夢を叶える」と題してありました。
各分野で活躍されておられる方ですからお話を聞きたかったのですが、好天に恵まれ?稲刈り優先です。
津和野高校のますますの発展をご祈念申し上げるとともに、我が町の文化の中心とならんことを!
9月3日 朝から雨です。
籾摺りをし、今日は孫の4歳の誕生日ですからプレゼントを買いに出掛けました。
連日の雨で、各地の稲刈りは進んでいません。
到伏が見受けられるのですが、軟弱なため小さいコンバインでの稲刈りは困難を極めるでしょう。
夕方から石西厚生連の全職員会議に出席しました。
9月2日 曇雨 福田総理大臣の辞任に合わせたような、いつ降り出してもおかしくないような空模様です。
そんな天気ですから露が降りていません。
「雨が降るまでに予定したほど刈らにゃ〜」
予定していた3軒の内2軒が終わった段階で雨が降り始めました。
今日は初出荷、品質検査の日ですから立会に出掛けました。
「検査は終わっとるよ、210袋1等です」、事務員さんより伝票を受け取りしばし米談義です。
帰って籾摺りをし終わると晴れてきました。
最後の一踏ん張りとばかり出掛けて3軒目の稲刈りが終わった頃は暗くなっていました。
「明日も雨じゃけ〜、稲刈りができんの〜」
少々豊作で利益が上がっても、機械の修理代がかさむと・・・・・・・・・。
あ〜!総理大臣みたいに投げ出してみたい!この人ごとで済まない苛立ちをどこに向けよか?
カラッとした日本晴れにならないのは国会と連動しているから?・・・・・。
次の総理、頑張ってね!「あ、そう?」お後がよろしいようで・・・・・・・。
9月1日 秋になりました。八朔です。
高校時代には高津の人丸神社の八朔が賑わったのを思い出します。
高角橋を過ぎた三叉路から参道一杯に露天がならび、多くの参拝者で賑わっていました。
さて、今日の八朔の人出はどうだったのでしょうか・・・・・・・。
祭りに賑わいがないのは寂しいですから・・・・・。
そんな感傷に浸れる暇もないくらい稲刈りが急ピッチで進んでいます。
田んぼの中は昨日の夕立で水がありますが、お構いなしで稲刈りです。
「今年は米が多いの」
皆さん豊作で大喜びです!
そんな会話をしているとコンバインのVベルトが切れてしまいました。
樺キ嶺農機様の出動です!ペコペコ!
8月31日 晴雨 待ちに待った稲刈り日和です。
昨日刈った稲は朝の時点でまだ乾燥が仕上がりません。
今日から稲刈りの期間だけではありますが、強力な助っ人がやってきました。
「田んぼの中はまだ水が溜まっとるで・・・・」
「そね〜な事を気にしとったら稲刈りが終わらんでや、また雨が降ってくるよ・・・・・」
「長靴が埋まるほどじるい(軟弱)で・・・」
「水があった方がクローラがきれいになってええでや・・・・」
今日ばかりは日曜日の好天ですから集落中のコンバインがでています。
「爺ちゃん後で田んぼに手伝いに行くよ」孫の声援を受けて出動です。(写真右)
午後、入院リハビリ中の父が一時帰宅で帰ってきました。
入院先の病院の窓からも稲刈りの様子が見えるそうです。
「田植えの時に入院して退院は稲刈りの時じゃの・・・・・」
そんな会話をしていると大変な夕立が襲ってきました。
今年の稲刈りは暗雲が立ちこめています。

8月30日 作物には恵みの雨でしょうか?・・・・・。
連日の雨で、先週蒔いた蕎麦がきれいに出そろっています。(写真右)
「なんぼうなんでも今日は刈れんも〜・・・・」
「今日はまだ露がの残っとるけ〜、二番が詰まってやれんけ〜、刈りんさんなよ・・・・・・」
「じるいの〜、こまいコンバインは埋まってやれんの〜・・・・・」
「何や!刈るや?・・・・・・」
そんな雑音や騒音、妬みをはね除けて暗雲たちこもる下黙々と刈り取るのでありました。
午後から刈り始めて50a刈り取り乾燥機に入れましたが、水分が33%ありました。
明日の朝までには乾燥が終わりません。
孫が遊びにやってきていますから、夕ご飯を食べに湯田温泉に行きました。
このときだけ「爺ちゃん好き!・・・・・」それでもいいのです!
8月29日 今日も雨です。
午前中JA西いわみの理事会に出席しました。
「稲刈りが出来んけ〜、食う米が無くなったで・・・・」
農家の保有米も底をつく雨です。
夕方から石西厚生連の全職員会議に出席し、職員の考えを聞きました。
明日も愚図つく天気だそうですが、上から降らない限り強行の予定です!
会議を終え家に帰ると、孫が寝ています。
寝顔に癒され、「シ〜・・・・・」ワシはハエかカか・・・・・・。
明日の朝会いましょう・・・・・・。
8月28日 「新米が炊きあがったよ〜!」
炊きあがった新米を我が家の神様とご先祖様に差し上げた後、早速朝食にいただき収穫を喜び合いました。
写真は、私の茶碗に梅干しをのせて、いただく直前です。
新米のほのかな香りと透き通った一粒一粒に万感の思いです。
「いただきま〜す!」
「美味い!うまいの〜!津和野で一番最初に食べたの〜」そんな優越感に浸って朝食も進みます。
今年の稲刈りが事故もなく無事に終えることが出来ますように!
8月27日 曇雨 夜半に乾燥機の灯油が亡くなり給油しましたが、燃料費高騰でも仕方がありません。
夜明け前乾燥が完了しましたから、籾摺りです。
期待に胸が膨らみますが、果たして・・・・・・。
「う〜ん、ちょっと青いかな?・・・・・・・・・・」
「登熟歩合もええの〜!くず米はちょっと青いのが多いが、量は普通くらいかの〜」
そんな会話をしながら籾摺りが進んでいきます。
「例年よりええの〜!豊作年じゃの〜・・・・・」
「子供たちに新米を食べさせにゃ〜」
「叔父さん叔母さんも待っとるけ〜」
「親戚にも新米じゃけ〜、すぐ贈って食べてもらわにゃ〜!」
コイン精米に行き、精米して帰ると30kg 10kg 5kgの袋に入れ、宅配便が取りにやってきました。
明日は届くと想いますが、丹精込めて作った新米を贈る喜びに浸っています。
「誰よりも早く新米を食べて、長生きしんさいよ!」田舎からの気持ちです!
雨が降っていますから稲刈りは出来ません。
久しぶりに散髪に出掛けることにしました。


8月26日 秋を想わせるような霧がかかって、周囲が霧に覆われていました。(写真右)
「さあ!稲刈り本番!」
快晴の中、高田地区からコシヒカリの稲刈りが始まりました。
何と、7台のコンバインが稲刈りをしています。
50aの圃場にコンバインが入り、3時間あまりで刈り取りました。
まだ籾の段階ですが、収穫の手応えがあります。
乾燥機2台に分けて乾燥していますが、水分は33%前後ありますから一晩中の乾燥になります。
午後、もっと刈りたいな〜・・・・・との思いをしながら、山口大学の医学部まで出掛けていきました。
8月24日 雨晴 せっかくの日曜日ですが、稲刈りをしている人が現れません?・・・・・・・・。
おかしいな?・・・・・・。
稲刈り前の静けさ?ですか、そんなことを思いながら本町に出没しました。
夏休み最後の日曜日を子供連れが、竹風軒で「源氏巻」を焼いて楽しんでいました。(写真下右)
竹風軒の隣では、社長の収集した島根県出身者の絵画コレクションがミニギャラリーで開催されています。(写真上左中)
平塚運一画伯や池田一憲画伯はじめ町内の絵画愛好者の絵も楽しませてくれます。
是非!寄って観てくださいね。
絵画鑑賞で心が洗われると現実が待っています。
そうです!転作田の草刈りです。(写真右)
草刈りをした後で荒越しをして、菜種を蒔きます。
8月23日 雨晴 また雨です。
何日連続で降りますか?
そんな状態ですから、田んぼが乾きません。
籾摺りをして様子を見ますが、残暑厳しきという日が盆以降ありません。
夕方からは、自治会の蕎麦蒔きです。
大羽博自治会長の所有する水田10aに蕎麦の種を蒔きました。(写真下3枚)
こういう作業は年配の婦人の方がよく知っており、手際よく播種しました。
作業が終わると、大羽俊則さんが丹精込めて作ったスイカをみんなでいただきました。
4〜5日すると蕎麦の芽が出てきます。
収穫作業はフロンティア日原に委託することにしました。

籾摺りして
袋詰めしました

今年のモチは上出来

希望者には
白米でお分けします
0856-72-1970
までお電話ください
8月22日 晴雨 午後から大雨の予報です。
今年最初の稲刈りが町内数カ所で始まりました。
刈り取前 コンバインで稲刈り 籾をコンテナに搬出 きれいな黄金色の籾 刈り取完了
田んぼの条件はやや軟弱ですが、問題はありません。
青籾比率は10%以下です(7〜8%)、水分は33%です。
明日の明け方には乾燥完了になります。
乾燥機に搬入し終わると、石西厚生連の理事会に出席のためシャワーをして背広にネクタイです。
理事会が始まると、横殴りの雨です。


乾燥です
8月21日 明日まで天気が続くと言うことで、明日から稲刈りを開始することにしました。
そうなると作業場の片付けを今日中にしなくてはなりません。
乾燥機のチェック、籾摺り機や調整機の設置等すべて完了しました。(写真右)
大きなトラブルなく、今年の稲刈りが無事終わりますよう!

その作業の安全と豊作を祈念して、夜の町に出撃です!
ジョッキ片手に、「美味い!」
8月20日 JA西いわみの刈り取り講習会が高田集落で開かれました。(写真)
今年は豊作基調で農家の皆さんの期待も大きく、大勢の参加者でした。
「刈り取り適期を逃さず、刈り遅れにならないように・・・・・」
「水分は14.1〜15.1までにして、過乾燥にならないように・・・・・・」
「青籾が10〜15%の頃が刈り取り適期ですから・・・・・・」
指導員の説明をしっかり聞いて、おいしい新米を消費者の皆さんにお届けしましょう!
「わしゃ、明日から刈るで〜・・・・」何を聞いたんかね?・・・・・・。
「青かろうが、人より早けりゃええんじゃけ〜・・・・・・」?????
夕方、「ウナギを焼くけ〜一杯やりに来んか〜」
「すぐ行く!すぐ行く!」炭をおこし、焼きながらの一杯は最高です!
8月19日 雨晴 朝大雨が降って後晴れるという天気が続いていますが、田んぼの中は大水です。
これは大変な稲刈りになりそうです。予感?
そんなことはお構いなしにスズメバチの大群が天井裏に巣をかけています。
屋根の間の僅かな隙間から出たり入ったりして困っています。
そこで(写真左)ハチ取り専用の蜜入りポットを仕掛けましたが、成果はイマイチです。
その蜂が出入りする下に、我が家のど根性百合が咲いています。(写真右)
犬走りと舗装の間のわずかな切れ目から芽を出し、咲いています。
8月18日 雨晴 朝、大粒の雨が田んぼをたたきます。
肥料の多かった田んぼのコシヒカリが部分的に到伏寸前です。
除草剤の散布が遅れた田んぼの一部にヒエが大発生しています。
こうなると鎌を使って刈り取るしか方法がありません。
腰は痛いし、汗でメガネは曇るし、稲の葉っぱで耳は痛いし・・・・、我慢我慢・・・・・。
そうする内に花粉症の発生でクシャミに涙です。(きぬむすめは花が咲いている最中です)
適期作業がいかに大切であるか痛感して反省?しています・・・・・・。
クシャミや鼻水が出たらもう退散しかありません。
畦畔雑草の草刈りに作業が移ります。
撓わに実った稲穂を見て、刈り取り間近であることを実感しています。(写真右上)

今年は瓜が大豊作ですから、我が家でもなら漬けをするため大忙しです。
瓜をつけ込む前の天日干しをしています。(写真右下)
天日干しがなら漬けの出来を左右するため、気が抜けません。
食欲がない時になら漬けをパリパリ食べると胃も快適になりますよ!


