眼鏡垰(道川街道)を歩く!    
   2015年7月作成  
   
 かつて匹見と道川を結ぶ重要な往還で道川街道と言われていた。この往還の標高750mの峠を眼鏡垰(めがねだお)という。県道307号線が開通する戦後まで使われていたという。また近年でも水害で帰れなくなった県道を避け、この峠を越え無事帰ったと言う話も聞かれた。

 今回その道を、道川小学校の皆さんと歩く機会を得られ参加させて頂きました。
 2015年7月10日行われたこの行事、案内してくださったのは道川の鼠谷氏であり、貴重なお話を多く聞かせて頂きました。
 医療機関の無い道川地区で重病人がでると、患者を戸板(雨戸)に乗せ眼鏡垰を超え、医療設備のある匹見に運んだそうです。
 また、眼鏡垰で行われた「坂迎え」の儀式なども行われたなど、多くのドラマが展開された場所でもあるようです。
これはその往還を道川下地区から眼鏡垰を超え、萩原地区までの約6.3kmを歩いた記録のごく一部です。

  
 
 
画像右下の道川下から登り左上萩原地区に降りた。左上の町並みは匹見。(赤点は鉄塔跡と眼鏡垰)
上は GPSが記録した軌跡をグーグルアース画上に描いた。
 
       下道川下地区の広場に集合した道川小学校の皆さんと同行した皆さん

 出発前の会では鼠谷氏から、この往還についての説明と
注意事項、マムシが多いので見つけても触ったりしないように・・! 

 
      8時34分出発
ここから入って行く 
道はきれいに刈り払われている。

(北緯34度36分30.55秒 東経132度03分43.57秒)
 
       特に湿度が高く蒸し暑い日、しかし木陰に入るとどこからともなく涼風が流れ心地いい。  
      9時04分
ここは山中にある棚田跡。かつては住居もあり棚田が広がっていたが、情勢の変化に伴い労力のかかる棚田の耕作は次々に放棄され、杉などの針葉樹が植林されていった。
このような光景は山村の多くで見られる。
 
        同じ場所にあるのは鉄塔の基礎部分で、鼠谷氏によるとここにはかつて道川・匹見・益田を結ぶ索道があり、ここにはルート上最高の鉄塔(約30m)が建っていたという。
黄色い丸印の中には当時鉄塔を固定していたボルトがコンクリートに埋め込まれている。


索道は大正時代に作られ昭和26年まで使われていた。匹見・益田間約23km、道川・匹見間約11kmで貨物専用だった。 この索道は道川からは坑木や鉄道の枕木などが搬出され、益田からは主に生活物資などがこの索道により搬入された。道路の改修によりトラック運送が普及、経営不振・施設の老朽もあり、昭和26年7月で運行を終了した。(Wikipedia)
 
       道ばたで見かけた怪しい花はツチアケビの花、葉緑素を持たず菌と共生することで成長する。この花は実を結び秋にはアケビに似たに似た実を付けることからツチアケビと名付けられている。
(私的にはウインナーソーセージに似ていると思う)

マウスポインターを画像に置くと切り替わります。
 
       棚田跡を過ぎイブシダニを渡り道は続く。 また赤谷を流れる水を飲んではいけないという。昔斬り合いがあり血が流れた、よって諸人飲むことなかれ。
 同じような言い伝えは私の住み近くにもある。サンガイミズ(三害水)と言う谷で往古3人が斬り合い、谷が赤く染まったという。あるいは鉱毒等がある水なのかもしれない。

 
←道幅は2m弱で他の古道とは違いしっかりとしている

 
チマキザサの中に育つ落葉樹、低木・中木・高木と多様であるから美しい。単一な人工林ではあり得ない。田中先生の言われるように、まさに生きた森林学習だろう。
 広葉樹の深緑を通す光はまさにグリーンシャワー。!すばらしいの声!。
 
       11時17分眼鏡垰到着 
GPSは北緯34度35分31.41秒、東経132度02分30.04秒標高は約750mを示している。

 暑くなった体から吹き出す汗は止まらないペットボトルのお茶を流し込むがすぐに汗になり吹き出してくる気がする。
 鼠谷さんの話ではこの石積みの前には、石段があり腰を降ろすことができたという。多くの人はここで休憩し下っていったのだろう。

 また道川に嫁ぐ匹見の花嫁はこの峠まで親族に見送られ、この峠で待つ花婿や親族にに迎えられ供に降りていったという。嫁入り道具もこの場所で引き渡される「坂迎え(さかむかえ)」の儀式も行われたそうだ。説明に往時の様子が脳裏に描かれる。
 
       峠の説明の後で昼食!暑く食事ものどを通らないと思ったが、体温の低下とともに弁当は空になった。子供達もにぎやかに弁当を広げている。 

 登ってくる途中に聞いた眼鏡垰の地名考については、眼鏡似にているからと聞いたが、木立越しに見える峠は眼鏡のイメージとはかけ離れている。
左図のような地形図、この場所よりも高いたとえば、春日山あたりから見ればそう見えるのかも知れない。
 
       出発前に道川小学校の全員で道川小学校校歌を聞かせて頂いた。 

恐羅漢(おそれらかん)の 谷深く 湧きて泉の岩を打ち なりてちひろの滝をなす ・・・・・

森に響き渡る元気な声での合唱に元気を頂きました。

12時20分下山開始
 
 
       出発前に見つけた大きなカタツムリ、田中幾太郎さんによると「イワミマイマイ」だそうです。
 島根県西部の日原町を模式産地として記載された、大形で重厚な殻をもつマイマイ類であり、生息が島根県西部で確認されているが、いずれも個体数が少ない。
生息地である島根・広島・山口三県の県境一帯は、豊かな広葉樹林が茂る原生林で、その山間部の沢筋の礫石の上に堆積した落葉の下は格好の生息場所となっている。陸産貝の中でも大形のマイマイ類であるが稀産であるため、詳しい生態はわかっていない。
(山口県レッドデータ参照)
 
この後の下りの道は少し荒れていました。おそらく雪崩などで路肩が削られたのではないかと思います。

 
       最後の峠ではみんなで「ふるさと」を合唱する。
兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき 故郷(ふるさと)

如何(いか)に在(い)ます 父母
恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出(い)ずる 故郷

志(こころざし)を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷


北緯34度35分35.71秒 東経132度02分11.87秒付近にて
 
     峠を下っていくとまた現れてくる杉の造林地、これもまた棚田跡のようだ。日当たりの良い南斜面で水も豊富、また棚田を支える石積みなど、大くの時間と労力で築きあげたのだろう。

14時26分、萩原地区に降りる。 イノシシよけの柵が設置されている。柵に沿って迂回し県道に出る。
 

この後マイクロバスで出発地まで送って頂きました。