蓼野砥石採掘跡を訪ねる   
   作成2017年12月24日  
 
 吉賀記を見ると、「蓼野村(たぜのむら) 砥石 御用砥石名有 鶉目 吉賀七つの名物なり」との記述がある。 鶉目(うずらもく)とはウズラの羽の斑紋のような模様の入っており良質とされた。

 この場所から東へ約1.5kmの所にある前立山遺跡(弥生時代~平安時代)、そこからもこの砥石が発掘されていると言う。昭和の戦後に入っても操業されていたが、今はその場所さえ忘れられようとしている。
砥石ヤマ」と呼ばれるこの場所だけでも見ておきたいと思い平成28年12月、一度訪ねたことがあったが、情報・調査不足で見つけることが出来なかった。
 今回は砥石ヤマのことをよく知っている蓼野本郷地区に在住の斎藤氏に会うことが出来、貴重な情報を得ることが出来た。 話によると昨年途中まで探しに行っていた事がわかり、偵察にのぞいてみようと言う気になった。装備は軽微だが幸いに別の用で持参したGPSもある。
 
このページでは平成29年12月10日(単独偵察)と、平成29年12月23日斎藤さんの案内で永安氏と3人で探索したデータで紹介したいと思います。

ここに砥石山ではなく「砥石ヤマ」と記述するのは鉱山を意味するヤマでこのように表記しました。 
 
 
 
   
12月23日の探索したGPS軌跡を国土地理院地形図上に落としたものです。
 
   
  棗(なつめ)の里交流会館か ら 約 300m 下 流 に 林 道がある。 林 道 に 入 る と蓼 野 川 に架かる橋を 渡 り 中 国 自動 車 道 陸 橋 下 を く ぐり 抜 け 入 る こ と 、 道は 荒 れ て い て や っ との 事 で 橋 ま で た ど り着 いた。
 後日23日には林業者が作業しており、中国自動車道近くに駐車しそこから歩いた。
 道路からの距離約 600m ばかり入ると左手に、 笹藪が現れてくる。この沢の奥に砥石 採取跡があるという。
 
 
道路から約600m、笹藪は濃いが10mも進めば開けてくる。 
 
   
  2本のワイヤーが残っているが、最後の操業時に切り出した砥石を運び出したという。
かつて治山工事のための作業道が100mばかり入っていたという。入って行くと画像の先は谷が現れる。谷沿いのかすかな道をたどって行く。

 
   
  林道から200m炭窯の跡は一つの目印、この場所から右手にある小さな沢の左ににかすかな道跡がある。この場所の座標を GPS は北緯 34 度 21 分 25.04 秒・東経 131 度 52 分 52.85 秒付近 と示している。
 
   
  沢を登り2つめの炭窯跡から左斜面を登る。このあたりではかつての道はほとんどわからなくなっている。数十年の歳月が過ぎている。当たり前なのかもしれない。

 
 
  10:17 最初に見つけた採掘跡。北緯34度21分21.97秒東経131度52分59.19秒付近)

 
 
   
10:20 近くでさらに発見。(北緯34度21分23.60秒東経131度52分59.01秒付近
この場所には架線が延びており、さらに上の採掘跡まで続いている。
 
 
10:38 3番目の採掘跡。(北緯34度21分25.50秒東経131度52分59.50秒付近)
この場所は12月10日単独での偵察の際に見つけた場所でもある。

  手持ちのナタで岩盤を削ってみた。少し硬いが削ることが出来る。砥石に違いない
場所により品質に善し悪しがあるという 事なので、良くない部分が取り残されてい るのかも知れない。

 ノミとハンマーで穴を刳り火薬を装填、発破作業で崩して採集したと聞いた。これら全体が砥石なのだろうか?砥石になる岩石が層になっているのかと思ったが、そうでもなさそうだ。
砥石に利用できる岩石には種類もあり、それぞれ成り立ちもちがうのだろう。

 
 
 
 現地から見た尾根の向こう側は朝倉地区
  朝、朝倉小学校横の道を作業者が上り、夕方には砥石を背負って降りてくるのを見たという人の話を思い出す。創業者によっては朝倉からこの場所に通っていたらしく、ここから尾根鞍部の方に向かい、かすかな道らしい跡もみられる。

 
   
   採掘跡のすぐ脇にある谷底へ向かうU字の溝、このあたりでは「スロ」と言っている。木材を運搬するために使ったり、ここでは不要な土砂、又は原石を落とし、谷で採集・加工したのかもしれない。
これもまた、それぞれの時代に多様な使い方がされたのかもしれない。この様な「スロ」はそれぞれの採掘跡にあった。

 案内の斎藤さんの話では谷に落とされた中にも、ある探せば良い物があるという。
 
 このあたりには他にも小さな窪みは多数あったが、たぶん良質な砥石を探した試掘の跡なのだろう。
 
   
 11:00 一番上の採掘跡、(北緯34度21分23.69秒東経131度52分00.93秒付近)
採掘跡画像左に架線の上部アンカーがあり、架線に使われていたブレーキ装置が残されていた。
 戦後の操業に使用していたものだろう。本線・複線の線が張られ、つるべ式に上下する滑車のワイヤーを制動していたのだろう。エンジンは不要で荷重で制動しながら降ろし、空の滑車が上がってくる仕組み。かつては木材の運搬にもこのような装置は広く使われていた。

  今回の探索で大きな採掘跡は4カ所見つかった。他にもあるのかも知れない。
 この付近からどれだけ多くの砥石が切り出され、どれだけ広範囲に供給されていたのかそんな資料がほしいと思いながら現場を後にした。

 案内して頂いた斎藤さんは注連飾り用のウラジロを採取し持ち帰るらしく、ここで別れ二人で下山する。
 
 
持ち帰った一個の塊をカットしてみた!右が蓼野産、左は柿木産です。
使用した感じはどちらも同じようで、いずれも少し硬過ぎる気がする。
 
 
   
 「御用砥石」とあるからには藩政時代、良質な物は藩に納められたのだろう。
 あちこちの農家の庭先で見かける蓼野砥石。これはこの砥石ヤマから拾ってきたものだで、良く研ぐことができるいい物だと持ち主は言っていた。
 この砥石は一度鎌を研がせてもらったことがあるが、なめらかで良く研げたのを覚えている。