8月17日 盆も終わりましたが、孫は残って大はしゃぎです。
朝からプールに入って最後の盆休みを満喫?していました。
体の芯まで冷え切ってようやく水から上がってきました。
夕方、風呂代わりに田万川温泉に行って夕ご飯を食べさせて送り届けました。
孫と遊んだ?盆ですが疲れが一気に出ました。
孫を送り届けた後、益田医師会病院に父の着替えや選択ものを取りに寄りました。
稲刈りシーズンに入り、心配していましたが「しゃ〜な〜け〜」と、リハビリに専念するよう言って帰りました。
さあ〜!秋本番!
8月16日 雨です!これからは収穫時期に向かい、雨はいらないですが雨です。
電柵を張ってもイノシシが入っています。
どこかに問題があるので点検していると、やはり初歩的なミスが発生していました。
長男夫婦も仕事で、二男夫婦も海外のため帰省しませんが、それでものんびりした盆でした。
お盆の最後の日の締めくくりは孫を連れての温泉です。
温泉に入った後、孫と一緒に食事ですがよく食べましたよ。(写真下2枚)
津和野の生んだ演歌歌手「岸田竜次歌謡ショー」が多彩なゲストを迎えて開催されます。(写真右)
10月5日(日)津和野町民体育館です。
稲刈りも終わり、ほっと一息つく頃ですからみんなで応援?に出掛けましょう!
前売り券好評発売中!
8月15日 朝から太陽が照りつけています。
孫は朝からプールに熱中です。(写真右)
朝起きると、昨日仕掛けた電柵とイノシシの被害の点検です。
あまり大きなイノシシではありませんが、毎日出没するとほぼ全滅状態になりますから要注意です。
樺キ嶺農機は盆休みですから、ホームセンターに行って電柵のセットを購入しました。
これでイノシシが出てきて、鼻を電線に触れて「バチ!」なりますように・・・・・・。
夜は日原の花火大会に行く約束をしていましたが、夕方から大雨でドタキャンです。
それでも孫たちは女房と一緒に出かけていきました。
8月14日 待つ時間は長く感じます。
孫がやってくると言うので、朝から待ち遠しい限りです。
それでも田んぼの水回りは欠かせません。
「あれれ!・・・・・・・・・」イノシシが田んぼの中で暴れています。
昨晩のことでしょうが、田んぼの中はあちらこちら稲が踏み込まれて舞っています。
「こりゃ〜やれんの〜、電気を通そう!」電柵しか手っ取り早い解決方法はありません。
孫のことは忘れて午前中たっぷりかけて電柵を設置しました。
これで安心して盆踊りにいける?・・・・・・・。
夕方、雷雨の中、孫がやってきました。
「じいちゃん!」愛想がいいのは最初だけ?
「お刺身が大好き!おいしいね!」(写真右2枚)
「花火しようね・・・」
「プールを作っておいたよ」
「明日はプールに入るよ」
楽しい食事の後は花火をして、地区の盆踊りに行くのは取りやめて我が家でみんなで楽しみました。


8月13日 朝の涼しい内にお盆の墓参りを済まし、一気にお盆モード突入です。
入院中の父も2泊3日の一時帰宅し数年ぶりにゆっくりと休める盆になりそうです。
初盆の親戚を回り、夕方からは同窓会に出席しました。
かつての学舎であった跡地の津和野町民センター和室でささやかな?同窓会です。
全国各地から帰省した35名が集いました。
河田代表の挨拶に続き、板垣敬司君の乾杯で始まりました。(写真右)
みんないい年になって思い出話に花が咲きました。
「今度の同窓会は還暦同窓会じゃけ〜、全員出席を目指そう!」閉会宣言?でお開きです。
二次会には参加せず、ほろ酔い?酔いたんぼう(酔い探訪)がお帰りです。
8月12日 稲穂が黄色く色づき、盆が終わると稲刈り本番を迎えそうです。
日中の暑い最中は作業場の片付けです。
写真左は刈り取った籾を運ぶグレンタンク23石入りを2tトラックに乗せていつでもOKの状態です。
樺キ嶺農機の皆さんが来られて乾燥機(サタケ)の組み立てをしました。(写真右)
当初は30石の予定でしたが、作業場の屋根が低いため28石にしました。
昨年一昨年と公務のため受託(田植えや稲刈り)を削減してきましたが、この秋から復活します。
一昨年の目標面積20haを目指します。
しかしながら、2年間にわたって断った農家からの反発は予想外に大きく、再受託は見込めません。
そこで、新規の顧客を見込まなければなりませんが、燃料の高騰など現実は厳しい問題が山積です。
今春のトラクターに始まり、乾燥機、籾摺り機、調整機と○○○万円・・・・・・・・。
我が家の経営立て直しが急務となりました!
8月8日 田んぼの周囲の河川の草刈りをしました。(写真右)
見て分かるように水が亡くなってきました。
上千原自治会では環境美化に努め、河川の草一掃を旗印に2回目の草刈りです。
そんな葦の中に混ざって鬼百合?が咲いています。(写真左)
全部で12本咲いていますが、これは刈り取らずに残しておき鬼百合の護岸にしたいです。
8月6日 雨が降りません。
今日は立秋です。
頭を垂れた稲の上をさわやかな秋風がふいています。
あと20日もすれば新米の刈り取りが始まります。
8月5日 乾燥機の解体が始まりました。
樺キ嶺農機の皆さんが総出で解体をしてくれましたが、長年の埃で大変です。
そうしていると、近所から乾燥機の解体が入りました。
まとめてやって、後は温泉でさっぱり?なんちゃって!
来週には新しい乾燥機が組み立てられます。
8月1日 8月に入りました。
連日の猛暑ですが、稲の方は穂揃いも終わり穂が垂れてきました。
午後から津和野町水田再編協議会の総会があり出席しました。

小川公民館の前に横断幕が出現しました。(写真右)
8月27日に国立競技場で行われる小学生の400mリレーに出場する大谷姉妹の激励横断幕です。
津和野町から全国大会に出場するとは大したもんです。
そういう激励を込めて地区民の気持ちの現れです。
頑張れ!大谷姉妹!
7月30日 浜田市旭町在住の画家池田一憲画伯の個展が同市三隅町石正美術館で開催されています。(写真右)
池田氏と知り合ったのは友人の紹介ですが、最初の頃の画風は怨念?の固まりという感じでした。
人間の煩悩を絵にするというような、絵心のない私には文字にして適切な表現することすら出来ないのです。
とりあえず観に行ってください。(入館料がいります)
農夫の迫力ある顔や、シワ、人生が描かれています。
益田市美都町にある「城山桜」がまた素晴らしい迫力で描かれておりす!
未だ衰えていないその精神力に感服した次第ですが、一杯の方はどうなっていますか・・・・・・。
7月29日 日原にある農作業受託の「フロンティア日原」の総会があり出席しました。
私の身分は取締役(JA西いわみ理事よりのあて職)となっております。
町内の3名の若い職員で苗作り20000箱をはじめ、田植えや稲刈りなどしています。
今年度も僅かですが黒字を計上しており、努力している様子がうかがえます。
「やる気でやる!」頼もしい若者ですから、応援しなきゃならんでしょう!
7月28日 夕方から地区内の転作田の一斉草刈り作業をしました。
関係者全員で草刈り機を使い、15a部分と河川も刈りました。
コシヒカリは穂揃い期を迎え、カメムシ被害が発生する前に草刈りをしておきます。
そうするとカメムシの居場所が亡くなり、被害が最小限に抑えられるからです。
心地よい汗をかいた後は冷たいビールですが、各自家庭に於いて飲むのが今風です。
7月27日 雷雨 夜半から激しい雷雨でしたが、朝方には上がり午前中は日差しがありました。
午後から再び雷雨になり、雷さんと昼寝?喧しくて昼寝になりません。

雷雨の合間を縫って転作田と町道の草刈りをしました。(写真右)
転作田は2m近くも伸びていますから、草刈り機では刈れませんのでトラクターに付けたモアーが大活躍です。

今日は鷺舞神事の最終日ですが、雷雨なので屋内に変更して奉納されました。

お隣の益田市では、市長選挙があり22時過ぎ新人の福原氏が当選しました。
35歳の全国で一番若い市長さんの誕生です。
清流日本一の高津川のようなフレッシュな市政をご祈念申し上げます!
7月26日 JA西いわみ津和野支所の展示会がありました。(写真右)
午前中はかなりの人手でしたが、午後になると猛暑のため人ではさっぱりでした。
それでも野菜やチップソー、鉢物、津和野ビーフ牧場の牛肉を買い求めていました。

