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上画像は笹山地区の風景、矢印は往還の峠付近で矢印右のピークはこの地区では材木山(ザイモクヤマ)と呼ばれている。また、近くにきまんごく(木万石?)の地名もあり、豊富な木材資源がこの道を運び出され、津和野の繁栄を支えたことをうかがわせる。 法師山とザイモクヤマも違いはよくわからないが、法師山の三角点はこのピークの先にありここからは見えない。 笹山集落に入る道を入って行くと、集落を通り過ぎたところに神社がある。神社の手前から左折し林道がある。林道は約700m入ったところが終点。 左の地形図はGPSの軌跡を国土地理院の地図上に書き込んだもので、緑の線は探しながら登った軌跡で、赤色は下り道でほぼかつての道を歩いた軌跡です。 またピンクの線は以前椛谷側から探し歩いた軌跡です。 |
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→ 右画像は林道終点手前から左手に急勾配で登る作業道があるが100mばかり入ったところにある崩れかけた石積みがある。これは笹山伝法寺跡と言われている。伝法寺は当初椛谷の鈴の大谷山山中に創建されたが、約200年後この地に移された。 この寺跡を通る道が往還だという。 今回は林道終点から登ったが、すぐにこの道と一緒になる。 |
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← 08:35車から降り徒歩 林道終点から少しの間は、道がきれいに刈り払われているが、やがてそれも終わり直進すると杉の造林地の中にかすかな道の痕跡が認められる。 伝法寺跡からの道はここで合流する。 刈り払われた道を進むと谷があり、水道用のタンクが設置されている。 ↑が造林地の中に続く往還跡。 |
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→ いつの間にか道跡を見失い谷に沿って登っていく。ここも数年前の豪雨災害で荒れ歩きにくい。帰りに気づいたのだが道は十数メートル右側に認められた。 |
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← 土砂崩れで積み重なった瓦礫と笹藪に心はくじけそうになる。今回はほんの偵察のつもりなのだから・・・。 |
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→ 吉賀町(旧柿木村)と津和野町の境界の尾根に這い上がる。地籍調査のため笹が刈り払われ歩くのが楽になる。 残雪のある町境の尾根、この道を法師山山頂まで行き、そこから以前確認した山頂下を通る 往還に降り戻ることにする。 |
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← 10:32 法師山山頂三角点到着、ここから東側に降り以前見つけた道をたどれば境界尾根から下る笹山側の道がわかるはずだ。 山頂から造林地の中を横切る往還めざし降りる。 北の方向にほぼ水平に道は「続いている。 |
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→ 町境の尾根に出るとそこは、笹をかき分け這い上がった場所よりも少し下側、登る途中にここかもしれないと思った場所だった。近くにある岩に見覚えがある。この岩はまるで石碑のように見える。 ここから降り、往還跡は造林地に入るが、その途中に現在の杉とは違う大きな杉が何本か立っている。アシオスギらしい杉の木は、もしかしたら雪深い時期に、道を見失わないために、目印として植えられたのではないかと思う。 |
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← 瓦礫と笹をかき分け登ったそばの造林地、かすかな道跡はこの中にあった。 |
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→ 造林地の中に点在する石、地元の人の話では良質な石材があり、石積み用に加工された石が放置されたものらしい。いつの時代の物かはわからない。 |
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カシミールで表示させた道のり等 法師山の標高は905mですが、グラフにすると標高に誤差?が出てきます(理由不明)。 |
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後記 今回はほんの偵察のつもりで入り道を見失い笹藪には苦戦したものの、他は以外に簡単に目的を果たせたと思っています。 以前は通り抜けることができないほどの藪も意外なほど空いていた、藪も変化することを知りました。 また、途中あちこちで見かけたヤブデマリの木、季節が5月中旬なら新緑の上に降り積もった、雪のように鮮やかな花を見られるに違いない。 このルート法師山の直下(標高で50m程度)の所を通るので、少し藪 を刈り払えば法師山登山道として最適ではないかと思う。先の水害で椛谷側 から登るルートは途中の道が流れ通行不能なのだから・・。 今回踏査し記録した主な場所の緯度経度 林道終点:北緯34度26分59.40 東経131度47分23.45秒付近 笹山伝法寺跡:北緯34度26分58.19秒 東経131度47分28.00秒付近 椛谷往還-町境:北緯34度26分28.80秒 東経131度47分46.92秒付近 往還峠(法師山直下):北緯34度26分14.13秒 東経131度47分48.37秒付近 法師山山頂:北緯34度26分15.45秒 東経131度47分42.73秒付近 |
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