萬歳楽 
まんざいらく 柿木村文化財指定(昭和55)・ 島根県文化財指定(平成2年
 柿木村の下須地区に伝わる萬歳楽の歴史は古く、寛文12年(1672年)に当屋の火災により、神宝記録とも焼失し定かではないが、慶長7年(1602年)ごろからはじまったとされている。
家内安全と収穫を祝い、来年の豊作を祈願するお祭りであると言われている。現在の御神体はもち米であり、祭りが終わると前年の御神体は分けて持ちかえり、悪病払いとして使われる。現在では12月の最初の土・日に行われている。当初9戸で始まったこの祭り、現在のにぎわいはこの地が栄えた証でもある。
第一日は「よどの日」と言われ早朝から餅をつき、餅食いの日、第二日めは「ひのはれの日」と言い飯し食いの日で祭りは二日間にわたって行われる。TVなどでなじみのお椀の争奪戦「椀かくし」は飯食いの日に行われる。
これらの準備は数日前からが必要で、前日からは前ばなえと言い頭屋の組全体で手伝う。
11:10’今年の頭屋である三浦氏宅
頭屋はのぼりが立てられ、すでに祭典が始まっていた
よどの日」この祭りは主に隠居役が出席することが多い

2003年12月7日 「ひのはれの日」(飯食いの日)

 この日の行事は「コモシキ」と言われる人(村上氏)がとり仕切る。神官の祝詞奏上があり、拝礼が行われ厳粛なうちに終わる。続いて三献(サンコン)の儀は盃で御神酒を三献いただく、これを順次三回まわす。この後は酒を飲み料理を食べながら座は盛り上がって行く。

このあとが飯食いのはじまりである。頭屋はお客に腹いっぱい食べさせないと恥じと言われている。お客は椀高く盛られたご飯を食べなければいけない。やっとのことで食べ終わると男の意地で、「飯は無ぁのかぁ〜」「腹がへっとるんじゃがのぅ」などと、催促するもまた作法だと言う。
そこで言っては見たが腹いっぱいなのでお椀を隠す。ここで接待係の女の人とお椀争奪戦(椀隠し)が始まる。椀を取られてご飯をよそわれると、全部食べなければならない。食べ残すのは神を冒涜することになるのだ。



盛るのも技術が必要、高さの違いは技術の差
おとうさん!そんなに見つめないで!確かに高さは1番でしたヨ。
15分後、碗隠しのはじまり、首をしめて取るのは反則じゃない?


「取ったよ、取った〜♪」 「出しんさい!股ん中に隠しても引き出すよ!」 ♂「イタッ!」(^_^;)
「ドサクサにまぎれてオンブしちゃろう、若ぁけ〜」 「んぐゅ!」腕を食わさんといてくれる

大笑いの椀隠しが一段落するとしばらく休憩、その後翌年の頭屋を決める神事がある。

この神事は志願者の氏名を書いた紙を折りたたみ盆に載せる。神職の祝詞のあと御幣をつけた榊でなでる。そこで一つだけくっついて上がるものが、神意にかなった新しい頭屋ということになる。結果、翌年の頭屋は法師渕の板垣氏宅と決定。

続いて「かかぁ飯」に移る。頭屋の女主人が正装で挨拶し、順に飯をよそって回る。これはほんの少しの量でこれをいただいて飯食いの行事が終わる。

萬歳楽の舞」がはじまる。右手に扇子、左手にご幣をつけた榊を持ち御神体に向かい、あおぎ上げるように手を交互に上下しながら「万歳楽」「万歳楽」「万歳楽」と三回唱えこれを三度繰り返す。九戸ではじまったのにちなんで九株(九人)がこれを行う。

この後御神体の入れ替えが行われ、今年のもち米を半分と昨年の半分づつ混合される。混合された半分は御神体として納められ、残りの半分は氏子に配られ、ありがたい厄病を防ぐ御守りになるという。新旧混合されるのは、永久に継続され栄えることを意味する。

かつては地区全員が参加し「三石祭」とも言われていた。米が三石(450kg)も必要だったといわれ、「萬歳楽が当たれば身代限りをする」と言われた時期もあったという。


「♪萬歳楽萬歳楽♪萬歳楽」
参考文献:柿木村誌
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