夕方からは津和野夏祭りが始まり、大変な人手でした。
恒例の花火は日原会場で8月15日に打ち上げられます。
7月24日 帰りの飛行機の出発まで時間があるので柴又まで足を伸ばしました。
今年は渥美清さんの13回忌にあたると言う話を聞き出掛けてみました。
柴又駅を降りると寅さんのモニュメントが迎えてくれます。
映画の中のシーンの商店街を歩くと草団子のお店が見受けられます。
商店街の外れに柴又帝釈天(写真右)があり、映画の中の鐘楼も立派なものが建っています。
すぐ近くが矢切の渡しで、寅さん記念館もありますが時間がなく行きませんでした。
津和野にも寅さんのロケがあり、マドンナが吉永小百合さんでしたが懐かしいですね!
たしか?32年くらい前だったように記憶していますが・・・・・。
二人乗りの自転車に乗ってエキストラとして出演しました。(カットされて・・・・・・・)
津和野活性化の方策として、再度提案ですがフィルムコミッションを考えよう!
7月23日 全国厚生連の通常総会が東京であり、出席しました。
今回は役員改正があり、大幅な人事刷新となりました。
来賓で来られた国会議員先生より、臨床研修医制度の見直しについて言及されました。
総会終了後、地元選出の国会議員先生に陳情するため議員会館に出向きました。
指定管理者になって3ヶ月が過ぎ、その報告や今後の支援をお願いしました。
それにつけても暑い暑い東京でした。
7月20日 津和野の夏が始まりました。
祇園祭の鷺舞神事が炎天下の中行われ、子鷺踊りも町内を練り歩いていました。
そんな中、樺キ嶺農機の展示会が昨日より開催されています。
大型のコンバインやトラクター、草刈り機等農家の皆さんが必要な農機を買い求めていました。
「暑いの〜!盆過ぎにゃ〜稲刈りが出来るで〜・・・・・」来場記念の計量バケツを持って帰っていきました。
「今年の稲刈りの情報交換をするけ〜、3時からウナギでも食うか〜・・・・」
そんなことで焼き肉を囲み、今年の稲刈りの準備は万全でした。
薄暗くなったので解散し、出穂間近の田んぼをみながら帰宅したのでありました。
7月19日 田植えが終わって2ヶ月が経ち、やっと苗箱を洗う余裕が出来ました。
1200箱洗いますが、結構疲れる作業です。(写真左)
夕方から中山間地直接支払制度と水と緑の保全の総会がありました。(写真右)
7月18日 穂揃いです。(右の写真)
コシヒカリの出穂が確認できていますが、ヒメノモチやハナエチゼンは穂揃いを迎えています。
写真のように稲の花が咲き誇っています。
この時期は水が必要で、土用に入って高温でもあり充流すのが理想です。
天候も夕立が時々ありますが、真夏日が続いておりコシヒカリの出穂もここ数日早まりそうです。
このまま推移すると、平年作以上が期待できそうです。
肥料価格が倍に跳ね上がって高騰していますが、米価のほうは・・・・・・・・・・?。
7月15日 暑い毎日が続いていますが、稲の出来は順調です。
数日中に出穂します。
そんな稲の様子を見ながら、昨日から出雲市、松江市に出張です。
田んぼの周りの草刈りをしなければなりませんが・・・・・・・・。
明日があるサ!明日がある・・・・・・・・・・。
7月14日 田植えの時に肺炎を起こして入院加療中の父が、回復しリハビリに専念することになりました。
そこで、益田市内の医師会病院に転院することになりました。
本来なら、転院に付き添うところですが出張のため女房と母に頼みました。
とりあえず2ヶ月のリハビリだそうです。
田植えに入院して稲刈り後に退院?できそうです。
帰宅してから自分で歩行してのトイレが出来るようにリハビリすることになりました。
女房からの電話です。
今まで付き添いがいりましたが、これで付き添いはなくなりました。
高齢者社会における国のお粗末な行政を目の当たりにし、我々が高齢者に突入する頃は姥捨て山が復活する?
いやいや、担いで山に登る若者もいない老々社会の出現です!
7月12日 島根県の海外派遣事業として「第3回島根青年の翼」がありました。
当時の団員24名で作っている同窓会は5年おきに開催されています。
松江市3回、出雲市、浜田市でありましたが、過去3回出席しています。
今回は35周年に当たり、奥出雲町で開催されました。(団員持ち回りで開催)
出張が重なり欠席しましたが、皆さん要職についておられます。
次回は津和野町での開催要請があり、引き受けたとのことです。
そうなると、平成25年ですか?・・・・。62歳?・・・・・。
7月11日 朝5時半に起きてホテルを出発し、羽田から帰ってきました。
朝早い便ですから空港も混雑してなく、スムースに乗ることが出来ました。
石見空港便は搭乗率が悪いと聞いていましたが、70%位のお客でした。
しかしながら、石見空港からの折り返し便のお客は待合室に10人くらい、チェックインしている人も10人くらいでした・・・・。
ツアー客が帰る便は宇部空港からでしょうから搭乗率アップにはつながりませんね。
午後の羽田直行便もあるといいのですが・・・・・・。
皆さん石見空港を利用しましょう!
島根県営なのに、何で「萩・石見空港」なの!何で山口県の地名がつくの?
下関・北九州空港と言う?松江・米子空港と言う?
「津和野・石見空港」と何でしないの!
あっさり「津和野空港」のほうが利用率向上になるよ!
7月10日 都内某所ですが、朝会場に向かうとき最寄りの駅に行く途中でした。
「オイ!親父」声がかかりました。
何と長男が会社に出勤する途中でした。
何の打ち合わせもしていなかったのでびっくりしました。
こんなことってあるんですね・・・・・・。
会議が終わってから、浅草の鬼灯市に出掛けてみました。
何とすごい人出です。たまげた!
行き交う人が皆さん鬼灯を手にされていました。
7月9日と10日にお参りすると、4万6000日分のお参りしたことになるとか?・・・・・。
7月9日 石見空港から久しぶりに東京に行きました。
いつもは宇部空港らかですから島根県を縦断して大山上空までみることが出来ました。
後は雲ばかりで、東京は曇っておりました。
7月6日 真夏より暑い?県道沿いの温度計が37度を表示しています。
こんな暑さを吹き飛ばして草刈りです。
小川地区民体育館では「小川地区民健康を守る会」が開催されています。
汗をかいた午後、同級生5人でミニ同窓会です。(写真右)
山の中腹に住まいする?板垣議員宅のテラスで生ビールとバーベキュウで盛り上がりました。
テラスの下を山口線の列車が通過するたび、「ええとこじゃの〜・・・・」
なんやかんや話をしてお開きの頃には真っ暗で、愛しの妻たちが迎えに来ていました。
明日は草刈りが待っています。現実が待っております!
7月4日
梅雨が上がった?と思えるような晴れ間です。
午前中は畦畔の草刈りをして心地よい汗をかきました。(写真上)

午後、津和野町認定農業者協議会の総会が開かれました。(写真右上)
平成19年度の活動報告・決算、20年度の活動計画・予算を承認しました。

総会後、「新たな販売戦略」と題して井脇寛氏(且ミ長室代表取締役)の講演がありました。(写真右下)


7月1日 今日から7月です。
増産体制に入った「つわの冷麺」を積み込み、帰宅の途につきました。
途中、ガソリン価格が大幅に値上げされている看板が目に付きます。
昨日までは172円とか168円とか掲示されていたのに、何と182円というように180円台になっています。
この調子でいくと200円は目前ですよ!
帰途、セルフスタンドで給油しましたが1万円では満タンになりません。
昨年同期は50000円もあればほぼ満タンになっていましたが、これではおいそれと自動車に乗れません。
田舎は自動車が必需品であり、値上げ値上げは困りますね〜・・・・・・。
経費は倍近く上がっているのに、農産物価格は低迷と言うより数パーセントの値下がりですから・・・・・。
「どね〜かせにゃ〜いけん」思いながらの松江からの長〜い道のりでした。
それでもアミュ〜ズメント産業の駐車場は昼間から一杯ですから、この国の形が理解できませんね。
6月30日 昨日の大雨も上がり、梅雨の晴れ間が見えていました。
JA島根中央会・JAバンク島根等JA島根グループの総会が開催されました。
溝口知事始め多くの来賓を迎えて19年度の活動報告・収支決算、20年度の活動方針・収支計画を承認しました。

総会後、先月亡くなられた恩師の野々村先生の墓参りに当時の団員と出向き、線香を供えご冥福をお祈りしました。
6月27日 晴曇 津和野町農政会議の総会が益田市の「イーガ」で開かれました。
平成19年度の事業報告ならびに収支決算、平成20年度の事業計画ならびに予算を承認しました。
役員改選では、新しく田中会長を選出しました。
今回は益田市、吉賀町も同日総会を開催して講演を一緒に聴くことになりました。
総会後の講演は、山田としお参議院議員が2時間国政報告を行いました。(写真右)
6月25日 JA西いわみの通常総代会が益田市のグラントアで開催されました。
平成19年度の事業報告・決算と平成20年度の事業計画・収支予算を承認しました。
原油価格の高騰により、諸経費の軒並み値上がりに加え農産物価格の低迷が農家に大きく影を落としています。
このような時期にこそ、農協組織がその組織力を発揮するときです。
当初計画達成に向けて事業計画を推し進めて行くことが必要です。
6月24日 ふるさと畑迫の会員の皆さんが植えた紫陽花が咲き誇っています。
大規模林道寺田〜山入間の畑迫側の道路両側帯に梅雨本番を思わせるように咲いています。
青や紫、白等いろいろな色が咲いて、田んぼに行くのが楽しくなります。
デジカメを持っていなかったので写真はありませんが、後日貼り付けます。
紫陽花が真っ最中なら、殿町の菖蒲はどうなっているか気になります。
田んぼの帰りに寄り道しました。
大橋を右折すると、どっかのにいちゃんが「ストップ!ストップ!」止まれです。
どうもロケかTVの撮影のようです。
役場の職員も出てみています。
有名人が撮影しているようですが、分かりません。
「どうぞ、通行ください・・・・・」言ったかどうか分かりませんが、通らしていただきました。
津和野の町並み(殿町)もロケや撮影があるなどまだまだ捨てたもんじゃないですよ!
役場にお願いですが、「ただいま撮影中!ご協力を!」みたいな看板を作ってはどうでしょう?
ロケの関係者に急に「止まれ!」なんて言われると、不快感を示す人もいますから・・・・・・。
町の宣伝になるんですから、お互い気持ちのいい撮影でありたいですね!
6月22日 梅の雨で梅雨ですが、緑の葉の滴から見える梅の実がきれいに稔っています。(写真右)
子供たちの嫁さんはあまりアルコール関係は得意でないので、梅酒を造っておきます。
梅酒は割って飲むことが出来るので、少しなら嗜めます。
雨が降る中、梅をもぎました。
梅をしそで漬けて梅干しにするには幾多の課程を過ぎなければなりませんが、お袋に任せます。
きれいな果実の梅は選別して嫁さん用に梅酒を造ります。
スーパーに梅酒用の35度の焼酎を買いに行くと、「梅酒ですか?・・・・・・」
「健康にええけ〜ね」
梅が終わると、ラッキョウです。
ラッキョウの次はなら漬け、二日酔いには間引き菜の浅漬けがグ〜!先人の知恵に感謝!
6月21日 本格的な梅雨に突入です。
昨日〜夜間〜朝から雨がやみません。
「今年は不作じゃけ〜、コメの値が上がるの〜」某社長の予測です。
「なしてね〜・・・・・」
「この前、お客さんが来たけ〜、夜の観光ちゅうてホタル見物に行ったがの〜、らっせなホタルじゃったで〜」
「それで・・・・・」
「昔から言うろ〜が、悪年蛍に蝦豊作ちゅう〜て、えかったの〜今年は豊作じゃけ〜!」
「??????・・・・・・・」当たるも八卦ですが・・・・・・・・。当たらぬも八卦です。
今、俄然米粉が脚光を浴びています。
米粉製粉機器メーカーの株が急に脚光を浴びている?・・・・・・・・。
今年で3年目の販売になります「つわの冷麺」も米粉で出来ているんですがね!
大臣や国会議員が米粉に言及していますが、食ったことがあるんか〜????
まず食べたことはないでしょう!思いつきの票稼ぎです!このレベル????
米粉普及をするなら、「どこどこにどんな製品があって、こういう商品開発がなされている」まで言ってみろ!行ってみろ!
相場が下がったら、「米粉?何それ!」平気で言うよ!それが先生と言われる所以ですから・・・・・・・。
「給食にご飯を!米製品を!」都合のいいことを言いますね〜!
パンを食べるのが問題じゃあないんです!輸入された小麦のパンを食べるじゃから問題なんです!
米粉を使ったパンやラーメン、スパゲッティ、うどん、パスタ等々を食べればいいだけのことです!
ついでに、焼酎も米焼酎を飲みましょう!
6月はJAでは生産部会の役員会や総会、JAの総代会が目白押しです。
会議の終了後の懇親会では、とりあえず生ビールですが後は米焼酎を飲んで元気を出しましょう!
以上、あぜ道(日本)で蛇(アメリカ)に睨まれている青蛙(百姓)が竹槍かざして「えい!えい!お〜!」でした。

米粉の冷麺です!
6月19日 曇雨 石西厚生連の総会が開かれました。
19年度収支決算ならびに事業報告、20年度収支計画ならびに事業計画、役員報酬等可決承認されました。

島根県認定農業者協議会組織ネットワークの役員会が益田市で開かれました。(写真右)
今年度の事業計画を中心に協議しました。
全国担い手育成ネットワークの全国大会が今年は三重県、21年は埼玉県、22年が島根県に決定しました。
参加人員が2000人を超えるため、収容できる会場と警備体制の面から主会場が決定されます。
益田市を中心として候補地に名乗りを上げたいですね・・・・・・・・・。
6月17日 狩猟講習会があり、受講しました。
3年前から猟銃による狩猟許可を受けていませんから、今回も罠だけの狩猟講習です。
しかしながら、公務多忙につき?狩猟許可を受けるまでにはなりません。
狩猟免許の切り替えだけになります。
イノシシの駆除はベテラン猟師さんと電柵によろしくお願い申し上げます?・・・・・・・。
6月15日 益田産業高校としての最後の同窓会が益田市内に於いて行われました。(写真右)
今年度から県立益田工業高校(県工)と合併し益田翔陽高校となったため、来年度からは合同の同窓会になるそうです。
同級生が同窓会の理事に就任しているため、たっての依頼で出席しました。
溝口県知事始め県議会議員等多くの来賓列席のもと、会場満席の祝宴でした。
久しぶりにあった同級生や先輩と歓談し、学生時代を堪能しました。

