大井谷 棚田まつり
2013年10月13日の「第16回大井谷棚田まつり」の記録です。
本日快晴!
吉賀町柿木村にある「道の駅かきのきむら」、ここから国道187号線を日原・益田方面に約2km行くと「白谷橋バス停」がある。ここにある「大井谷棚田祭り」の案内に従って大井谷に入って行く。
谷沿いの道をさらに2km進むと大井谷地区で、ループ橋で交通誘導員の指示に従い
車を駐車する。すでに駐車場は満車で道路左肩に駐車することになる。


白谷橋付近の国道187号線から大井谷線へと続く幟旗。この幟に従って大井谷へ向かう。



グーグルアースで見た大井谷の全景

先ずは展望台へ登る。収穫を終え稲ワラが焼かれた棚田はなぜか、今年一年の役目を終えてほっとしているかのように感じる。
せっかく登ったこの高さ、降りるのはもったいない。右手にある農道を歩き棚田上部を目指す。


 展望台の広場で拾ったドングリ、今年は少ないようだ。


イベントの一つ「スローウオーク」の答えの一つ。


この道は野草観察コース、ミゾソバの濃いピンクに足を止める。


ヤマイモは芋、ムカゴだけではなく花が咲き、こんな実ができる。


無数の石で積まれた石垣、巨石うまく包み込み地形に合わせうねるように続く、先人の苦労が偲ばれます。


最上部の棚田の標高は450m程にもなる。
棚田の標高差は約100mほど!



棚田と畑の番人、「ごくろうさまです!」


☆☆☆
大井谷の棚田で出来る米はおいしいことで知られています。標高が高く、昼夜の温度差が大きいこと、また森林から流れ出る良質で豊富な水に恵まれているからだと言われています。藩政時代には津和野藩城主に献上米としても差し出されたと言うことです。


 





 集落最上部にある岡屋敷(村上家)の上側にある水がめ。
水の豊富な大井谷、しかし、かつて日照り続きで渇水になり、人々は水を求めてこの場所へ来たという。(自然石を彫り込んだ水ガメ)
日照り続きでも水が絶えることがなく、人々の命を救った。以来この自然石の水瓶は「たすけはんどう」と言われるようになった。
水の豊富なこの地でもそのような大干ばつがあったのだろう。


棚田祭りを主催する「助けはんどうの会」の名称はこれから付けられた。

ここにもスローウオーククイズのキーワードのがありました。

三浦家先祖の墓、今も三浦姓が集まり毎年供養がされている。
風流な巨石の庭石?です(^_^;)。お地蔵様が鎮座されています。

☆☆
ここで大井谷地区の歴史について!

 大井谷地区は古文書「吉賀記」によると、今から600年ほど前の戦国の頃、大内氏に仕えていた三浦重経の一族が開いたと伝えられている。棚田は室町時代から藩政時代に築かれたもので、約600年の間補修や積み直しを経て現在に引き継がれています。


 左上の三浦家の先祖の墓に彫り込まれてる年号は元仁(げんにん)?甲申(きのえさる)とある。西暦年では1224年となる。今から789年前の年号であり、600年と言われている年代との違いは調べてみる必要がありそうだ。



この場所からの棚田もいい!のですが他の季節もいい!


刈り取られた稲株から出た芽には稲の花が咲いている。


ツリガネニンジン、山野草ファンも多いのか見入る人も多い。


神樂の舞台裏では開演前の準備中


祭りの間は歩行者天国!子供達も安心して寝ころべます。


やっとメイン会場へ到達しました。神樂の開演を待つ大勢の人。

おいしい豚汁でした@^_^@、二杯頂きました。他の店でも餅、むすび、こんにゃく棚田米なども販売されていて賑やかです。


 特設ステージでは石見神楽が演じられた。神樂は地元の白谷神樂社中により「おろち」などが舞われた。大蛇は5匹(頭)で迫力満点。
棚田に響き渡る笛の音は、きびしい中の喜びを感じさせる。

神樂動画

 まだまだ続く棚田まつり、残念ですが一足先に帰ります。この後、棚田スローウォークの当選者発表、棚田米のつかみ取り、そして最後はモチまきと人気のイベントは続きます。


 ☆☆ 現在大井谷地区では「棚田オーナー制度、棚田トラスト制度」を行い、この美しい環境を守ろうと努力しています。☆☆
オーナー達による秋の収穫風景(過去の画像より)

田植え

収穫の秋

「ねんごろに のづらいしつむ せんまいだ地元歌人の句碑

 
道路脇に駐車した車は何処までも続いていた。