今日は「父の日」です。
子供たちからプレゼントが届いていました。
ダンヒルの長財布です。
万札で膨らむように頑張ってコメ作りをします!
6月14日 お隣の法事に出掛け、榊(神道)を法典しました。
その後、お墓に出掛け無事法事が終わりました。(写真右)
5年前になくなったおばあさんの法事ですが、「もう5年になる・・・・・」早いものです。
親戚や孫も参列し、おばあさんを偲びました。

ツバメが巣立っていきました。
来年帰って来ることを楽しみに待っています。
6月11日 曇雨 梅雨入りしそうな曇り空ですが、JA西いわみ主催の中干し講習会が高田地区でありました。(写真右)
田植え後50日経過する頃毎年実施されます。
中干しの重要性や今後の水管理等、JA西いわみの職員から説明がありました。
津和野町のメインストリート殿町の菖蒲が今年も咲き始めました。(写真左)
やはり菖蒲や紫陽花には雨が似合います。
そんな会話をしていると雨が降ってきました。
6月10日 日中の草刈りが終わり、心地よい?汗を掻いた後の夕方は生ビールがうまいんです!
それを我慢して出掛けて行きました。
津和野町農政会議の委員会が開かれました。
総会前の会議ですが、役員改正が主な議案です。
6名の役員を選出し、総会の承認で決定します。
総会は6月27日(金)13時半から益田市のEAGA3Fで開会されます。
当日の講師には、山田としお参議院議員が講演されます。
6月9日 午前中はJA西いわみの理事会、午後は石西厚生連の理事会でした。
どちらも総代会や総会前の提案する議案の承認です。
会議は疲れます。本当に心身ともにつかれます。
会議が終わったら、飲まずに帰られるか!
我が家のツバメも雛が孵り、親ツバメがせっせと餌を運んで来ます。(写真右)
5羽孵たのですが、3羽アオダイショウに飲み込まれていました。
飲んだばかりだったのでアオダイショウも身動きとれず、青竹で叩きのめしてやりました。
昨年は猫が全滅させましたが、今年は残った2羽を巣立ちさせなければなりません。
蛇よけの粒剤を散布しましたが、これが臭いのなんの・・・・・・・。クレオソ−トみたいな臭いです。
6月8日 晴曇 朝から畦畔雑草の草刈りです。(写真右)
法面草刈り機が大活躍です。
気持ちよく草刈りをやっておりました。
4WDの機能が活躍しません。
よく見ると、駆動輪のピンが飛んでしまっております。
今日は樺キ嶺農機が連休です。
困ったな〜・・・・・・・。
あっ!米原さんちが同機種を購入したんじゃ〜!ピンを借りに行こう!・・・・・。
「暑かろう!これでも飲んで休んでやれ〜や・・・・・・」米原さんから差し入れです!・・・・・。
「生き返ったの〜!ありがとう!ありがとう!・・・・・・・・」公私ともにお世話になります!
「駆動輪のピンが飛んだけ〜、貸してくれんさいや・・・・・・」
「ええで、これを使え〜や・・・・・」
「すまんの〜!これで1時間助かった、すまんの〜・・・・・・」
そんな危機も乗り越えて予定通りの草刈りが完了です。
6月7日 晴曇 親父の見舞いに叔父夫妻が帰ってきました。
叔父は定年まで電気工事に従事しており、早速我が家のエアコンの設置を引き受けてくれました。
天井裏に入って、らっしゃ〜な〜、ほ〜とくな〜、姿になってコードを配線していきました。
数時間かかってエアコンと照明器具の設置が完了し、一杯です。
中学校しか出ていない叔父ですが、最高の人物です。
苦労の連続であったことと思いますが、そんなことは何一つ言いません。
青木家の誇れる人物です。
6月5日 曇晴 高津川森林組合の第1回理事会がありました。
新しく下森博之組合長を互選し、その他の理事は総務と業務の各委員会に所属することになりました。
何分にも初めての経験ですが、業務委員会に所属することになりました。
高津川森林組合は益田市と鹿足郡内の組合員で構成しています。
今後ともご指導賜りますようお願い申し上げます。
6月4日 曇り空の下、畦畔雑草の草刈りです。
今年は草の成長が早いように感じていますが・・・・・・。

姪の出産祝いに出掛けました。(右の写真)
私の両親にとっては7人目の曾孫になります。
元気な男の子で、おっぱいをたくさん飲むそうです。
この子が大きくなる頃は日本は超高齢化社会です。
世界の中では、超少数民族の島国民族として超大国と渡り合って食料戦争の中で生きていくんでしょうね。
地球規模の中で言えば、今の我が国の中山間地と同じ運命に日本国があうんでしょうね・・・・・・。
そうならないためにも食糧自給の向上に向けて頑張るけ〜の!
6月2日 梅雨入りしたような空模様です。
関東・近畿・四国が例年より1週間早く梅雨入りしたそうです。
今年は田植え後の出来たちが悪い上に早い梅雨入りですから株の張り具合が心配です。
そんな中、一部の田んぼでは中干しを決行しました。
気温もかなり下がっており、周囲では「無茶じゃの〜・・・・・」言われていますが・・・・・。
そんな周囲の田んぼは、土中の酸素不足から下葉が変色してきています。
田植えをしてから全然干していないため、生わらや堆肥が発酵しているからです。
この現象を「ガスが溜まる」と言っていますが、中干ししてガスを抜いてやる必要があります。
中干しした後に水を田んぼに入れると、稲が元気を取り戻してぐんぐん株を張っていきます。
これが遅れると無効分けつになります。
6月1日 今日から夏と言うことで衣替えです。
我が家も冬服が一斉に撤去?されクリーニング店に行きました。
日差しも強くなり、昼には日原地区内の国道9号線の温度計が30℃を記録していました。
その周辺の川では鮎釣りの解禁で友釣りを楽しんでいました。
田植えも終わり、「泥落とし」です。
氏神様である千原天満宮の宮掃除を氏子が集まってしました。
会計報告や役員交代を行い、周辺に生えているタケノコを切ったり草刈りをしました。(写真右)
その後、集落内の岩瀬戸川の草刈りを行いました。(写真上左中)
背丈以上に伸びた葦を草刈り機のエンジンも快適?に刈っていきました。
あちこちで「わお!」「うひょ〜!」悲鳴が上がります。
予想以上に深いところがありますが、葦で見えません。
以前とは違って川にゴミがありませんが、やはりあります。(写真上右)
肥料袋、プラスチックの鉢、ペットボトルが僅かですがありました。
心地よい汗を掻いて、泥落としの一杯?いいですね〜・・・・・・。
5月29日 津和野町水田再編対策協議会の臨時総会が開かれました。
益田市で転作割り当て配分の内、15haが余剰となったため町内での作付け希望者を募ることになりました。
しかしながら、すでに田植え後2〜3週間以上も経っていますから苗がありません。
苗が準備できる法人や個人に配分し、後は他町村にお願いすることになりました。

昨夜来かなり激しい雨が降り、河川も濁り水になっています。
山口県までは梅雨入りした?そうです。
5月28日 曇雨 入院して20日が経過した父も、酸素吸入がなくなり自発呼吸です。
今日から食事(重湯やお粥等)になりました。
まだまだ24時間体制の付き添いは必要ですが、以前から比べると付き添いも楽になりました。
5月27日 昨日に引き続き、叔父の家の田植えです。
午前中に60a植えましたが、残りは代掻きが出来ていませんから後日と言うことで帰りました。
夕方から親戚で焼き肉に呼ばれ一杯です。
5月26日 叔父の田植機が故障したため急遽田植機を持って応援です。
益田市内は今が田植えの最盛期です。
「だいぶん植えたんじゃが、あと2haあるけ〜植えてくれんかの〜」
すでに18日前に田植えが終わり、きれいに洗車し、注油までして格納した田植機の出陣です。
圃場整備してある田んぼですから20aの田んぼばかりです。
苗運びの応援を頼み、一気に植えていきました。
夜は、津和野町認定農業者協議会の役員会でした。
5月25日 松江市の葬祭会館において告別式がしめやかに執り行われました。
生前の功績、人徳から多くの弔問客が別れを惜しみました。
第3回島根青年の翼でお会いしてから35年になりますが、私の人生に大きな影響をいただきました。
久しぶりに団員とお会いし、今夏の再会を楽しみにしていたことなど話しました。
当時の先生は還暦過ぎでしたが、チェックのブレザーを着て、コスモスポーツに乗る粋でお洒落でした。
話術にも長け、ユーモアあるジョーク、小話が得意で私も今でも活用させていただいています。
同和、福祉、国防において活動し、その功績が認められ多くの表彰、叙勲を受賞しておられます。
帰りの車中、「先生と出会うことがなかったら、私ら〜一緒になっとらんかったかも知れんね〜・・・・・」女房がポツリと。
いい出会いを与えていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。合掌!
5月24日 今から35年前、島根県主催の海外派遣事業「第3回島根青年の翼」でヨーロッパに研修しました。
そのときの団長である野々村正明先生の訃報が松江市の団員から飛び込んできました。
野々村先生は社会福祉事業にその生涯を捧げられ、島根県社会福祉協議会の理事も歴任されております。
最後に先生にお会いしたのは2004年7月11日ですから、4年前になります。(右の写真)
お会いしたときはお元気で、つもる話をしたのですが・・・・・・。
今年は派遣35周年の記念事業を7月12〜13日に実施する予定で、再会を楽しみにしておりました・・・・・・。
先生は、当時女房と結婚をするときの仲介をとっていただいた恩師でもあり、明日の葬儀には駆けつけます。
5月23日 昨夜、全国版の事件が発生しました。
TVのニュースは全国版で朝からこの報道で持ちきりです。
田舎でも・・・・、この津和野の町でも・・・・・。
暗い話題ばかりの世相ですね!
5月22日 近所のおばあさんが亡くなられました。
朝から葬儀のお手伝いです。
集落も高齢化が進み、不祝儀事が増えていくことになりそうです。
4男1女を育て上げた大正生まれの90歳でした。合掌。
最近は斎場で行う家が多いですが、通夜・葬儀とも自宅で執り行われました。
年老いてくると「死んだら家で葬式をして家から送ってくれ〜の・・・・」よく言われます。
まだまだ集落内に人がいますが、10年後はどうなりますか・・・・・・・。
5月21日 「この結果を言っていいものかどうか・・・・・」思われたかどうか分かりませんが・・・・・・・。
「ドキッ!」がんの宣告を受けたらどうしょう・・・・・・・・。
ここは診察室・・・・・・。
朝から絶食して、腹部エコー、鼻から胃カメラ、血液検査、大腸がん検査・・・・・・・。
のどからする胃カメラは嘔吐が激しく、鼻からやりました。
鼻からする胃カメラは楽ちん楽ちん!皆さんも鼻から胃カメラをどうぞ!
「異常なし!酒を飲むための免罪符を発行するようなもの?・・・・・・」と、思われたかどうか。
5月20日 父の様態が快方に向かいつつあります。
人工呼吸器は外れましたが、自力での呼吸が出来るようになるまではまだまだですが・・・・・・。
これで一安心と言ったところですが、まだまだ予断は出来ません。
5月19日 日原共存病院の院長先生であった山形院長先生の送別会がありました。
先生は平成14年に院長として着任され、経営危機に陥っていた日原共存病院の再建をされました。
また、石西厚生連の「公設民営化」に伴い、日原共存病院を診療所にする方向付けを決断されました。
地域住民の方々から信頼が厚く、地域医療に関する使命感で今日までご尽力いただきました。
これまでのご功績は石西厚生連史上に大きな足跡を残されました。
新しく赴任されます病院でのご活躍をご祈念申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。
5月18日 夏季限定!「つわの冷麺」販売開始!
好評いただいております「つわの冷麺」の販売を5月1日より開始いたしております。
皆様の要望にお応えして、例年よりも早く販売開始です。
津和野町内の道の駅、「つわの温泉なごみの里」「シルクウェイ日原道の駅」で販売しております。
1袋(2食入)500円(税込)です。
通信販売もいたしております。左記メールまでご連絡ください!
5月16日 お知らせ!
今年度は「アイガモ農法」を中止します。
公務の多忙に加え、鳥インフルエンザ等取り巻く環境があります。
誠に残念ですが、「アイガモ米」の栽培を断念いたしました。
また、来年から環境が許すなら復活したいと思っております。
5月15日 太皷谷稲成神社の春の大祭です。
田植えも終わり、五穀豊穣、家内安全を祈願しました。

昼過ぎ、「無事男の子が生まれたよ!」との電話です。
父や母にとって7人目の曾孫誕生の知らせです。

転作している田んぼの草刈りです。(右の写真)
田植えが終わると転作している田んぼの管理に入りますが、まずは草刈りです。
トラクターのロータリーを外し、モアーをつけて刈ります。

夜、津和野共存病院に着任されたドクターの歓迎会に出席しました。
公設後における初めての常勤医師です。
以前赴任されておられた医師で、住民からも信頼の厚い先生です。
5月14日 昭和52年の今日結婚式を挙げましたから、32回目の結婚記念日です。
右の写真は挙式の時の写真です。
当時は現在のように前撮りとはなく、式の前後やお色直しを利用して写していました。
3月1日に結婚した長男の披露宴で使った写真です。
角隠しや紋付き袴が主流でした。
毎年結婚記念日はどこかで外食してお祝いしますが、今年は父の看病です。

父が体調を崩して入院してから1週間が経ちました。
交代で看病していますが、合間を見ては片付けや除草剤の散布です。
5月13日 雨晴 「どひょ〜!・・・・・」昼前に雹?霰?が降ってきました。
激しい雨と雷が鳴り、雹か霰が混じってトタン屋根が唸りました。
まだ田植えをしている地区があるので、驚いたことでしょう。
夕方苗を取りに来られましたので、一安心です。
母は姉と父に付き添っています。
女房は勤務が終わってから、益田赤十字病院の父の看病に出掛けていきます。
連日お見舞いに来ていただき、励ましの言葉をいただき感謝しています。
5月12日 連休が終わり、久しぶりのような気がしましたが今日から頑張るぞ!?・・・・・・・。
田んぼの水回りを一通り終え、片付けをしていきます。
ハウスの中は、140箱苗が残っていますが散水が欠かせません。
父の病状が気がかりですが、公務?も欠かせません?・・・・・・・。
夜食を差し入れて、帰宅しました。
5月11日 父の見舞いに帰ってきた長男夫婦を送って行き、益田赤十字病院に行きました。
病状は安定していますから、母に看病をお願いして帰宅しました。

今日は「母の日」です。
我が家にもプレゼントが届きました。(右の写真)
本来なら「母の日」を祝って一杯やるのですが、そんな状況ではありません。
5月10日 長男夫婦が父の見舞いに帰ってきました。
先日新婚旅行から帰ってきたばかりですが、見舞いに帰ってきました。
5月9日 晴曇 田植えが終わりました。
最後の田植えで枕地を植えていた時、携帯が鳴りました。
「熱が下がらないので益田赤十字病院に搬送するから・・・・・」付き添っていた女房からです。
「やっと田植えが終わったけ〜、お袋を連れてすぐ行くけ〜、頼むで!」
田植機を田んぼから上げ、そのまま帰って着替えをして飛んでいきました。
5月8日 田植えも追い込みに入りました。
父の入院で、悠長なことを言っていることが出来ません。
明日植えたら今年の田植えが終わります。
入院している父が気がかりですが、田植えだけは終わらせないと・・・・・・。
新婚旅行に行っていっていた長男夫婦が帰国したとのメールが届きました。
無事帰国して、一安心です。
5月7日 田植えの真っ最中です!
「熱が40度あるけ〜、付き添うけ〜、安心して田植えをしんさい・・・・・」
「早〜に田植えを済ますけ〜、もう2〜3日で終わるけ〜、頑張るけ〜の・・・・・」
5月6日 「熱が下がらんけ〜、今日も病院に行くけ〜・・・・・」
「田植えで忙しいけ〜、付いとられんけ〜頼むで・・・・・」
田植えをしていると、「入院になったけ〜」との連絡が入りました。
「田植えが終わったら、見にいくけ〜」
しかしながら、田植えが終わったのは7時過ぎです。
5月5日 朝起きると、父が「しも〜たことをした、やれんよ〜になった・・・・・」
「どね〜したんかね、えらいんかね?・・・・」
「熱が出て、風邪を引いたよ〜な・・・・・」
「休んどりんさいよ、手伝わんでもえ〜け〜・・・・・」
「熱が上がるよ〜なら、病院に連れて行って見てもらえよ・・・・」
言い残して、田植えに出掛けました。
5月4日 孫と一緒に連休を楽しむべく、宇部市の常磐公園に出掛けました。(写真右)
田植えの中休みですが、連休でもあり大勢の家族連れで超満員です。
いろいろな乗り物に乗って、楽しいひとときを過ごしました。

昨年までは子供たちが連休中は手伝いに帰っていましたが、今年は誰もいません。
長男夫婦は新婚旅行、二男夫婦はオーストラリアに赴任中です。
機会を圃場に移動するたびにタクシーを呼んで豪華な?農業です・・・・・・。
トラクターや田植機を移動しておいて、軽の箱バンで肥料や鍬等運びます。
最後にトラックで苗を運びますから、3台を移動するので距離があるとタクシー利用です。
そんなわけで、夜はライトをつけて作業することがしばしばです。
5月3日 「じいちゃん田植えの手伝いに来たよ!」
孫が2人でやってきました。
両親は勤務や夜勤で来られません。
田植えの疲れも吹っ飛んで、ビ〜ルの美味いこと!
一緒に寝てくれました。
憲法記念日です。
次男の誕生日です。
5月1日 県境を越えて、隣町の山口県阿東町地福に「足王神社」があります。
今日はその「足王神社」の大祭です。
津和野町内にもお参りする方が多く、出掛けています。
田植えをしていたら、「精が出るの〜、足王様のまんじゅうを食べんさい」差し入れです。
4月29日 3月に結婚した長男夫婦が新婚旅行に飛び立ちました。
行き先はヨーロッパで、5月8日に帰国予定です。
楽しんで来んさい!
田植えも順調な滑り出しをしています。
4月28日 いい天気です。
田植え日和です。
今日も一日植えるぞ!
200箱植えました。
明日は田植えの受託で午前中で稼ぎです。
4月27日 田植えが始まりました。
苗良し!体調良し!田植機良し!作業始め!
気持ちよく田植えが始まりました。
おかしいですね?施肥機能が不完全ですね?・・・・・。
樺キ嶺農機出動!
「こりゃ〜、錆ついとるけ〜、歯車が回っとらんで・・・・・」
スタートからこれですから・・・・・・・。
途中でなるより・・・・・・・・・。
そういう経過を踏まえて、以後順調です!
田植えの写真を写す時間も惜しんでの田植えです。
200箱植えました。
4月25日 昭和45年卒の益田農林高校農業科(現益田翔陽高校)の4人が久しぶりに花見をしました。
この4人は津和野町議会議員2名と津和野町の課長と私です。
JR日原駅前の居酒屋熊さんで一杯やり、その後スナックへ移動して何年ぶりかのカラオケを歌いました。
元気が出たところで、居酒屋蔵に移動して盛り上がりました。
大変遅くなって帰りましたので、怒られました、シュン・・・・・・・・・。
「おい、こら、おまえ」で話せる間柄は同級生だからこそ。
楽しいお酒でした。
4月24日 端午の節句が近づきましたから、我が家も冑を飾ります。(写真右)

代掻きも本格的にかつ順調にはかどっています。
明日は金融共済委員会があるので、ライトをつけて代掻きをしました。
27日の日曜日から田植えをすることになります。
明日は中入り?トラクターもエンジンオイルの交換をして骨休めです。
4月23日 町内高田地区で今年最初の田植えがありました。
代掻きに行くと、「あれれ!」田植えが始まっています。
そんな作業生を尻目に代掻きです。
今日の目標は1.5haです。
順調に代掻きは進んでいきましたが、最後になってアクシデント発生!
トラクターの前輪が何とパンクしてしまったのです。
雨が降りしきる中、レッカー車が来てトラクターをつり上げてのタイヤ交換となりました。
釘を踏んだ穴があり、どこにあったんでしょうね〜・・・・・・。
パンク修理が終わると、また代掻きです。明日も頑張るぞ!
4月22日 今日から田植え前の代掻き(植代)が始まりました。(写真右)
今月中に植える予定のコシヒカリ4ha分を代掻きします。
植代は丁寧に均一にするのが慣例ですが、そんなことをする時間も気持ちもありません。
さっさと代掻きして次の圃場に移動です。
ですから高いところや低いところがありますが、気にしていたら何日あっても終わりませんから・・・・・。
田植えをする苗も順調に生育しており、土曜日からの田植えが楽しみ!です。
春の作業は雨が降っても出来ますから予定が立ちます。
4月21日 朝から草刈りです。
草刈り機を使っていると近所のおっさんが見に来ます。
「傾いとっても、ええぐわいに刈るの〜・・・・・」
「お前の遊び道具にゃ〜ちょうどええの〜・・・・」
「早〜ことせにゃ〜、田植えが始まるで・・・・」
ここ高田地区は津和野で一番早く田植えが始まり、一番早く稲刈りが始まるところで有名です。
隣よりは何でも早く始めるか終わることが家訓?の様なところです。
そんな土地柄ですから仕事も丁寧ですし、周辺もきれいです。
4月20日 法面を刈る草刈り機の試運転です。(写真右)
農作業で今一番の課題は草刈りの軽減化です。
そこで、法面を刈る草刈り機を購入しました。
少し技術を要しますが、慣れてくると自在に操って楽勝!です。

朝から孫が手伝い?にやってきました。
早速育苗機を洗う手伝いに挑戦ですが、水遊び?と言ってはかわいそうです。
一生懸命手伝ってくれました。(写真下)
「じいちゃん連休には泊まり込みで田植えの手伝いするよ・・・・」
何と、泣かせる台詞を吐くじゃないですか・・・・・・。
「連休にはどっか遊びに行くかな・・・・・・・・」予定は未定です。
4月19日 昨日と2日続けて肌寒い一日でした。
田植え前の作業も本格化して、草刈りや植代(田植え前にする代掻き)が始まりました。
来週の土曜日から田植えが始まります。

上千原自治会の総会がありました。(写真右)
19年度の事業報告と決算について承認し、20年度の事業計画と予算案を承認しました。
4月18日 曇雨 同級生のお父さん(享年87歳)が亡くなりましたので葬儀に出席しました。
米寿を前にして亡くなられましたから、遺族の無念さが伝わってきます。
田んぼの仕事を一手に引き受けて頑張る方でしたから、突然の訃報です。
田んぼに水を引く作業中、誤って川に転落し、頭や体を打って救急車で搬送されたそうです。
家族の祈りもむなしく、搬送先の病院でお亡くなりになりました。
私の田んぼも隣接しており、作業中良く農業談義をした親父さんでした。
ご冥福をお祈りします。(合掌)

石西厚生連の介護老人保健施設「せせらぎ」の職員の4分の1が「一時救命処置(BLS)」の資格を取得しました。
この資格は緊急時に備えて心肺蘇生に対応できる体制強化のためです。(写真右は農業新聞の記事)
事務職を含め緊急措置に対応するため、昨年から資格取得に取り組んできました。
現在ではBLS資格者をはじめ、ACLS資格者も誕生し人工呼吸も出来るようになりました。
資格は講習会などで勉強して取得しています。
施設内にこのように多くの資格者を持っているのは誇れることでもあり、全国的にも有数です。
現場においての初動処置の重要性を認識し、独学で資格の取得をされた職員の皆さんに敬意を表します。
4月17日 JAグループ島根から石西厚生連に対し16日付で1億1200万円の支援があり、お礼にJA島根県中央会に出向きました。
またJA西いわみからも200万円の支援が同時にありました。(写真右は日本農業新聞の記事)

この支援は石西厚生連の存続をかけて、津和野町が「公設民営化」の決定をしたことによるものです。
JA島根県中央会とJAバンク島根県信連で支援に対するお礼を述べるとともに今後のご指導をお願いしました。
「町の公設民営化の決定により、農村医療発祥の地である当地に於いて施設を残すことが出来ました」
「県下農協組合長さんのご理解により、このような高額のご支援を賜り感謝申し得ます」
「今後は健全経営を目指し、地域住民の皆様から信頼される医療機関を目指して、役職員一丸となって取り組みます」
との決意を述べ、参事・部長共々お礼を申し上げました。
4月13日 津和野中学校の同級生で集まりました。(写真右)
花見を兼ねて呼びかけたところ、15名が参加して「割烹あおき」で一杯やりました。
「久しぶりじゃの〜・・・・・・、町内におっても全然会わんの〜・・・・」
「3年前に同窓会をしたけ〜、今年もするの?・・・・・」
「誰かが世話をせんと、なかなか集まらんよ・・・・」
「酔い探訪の会」の住所録を作成せにゃ〜いけんの〜・・・・」
「近日中に世話人会を起ち上げて準備に入ることにするか〜・・・・」
花見は盛り上がり、同窓会をすることになりました。
予定では、8月13日17時から旧津和野中学校跡地(現在の町民センター和室)です。
早めに帰省の準備に入ってくださいね!
4月12日 桜が満開になった頃から、近隣のカメラマンが撮影にやってきます。
私の田んぼの近くにも数名が高級カメラと三脚でやってきます。
私のお気に入りの桜撮影スポットをこっそりお教えしましょう。
野村満氏所有の桜 福田さん所有の桜 同左
町内高田地区の野村満さんの桜は8部咲きですが、田んぼの水面に映る二重の桜は見事です。
また、中原地区の福田さんの桜2本も見応えがあります。
撮影される方は農作物を踏み荒らさないで、出会った農家の方に一声かけてね!お願い!
お互い楽しい桜撮影や見物にしましょうね!

明日の流鏑馬会場
鷲原八幡宮
の馬場
見に来てね!
4月9日 雨風 横殴りの雨ですが、新しいトラクターのキャビン内はCDを聴きながら、代掻きは快適です。
満開の桜も強い風ですが負けずに?持ちこたえています。(写真左)
苗360箱を育苗機から出しました。(写真右)
4日前に出した苗はきれいな緑色になっています。
今日出した苗は、白い芽をしていますが徐々に緑になっていきます。
苗を育苗機から出した後は、また播種します。
今回の播種で1080箱になります。
4月8日 雨曇 春の交通安全運動が始まりました。
小川地区交通安全協議会では、小学生のバス停で交通安全を実施しています。(写真右)
なんと、ここのバス停では小6と小2の小学生が2名です。
我が家の子供の頃には、バス2台に一杯の小学生が乗っていましたが少子化ですね〜・・・・。
4月7日 雨曇 冷たい雨が降る花冷えです。
ハウスに出した苗も、寒さと戦っている?のでしょうか・・・・・。(写真右)
白かった芽も緑に変わってきています。

雨降り仕事として、床土を入れます。
次の播種の準備として720箱分床土を入れました。
春は雨が降っても出来る仕事がありますから、忙しいですよ。
4月6日 毎週日曜日は溝掃除です。(写真左)
それが終わると、水神祭りです。(写真右)
「イノシシを捕ったけ〜、一杯やろうで」てなわけで、今年の豊作を祈願しました。
夜は孫と一緒にくるくる寿司でお花見です。
4月5日 午前中、苗360箱ハウスに出して、その後360箱播種して午後試運転です。
写真上は仕事から帰って洗車を待つところです。
樺キ嶺農機の社長の説明を聞く時間も慌ただしく?乗り込んだキャビンです。(写真左下)
クボタキングダム31.5PSの威力は、最高!
何で早くM社に見切りをつけなかったのか?・・・・・・・・・。
「事故なく!丁寧に使用するように!」とのご意見をいただいておりますことを肝に銘じて頑張ります!

代掻きスタート前です

桜が満開の中座
記念撮影です!
4月4日 「さあ!代掻きをするけ〜・・・・・」
そんな意気込みも、トラクターは動きません!(写真右)
「社長!やれんで!ストじゃけ!・・・・・・」
「M社製のトラクター、去年本社に出して○○拾万円もかけて修理したのに、全然直っとらんでや・・・・・・」ブツブツブツブツ!
「M社のトラクターは16PS、20PS、25PS、37PSと乗ったのにろくな物に出会わんかったの〜・・・・・」
「クボタにするけ〜、明日の代掻きに間に合わせてくれんさい!どっかにあるろうがね、頼むよ!」
「米子にあったけ〜、今から取りに行くけ〜、今夜中には帰ってくるけ〜・・・・・」お世話になります、やれやれ!
多分、「こね〜な我が儘なお客はおらんで!」ブツブツ・・・・、言うたかな?・・・・。
いやいや!「春作業待ったなし!1日も早く納品せにゃ〜いけん!」使命感がなせる技です!
「ありがとうございます!樺キ嶺農機さんあっての津和野農業ですから!」感謝!感謝!

4月3日 田舎の節句です。
我が家でもおひな様が飾ってあります。

今日から本業に復帰です。
生くれになった精神と体、出っぱたお腹を引き締めて荒越しに出発!
エンジンオイル、良し!空気圧、良し!燃料満タン、良し!トラクター保険、良し!OK!
トラクターのエンジンも快適に、楽しい農作業に出発!
一路圃場に向けてエンジン音も軽やかに・・・・・・、レレレ?JA西いわみ津和野支所前で止まってしまった。
樺キ嶺農機緊急出動!
交通の妨げになるので駐車場に移動です。
タイヤをみんなで回して・・・・、通りすがりの人がみんな見てる、恥ずかしい!
こんな窮地に、JA西いわみ津和野支所の職員が応援に来てくれました。(JAで買わないトラクターなのに)ありがとう!
ホンダプリモ津和野の代車出動!移動して原因究明です。
レレレ!シエ〜〜〜〜!田んぼが水浸し〜。
荒越し、即代掻きです。通る人が笑っています・・・・・・。
そんなこんなの、つまずきながらの初日です。
最初が万事!雨降って地固まる?・・・・・・・。トラクター更新のお金ないよ・・・・・。ん?・・・・・・・・・。
今年が思いやられますが、「万事塞翁が馬」じゃけ〜!
4月2日 桜のつぼみもふくらみ始めています。
そんな車窓の風景に見とれながら、松江、出雲に出張です。
「公設民営化」がスターとしたことの報告とこれまでのお礼を兼ねて関係機関をまわりました。
「地域医療の充実に向けてますます尽力いただきたい」との激励を受けました。
「笑顔での挨拶から初めて、津和野共存病院は変わったとの評価が住民からいただけるように」との助言もありました。
「これからですからね!」その通りです。
帰る車中から見ると、早いところでは代掻きが始まっていました。
4月1日 新年度を祝うかのような春の日差しです。
石西厚生連の新年度の辞令交付を行いました。
コシヒカリの播種を360箱行いました。(写真左)
午後、おじさん夫婦が応援に来てくれたので、ハウスのビニール掛けをしました。(写真右)
田植えは、4月25日頃から始まるの予定です。
3月31日 石西厚生連が「公設民営化病院」としてスタートしました。
院長人事の辞令を交付し、津和野町や議会、保健所等関係機関に挨拶回りです。
「頑張ってください」との激励を受け、住民の期待をひしひしと感じます。
「一つの大きな山は越したが、これからが大変じゃけ〜の〜、これからじゃけ〜・・・・・」仰せのとおりです。
多額の血税を無駄にすることなく、心機一転再出発です。
3月30日 雨降りの中、農業用水路の溝掃除です。
朝早くから、関係する田んぼの溝掃除3カ所を行いました。
3月29日

津和野町と石西厚生農業協同組合連合会との間に、「公設民営化」に関する
指定管理者の基本協定書の調印式が行われました。
(写真は山陰中央新報山陰ワイド総合2008.3.30より)

これにより、3月31日から「公設民営化病院」としてスタートします。
指定管理者としての期間は20年度1年間となっています。
中島町長より「経営改善をして、医療の充実を望む」との式辞をいただきました。
益田保健所の中川所長、津和野町議会の後山議長より来賓としての祝辞をいただきました。
町民の皆様から信頼される医療機関として、医療サービスの向上・充実に向けて頑張って参ります。


3月28日 津和野町議会が開会され、「公設民営化」に伴う指定管理者に石西厚生連が決まりました。
特別委員会での審議を経て、全会一致で可決承認されました。
「石西厚生連は今後役職員一丸となって熱意を持って取り組むように」との意見をいただきました。
明日29日には調印式が行われます。
3月26日 JA島根中央会の臨時総会が開催されましたので出席し、2008年度の事業計画を承認しました。
この中には、石西厚生連に対する支援として1億1200万円が盛り込まれています。
WTO農業交渉・EPA交渉、
消費者理解促進にむけた安全安心な県内農畜産物の生産振興に関する特別決議
も採択しました。
3月25日 晴雨 津和野町議会の厚生連病院公設民営化調査特別委員会が開催され、事情聴取のため出席しました。
議員の皆さんから厳しい指摘や提案、叱咤激励を受けながらの中、答弁させていただきました。
最後には決意表明もしました。
JA組織として設立当時(大正8年)の原点に立ち返って運営をする様にと言うご意見もいただきました。
特別委員会の藤井委員長様、大変お世話になりました。
すでに「公設民営化」による施設の買い取りならびに関する条例は可決承認されています。
指定管理者として石西厚生連を指名することが全員賛成で可決承認されました。
あくまでも特別委員会での採決であり、28日の本会議での採決を経なければなりません。
順調にいけば、29日に調印し3月31日に「公設民営化病院」が発足することになります。
3月23日 種籾を浸水しています。(写真右)
今年もコシヒカリときぬむすめの2品種とヒメノモチを作付けします。
播種は4月1日からを予定しています。

今年度の溝掃除が早くも始まりました。
溝掃除をすると、今年も田植えの時期が来たな〜と、感じますが桜はまだ先になりそうです。

苗箱に床土(グリーンソイル)を入れる作業に入りました。
1袋(20kg)で6〜7箱出来ます。
1分間に3箱入りますから1時間で180箱入ります。
とりあえず720箱ほど床土を入れ、後日育苗機の組み立てに入ります。
3月22日 晴曇 津和野町柔道スポーツ少年団の前進である「津和野柔道教室」を開設された、
元津和野警察署の加納郁生氏が今月いっぱいで定年退職されます。
加納氏は、津和野から大田警察署に移動後も大森銀山で「銀山柔道教室」を開設されています。
津和野柔道連盟の有志で送別会を開催し、今までの労苦に対し感謝申し上げました。(写真右)
加納氏は故郷の鳥取県で第二の人生を送られるそうです。

樺キ嶺農機さんが恒例の春の農機フェアを開催しています。(写真右下)
春の作業が始まる農協に合わせ、予約をする農家の人が出掛けていました。
私も出掛けましたが、雰囲気に飲まれ衝動買いをしてしまいました。
乾燥機(30石)と籾摺機(4インチ)を予約しました。
今年は受託作業の大幅受託の復活です!

JA西いわみ津和野支所館内で地区別座談会を開催しました。
午前中は畑迫地区、午後は津和野・小川地区で行い、組合員の皆様からの要望等お聞きしました。



3月21日 「第3回島根青年の翼」35周年記念大会の案内が来ました。
21歳の時、25名の団員でヨーロッパに派遣されました。
あれから35年になります。
団員は各地で活躍されており、県連組織の会長や市町村議会議員等々多士済々です。
団長の野々村先生は90歳を超えてご健在ですが、参加はご無理のようにお聞きしております。
帰国後、5年ごとに同窓会を開催しておりますが今回は奥出雲町での開催です。
第1回は松江市であり、以後津和野町、松江市、出雲市、浜田市、というように持ち回りで開催しています。
幹事の皆様ご苦労様です。
3月20日 雨曇 こんなに寒いお彼岸の中日は数年ぶりです・・・・・・。
寒い寒いの連発ですが、墓参りも無事に済みました。
墓から帰ると「じ〜ちゃん」孫が墓参りに?やってきました。
苗箱に床土を入れる予定でしたが、急遽やめて孫と戯れて?おりました。
午後になって、下の孫の様子がおかしいのです・・・・・。
熱が出て、ひきつけを起こし始めました。
これは大変と、救急車の手配です。
小児科外来がある益田日赤に搬送することになりました。(大変お世話になりました!)
夕方になって落ち着いたので、家に連れて帰って安静です。
身近でこういう事例が起こるとは・・・・・・・。地域医療の確保に向けて頑張ります!
3月18日 花粉症には泣きたいような陽気です。
JA西いわみの地区座談会が始まっています。(写真右)
津和野支所館内では午前中木部地区でありました。
25名の組合員が参加し、情勢報告の後質疑に入りました。
「ATMの使用について・・・・・」
「購買品が他より高いのでは・・・・」
「病院はどうなっているの・・・・・・」
日頃の疑問が出ておりましたが、「これが組合員の声」なのです!真摯に受け止めて参ります。
3月16日 集落で景観を良くしようという話が持ち上がり、早速現地調査です。
田んぼの法面に彼岸花を植えることになり、鍬で球根の堀取りです。
幸いなことに集落の青木辰雄さんの畑に彼岸花が生えています。
1株掘ると50玉くらいありますから、それを肥料袋に入れて運搬です。
この秋には赤い彼岸花が咲くことを期待して、みんなで植えていきました。
益田市の鎌手地区は水仙が見事に咲いていますが、さてあのようになりますか。
3月13日 火事場後の片付けを集落や親戚の方と行いました。
地元の水津建築さんがバックホー2台で撤去しますが、とりあえず総動員で瓦の撤去です。
しかしながら、分別収集や産業廃棄物?マニフェスト等々簡単にはいきません。
瓦は山口県のあそこ、焼けた柱類はあそこ、鉄類はあそこ等々・・・・・・・。
大型重機がてきぱきと取り除いていきますが、人海戦術もなくてはなりません。
こういうときは、集落のパワーが見直されます。
婦人は炊き出しに汗を流し、あと数日で撤去が完了します。
3月12日 浜田市で「有機農業の事例報告会」がありました。
県内の実践している4グループより実績発表がありました。
それらの農産物の販売見本市がゆめタウンイズミで昨日より開催されております。
私の「津和野らあめん」と「つわの冷麺」も出品して、好評のうちに販売しました。
3月11日 連日の快晴で春本番?花粉症本番!
目がかゆい!痛い!鼻が出る!詰まる!う・・・・・・・・・・・・・・!
夜、集落内で火事が発生し母屋と納屋を全焼しました。
消防車も数台、地元の人や親せきも駆けつけましたが、火の勢いはとまらなっかたそうです。
先月も他の集落で火事があり、全焼していますがお気の毒です。
自治会では炊き出しをしましたが、夜間なのですべては夜が明けてからになります。
3月9日 晴雨 青木家の2代目、青木岩松(曾祖父)の37年の法事を興源寺において行いました。(写真右)
我が家は私で5代目です。
初代が、津和野町和田(旧小川・和田村)から現在地に所帯を持ったのが始まりです。
初代の墓石に「和田村 日熊倉エ門 三男」青木百助 と掘ってあります。
和田集落には日熊と言う名字がかなりありますから、たぶんこの分家と思われますが、本家はないと言うことです。
曾祖父は博学で、小さい頃からいろいろなことを教わったものです。
九十七歳という天寿を全うし、青木家の基礎を創った人でもあります。
3月4日 雨曇 石西厚生連と町との間で「公設民営化」の調印式が行われました。
3月3日 「じいちゃん、昨日はねディズニーランドに行ったんよ」孫の報告です。
「楽しかった?・・・・」
孫二人を連れて帰る準備です。
新幹線に乗って、楽しいそうな孫と疲れ気味?の両親です。
帰ると霙の洗礼を受け、「寒いの〜・・・」現実が待っております。
青木家の一大イベントが完了しました。
3月2日 昨日の余韻に浸る時間もなく、次男一家を送って成田空港に行きます。
大きな鞄4ケースをバスに積み込み、孫を連れホテル移動です。
「今度会うのは正月じゃの〜・・・・」
「体に気をつけんさいよ・・・・」
「稲刈りが終わったら、オーストラリアに来んさい・・・・」
「その頃には、下の孫も歩くけ〜・・・・」
手を振っての別れですが、出国ゲートに消えると女房の目からは涙があふれて・・・・・。
新橋の居酒屋で、二人きりの乾杯!
3月1日
長男の結婚式です。
台場のホテル日航東京で身内と友人・会社関係をお招きして披露宴を行いました。
親族紹介から始まり記念写真、結婚式、披露宴が始まったのは夕方の5時です。
主賓の挨拶や乾杯、友人の挨拶、ケーキカット、アトラクション等々、お開きは8時になりました。
妹、弟の結婚が先で真打ち登場?親としての勤めが完了した、嬉しい感無量の最良の日となりました。
後は孫の顔がいつ拝められるのでしょうか・・・・・・。




2月29日 朝からてんやわんやの忙しさである。
両親や孫4人を連れての大移動の始まりがそれである。
明日は長男の結婚式であるから、今日は東京まで、新幹線での移動です。
はたして、新幹線の中は孫の声で周囲のお客は迷惑だったことでしょう。
それでも無事到着して、ホテルに閉じ込めました。
その後、次男を迎えに成田空港に行きました。
なんと警戒の厳しいものです。(身分証明書の提示があります)
次男と久しぶりの面会です。
両親は中野の兄弟(母の弟)の家にお世話になります。(右の写真)
2月28日 2月27日、津和野町議会の臨時議会が開かれました。

石西厚生連「公設民営化」問題特別委員会の審査報告後、補正予算の採決がありました。

今回の補正予算は、石西厚生連の施設すべてを買い取るための補正予算で13億700万円です。
採決の結果、全員起立で可決承認されました。

特別委員会の審査課程における5項目の付帯意見は住民の声であると認識しています。
大変な血税を投入いただいたわけですから、労使一丸となっての健全経営が求められています。

「公設民営化」がスタートするわけですから、スムーズに移行できるように組織をあげて取り組んでいきます。
中島町長は「歴史ある地域医療の灯を消す訳にはいかない、地域の医療を守る」との、強い決意で取り組まれました。
町民の皆様から信頼される医療機関として健全経営が求められています。

右の写真は、山陰中央新報山陰ワイド政経欄より抜粋したものです。写真は別記事です。2008年2月28日掲載。
2月27日 雪曇 午後、大分から孫がやってきました。
3月1日に長男が結婚するため、両親に連れられて一時帰宅?です。
約2ヶ月間、大分のご両親には大変お世話になりました。(たぶん情が移ってしまって・・・・・)
式の当日は、花束贈呈の大役が待っています。
正月からあっていませんが、背も伸び一段とたくましくなっていました。(爺馬鹿?・・・)
父親が単身オーストラリアに赴任しており、結婚式の翌日には一家揃って成田からメルボルンに行きます。
2月24日 同級生が結婚し、友人を集めてお披露目がありました。
「昔ながらのやり方でやるので、謡曲(うたい)をやってくれんかの〜・・・・」
「若いときにちょっと囓った程度で、他人様の前でやるようなレベルじゃな〜け・・・・」
「ええけ〜、やってくれ〜の・・・・」
てなわけで、「四海波静かにて、国も〜治まる・・・・・・・・」無事終わりました。
同級生もたくさん出席し、同窓会?・・・・・・。
末永く、ご多幸をお祈りします!
2月21日 青木家恒例の「宅~祭」を行いました。
総霊社の宅野宮司様にお願いし、今年の家内安全、五穀豊穣など祈願しました。
我が家では「宅~祭」と言いますが、各地では「地鎮申」とか「春神楽」「御日待」などと言っています。
節分の後の「初午」に毎年行いますが、多忙につきスケジュールの空いた日が今日でした。
しかしながら、早朝から「緊急の会議を開きますから・・・・・」との電話です。
宮司様からお祓いを受けると、足早に?出向きます。
「何か、今年一年も激動?の予震・・・・・・」
長男の結婚式まであと10日もありません・・・・・・。
2月18日 昨夜の雪の影響で、辺り一面雪化粧です。
今日から確定申告が始まりました。
津和野地区のトップを切って、小川地区から確定申告が始まります。
小川公民館には朝早く8時には20人が列を作って待っていました。
昼前に終わりましたが、今年も消費税を納めることになりました。
消費税は所得には関係なく、売り上げにかかりますから大変です。
諸経費は値上がりですが、米販売代金は値下がり続きです!・・・・・。
それでも申告が終わると一安心です。
2月17日 雪曇 2週間後に結婚する長男の最終打ち合わせです。
結婚式に参列していただく方々に挨拶して回りました。
2月16日 確定申告の準備です。
多忙にかまけて仕事をしていない日がありますから、収入面での落ち込みがひどいです。
それに動力光熱費の大幅な値上がりが顕著になっていますね。
今年は仕事をして、大幅な収入アップをします!したい!
2月15日 晴曇 3月1日に挙式する長男の事前準備に大忙しです。
後2週間後に迫っており、東京に行っていただく兄弟や子供たちに連絡や荷物の発送等々・・・・。
それに一番大切なことがありますから・・・・。
何しろ東京での披露宴ですから事前準備が大変なのは言うまでもありません。
子供3人の内、最後に真打ちが登場の結婚式ですから力?も入ります!
あと少しで親としての勤めが終わります。頑張らなくっちゃ!
2月12日
曇雪 午前中、津和野町水田再編対策協議会に出席しました。

午後、津和野町議会の特別委員会に参考人として出席し意見を述べました。
今回の委員会は公開ですから、マスコミも数社来ていました。
今後の経営に関しての鋭い質問や厳しいご指摘もありました。
今後は町の指定管理者制度に則り、運営されることになりますが、その指名業者の候補者でもあります。
当面は粛々と単年度の赤字を出さないように、厳しい運営を余儀なくされます。
地域医療の充実も石西厚生連に課せられている大きな課題でもあります。
大切な血税を投入することになりますから、今までのような甘えは許されません。
2月8日

2月10日

確定申告の準備です。
受託した農家に作業料金の証明書を発行し郵送します。
2月4日
 〜
2月6日



全厚連の会長会議に出席のため、東京に出向きました。
羽田空港の着陸態勢に入ったころから、房総半島の平野部が一面真っ白に見えました。
前日の大雪(関東ではこのくらいでも)が降ったためですが、驚きました。
都内至る所に雪かきの跡が残り、屋根にも雪が積もっていました。
朝夕は雪が降り、寒さが厳しいようでした。立春なんですが・・・・・。
2月3日 雪雨 孫が遊びに来て、一緒に豆まきをしました。
大きな声で「鬼は外!福は内!」たくさんの豆を撒きましたから鬼は逃げていったことでしょう。
夕方から温泉に一緒に行って、パジャマに着替え益田まで送っていきましたが、車中でスヤスヤです。
明日かは東京に出張です。
2月1日 雪曇 島根県認定農業者組織ネットワーク設立総会が出雲市において開催されました。
津和野町認定農業者協議会の会長として、この会の設立発起人でもあり出席しました。
溝口島根県知事を始め三嶋県農協中央会会長他多数の来賓から祝辞をいただきました。
中国地方では初めての設立であり、全国では20番目の発足となります。
会長に、益田市の矢富氏を選出し平成20年度の事業計画並びに予算案を承認しました。
総会後、記念講演があり「果樹農家から果樹経営者へ」と題して、
山梨県農業生産法人(有)ピーチ専科ヤマシタ代表取締役の山下一公氏からお話しいただきました。
1月31日 島根大学医学部に出かけました。
1月28日 津和野町議会臨時議会が開会されました。
石西厚生連の全施設を町が買い取り、「公設民営化」を図るための補正予算が計上されました。
これを受けて、津和野町議会では特別委員会を設置し、石西厚生連等から事情聴取を行う予定です。
1月26日 晴曇 国民新党の亀井代議士の新年会が日原であり出席しました。
亀井代議士は郵政民営化を批判して離党していますが、根強い亀井ファンがいます。
会場は、亀井亜希子参議院議員も出席し出席者とカメラに収まっていました。
1月24日 雪曇 午前中雪が降ってきて周辺が白くなりましたが、午後はあがりました。

雪の降るのを窓の外に見ながら、津和野町水稲部会の総会が開催されました。
あわせてヘルシー米生産者の総会も開催されました。
提案された議案すべて可決承認されました。

益田市のショッピングセンター「ゆめタウン」の後ろにとてつもないタワーができています。(写真右)
憶測ですが、数日後には羽が付くんだと思います。
風力発電ではないでしょうか?
そのうちマスコミが報道すると思いますが、この後次から次に林立するんでしょうか?・・・・・。
1月20日 広島で開催されている「島根ふるさとフェア」に行くため新幹線で往復しました。
商品はすでに委託して販売していますから、顔を見せるだけのことですが・・・・・。
広島にしては珍しく大変な霙ですから、同時に開催されている駅伝の選手は可哀想です。
会場も思ったほどの人出はないのですが、やはり人混みに田舎を懐かしむ人で混雑していました。

18日に従兄弟が亡くなったとの報が入りました。
可愛がっていた従兄弟ですから残念でなりません。
後日焼香に出かけることにしています。合掌!
1月19日 雨曇 JA西いわみの平成19年度全役職員研修会が開催されました。
講師として地域組織経営アドバイザーの蛯原良雄氏が(写真右)
「21世紀を切り開くJA改革〜役職員の意識改革」と題して講演されました。
また、職員からは「レディース研修報告」としてこの1年間の研修報告がされました。
1月8日
 〜
1月11日




年始回りをするも、体調が優れません。
風邪をひいたようです・・・・・。
夕方には家族4人全員が風邪です。
「正月疲れが出たの〜・・・・」
1月7日 次男がオーストラリアに勤務になり、福岡空港から飛び立ちました。
見送りと荷物を積んで空港まで行きました。
「メルボルンは夏じゃの〜」
「体に気をつけて・・・・・・・・・」
「しばらく単身赴任じゃね〜、3月には会えるね〜」
「自動車は乗ってやるけ〜の」
「夕方シンガポールについて、明日の朝には着くけ〜」
こんな会話をして機上の人になって行きました。
「オーストラリアにいる間に何とかして行きたいね〜・・・・・」
無事到着することを祈り、飛び立つ飛行機を見送りながら交わす会話でした。
1月6日 上千原自治会の新年会がありました。(写真)

新年会に二男も出席し集落の皆さんに挨拶していました。
その後、明日の早朝福岡空港からオーストラリアのメルボルンに出発するため福岡に向かいました。

1月5日 石西厚生連の仕事始めです。
「公設民営化」がスタートする年にもなります。
津和野共存病院、日原診療所、老健施設せせらぎを回って新年の挨拶を交わし、今年1年の精進を誓いました。

長男も新山口から東京へ帰っていきました。
3月には結婚式を控え、いよいよ人生に節目を迎えます。
30歳になる今年は、結婚を機に大きく飛躍していくことと思っております。

次男は、オーストラリアへの海外勤務が始まります。
3月の結婚式に帰るまで、嫁さんと子供2人は大分の実家にお世話になります。
大分からご両親が、お忙しい中迎えにきていただきました。
結婚式で合流するまで、しばしの別れです。
結婚式が終わると、みんな揃ってオーストラリアに行って、家族揃っての生活が始まります。

孫4人に囲まれての正月は、嬉しいやら大変やらてんやわんやでしたが、あっという間に過ぎた豆台風でした。
「こね〜に賑やかな正月は何年ぶりかの〜・・・・」
「子供ら〜が、こまい(小さい)時以来じゃけ〜、20数年ぶりじゃの〜・・・・」
「今度会うのは、3月の結婚式の時じゃの〜・・・・」
お互いの健康を祈念しながら、別れはつきません。

両親
長男
次男夫婦

私たち夫婦
「羽子板飾り」

長女は
孫を連れて
旦那の実家へ
行きました
1月4日 JA西いわみ津和野支所の仕事始めです。
新年の挨拶を交わし、張り切ってスタートしました。
農業情勢が厳しさを増す中、農家のよりどころとしてその存在が大きく問われる年になります。

昨年逝去されました山田さんの1周期の法事が執り行われ、焼香させていただきました。
1年が経つのは本当に早いもので、昔話をしながら故人を偲びました。
1月3日 澄み切った青空が初詣に拍車をかけました。
駅前から渋滞を起こしていました。
やっと津和野の新年らしい風景に出会え、商売繁盛なりました。
これから商売繁盛の神様太皷谷稲成神社は初詣の参拝客で賑わいます。

今日は津和野町の成人式です。
成人される皆さん、保護者の皆様おめでとうございます。
我が家の成人式は今から10年前に始まり6年前に終わりました。
私の成人式は37年前だったんですね〜・・・・・。

同級生の益成さんの息子さん、「益成竜也」さんが映画やテレビで活躍されています。
この度、劇団「野良犬弾」の旗揚げ公演「日本の難民・西へ・・・作・演出 入江 悠の舞台に主演されます。
公演は、1月29日〜2月3日まで、場所「新宿シアターモリエール」、全席自由で3500円です。
益成さんは、今回初めて主演という大役をされます。(右の写真)
出演された舞台は「空飛ぶジョン万次郎」等、映画は「踊る大捜査線2」等、
テレビでは「僕が地球を救う」「逮捕しちゃうぞ」「茂七の事件簿」「食いタン2(7話)」等です。
お問い合わせは、 tatsu_actor@yahoo.co.jp  まで。


1月2日 雪曇 氏神様の千原天満宮の元旦祭が行われました。
宮司様の祝詞にあわせ、今年1年氏子の健康と豊作を祈願しました。(写真右)

我が家は正月2日目も朝雑煮を焚いて神前にお供えします。
夜はご飯をお供えします。
朝早くから台所で音がしますから、夜遅くまで飲んで話をしていた子供たちには大変でしょう・・・・・。
以前は、全員起こして神様にお参りをするようにしていましたが、今は規正緩和?です。
昔はどこの家庭でも正月の朝は揃って新年を祝っていたものですが、時代でしょうか・・・・・。
今では食材が豊富ですから、昔のように正月のお節料理が楽しみ?とはならないのでしょう・・・・。
我が家のお節料理のようにいたって簡素な方がいいのかもしれません・・・・・。
長女は夜勤明けで、孫を連れて帰りました。(旦那の実家へ帰りました)
ともあれ、正月が2日過ぎました。

明日は成人式が挙行されます。
成人式を行政で行うのは祝日法により挙行するのですが、ここで提案です!
祝祭日のない月に、「還暦の日」を制定してはどうでしょうか!敬老の日があるんですから。
そこで、行政あげて「現役引退式」とか銘打って、全国の津和野町出身者に通知して田舎に帰っていただき、
成人式同様に、「現役の引退」か「再出発を祝う」会を盛大にお祝いしてはどうでしょうか。
現役を引退して、みんなふるさとに帰りたいんですよ!
だけど、帰る切っ掛けがないんじゃないかと思うんです。
頭に変化をきたし、顔はシワが増え、人生の修羅場をくぐった同級生が集まる機会を全国に先駆けて制定してはどうでしょうか。
宿泊費はただ、片道の交通費助成とかなんとか考えたら、楽しいふるさとになりますよ!
「限界集落がなんじゃ!」「少子高齢化がなんじゃ!」「みんなで津和野を支えようで!」こんな嬉しい会話がでますよ!
こんなことを考える私も、あと3年先には還暦を迎えます。

家内安全
五穀豊穣
2008年
平成20年
1月1日


新年あけましておめでとうございます。
旧年中のご厚誼に感謝申し上げますとともに、本年もよろしくお願い申し上げます。

朝起きると、辺り一面真っ白の元旦です。
新雪に足を踏み入れ、まだ明けていない東の空に向かい、今年1年の家内安全、五穀豊穣を祈願しました。
今年は新年早々、次男夫婦がオーストラリアに海外赴任します。
3月には長男の結婚式があります。
子供3人が皆結婚し、これで親としての役割が終わります。
公務の方では、石西厚生連の「公設民営化」がスタートする年にもなります。

気持ちも新たに、若水を酌み、雑煮を作って神前にお供えします。(写真右上)
炒り子出汁に濃口と薄口醤油をブレンドし、蕪とともに煮ます。
根を張るように蕪を入れますが、至ってシンプルな雑煮です。
正月3が日は神事だけは男がしますから、神事が終わるまでは女房も寝ています。
我が家の神事が終わると、その足で初詣に出かけます。(写真右下)
初詣から帰ると、みんな揃って新年の朝の雑煮をいただきます。
雑煮と黒豆の煮付け、鯨のぬた、数の子、至ってシンプルです。

年賀状が届くまでしばし孫と遊びます。
「じいちゃんおめでとう!」魂胆ありありですが、招福です!
「おめでとう、お年玉をあげるけ〜ね」嬉しい出費です。
雪は積もっていますが、暖かい日中ですから、孫と雪だるまを作って遊びました。(写真下)




元旦の稲成神社



青木家勢揃い