弥十郎山トレッキング
 
 これは2016年10月30日に行われた、「エコビレッジかきのきむら」 主催の弥十郎山トレッキングに参加した記録 です。
 弥十郎山は吉賀町の北に位置し、安蔵寺山から連なる稜線にあり標高は822mほどですが、途中の展望がよく計画されたようです。

 下のマップは吉賀町の国道187号線木部谷から約3km入った付近の地形図です。地形図上の緑のラインは保安林管理道で青色の線は作業道です。また歩道は赤線で表示しています。GPSで測定した往復の作業道・歩道を歩いた距離は約6kmほどになります。
 
    2016年10月30日
集合時間は8:00、場所は柿木村木部谷の間欠泉のある「松乃湯」駐車場。
 すでに多くの人が集合していた。受付を済ませ送迎してくれるバスに乗り込む。

 
画像は吹き上げている温泉泉源、なぜか不思議な形に見える場合がある(これは犬男)。ぜひお試しあれ!
木部谷温泉は現在の松乃湯です。


(マウスポインタを画像に置くと切り替わります)
 
       町道木部谷線を登り、口屋地区から保安林管理堂には入る。
約1.8km入った場所にある作業道入り口でバスを降りる。
 
08:15
 案内される田中幾太郎さんの面白い話に、参加者は心の中をほぐされる。各自の柔軟体操で、心身共にほぐされ出発準備完了。参加者は二十数人だと聞いた。 


 
       数年前伐採され造林などのために作られた作業道は視界をさえぎる物が無く展望は最高だ! 

 左から盛太ヶ岳、それに続くように中央の鈴の大谷山山塊、少し奥には高岳山、柿木の象徴的な山である「とびのこやま」はこれなのか?と思うほど小さく見える。

 また、この場所はすばらしい雲海が見られる場所であるに違いない。

(マウスポインタを画像に置くと切り替わります)
 
     尾根に巡らされた作業道、青野山、法師山がかすみ、その中に薄く十種ヶ峰も見える。

 賛否両論あると思うが、単一の樹種で植林され数十年後、豪雨による被害が懸念される。これは今までに見てきた各地の豪雨災害が物語っている。造林が経済的効果だけでなく、自然環境を損なわず、災害を引き起こさない林業は難しい課題かも知れない。
(個人的な意見です)

 
 
    10:00
 作業道から外れ尾根を上がると稜線にでる。笹はそれほど深くない、弥十郎山の三角点は約1km下方になる。
 
 
     稜線で見かけたムラサキシキブの実は光沢があった。
今年は気温が高く、紅葉はもう少し先のようだ。 
 
   地面近くに鮮やかな実を付けているのはツルシキミ。   
   勝手に名付けて「ヘビの木」、不思議な木です。樹種はミズメですが、巻かれている木も巻き付いている木も同じなのです。下は一本の木、途中から巻はじめ、上ではまた一本の木になっています。
どのような生い立ちだったのでしょう?
 
 
     イノシシの寝床、牙で笹をかり集めている。尾根でよく見かけるイノシシの寝床は、日当たりがよいからなのか?、それとも逃げるのに都合がいいからなのだろうか?

 その他に栗木の樹上にいくつかのクマ棚も見られた。
 
     目的の弥十郎山は近い、コナラ、ブナ、ミズメ、コシアブラ、モミジ、シデなどが育っている。かつて伐採されたであろう森が再生されているのだろう。 

 目に入る紅葉はツタウルシと一部紅葉したウリハダカエデ、晩秋は名のみの感がある。
 
     2016年10月30日11時11分
3等三角点のある弥十郎山に到着、三角点標柱の意味などをガイドの田中幾太郎さんから説明を受ける。
「三等三角点と彫り込んである方が南になる云々・・」。
 腕時計のコンパスで見ると少しずれている気もする。地球の自転軸の北と、磁北の違い(7°)以上のように思うが、いまはそのようなことは問題にならない。
 
 
    11:28
弥十郎山三角点で記念撮影!

カメラマンは多くのカメラのシャッターを押すのに忙しそうです。
 
    
地名考 
 弥十郎山の地名について「柿木村誌」「六日市町史」「吉賀記」等で調べてみたが、その中に記述は見つけることが出来なかった。 おそらく高尻地区を開発した河野弥十郎通弘に由来するのでしょう。
 河野弥十郎の先祖である河野水軍は源平合戦において源氏に従い、屋島・壇ノ浦の戦いで軍功をたて四国で一時期繁栄しました。その後衰退したが、伊予高縄城主河野氏の子孫、河野弥十郎入道越智通弘は約700年前、吉見家(津和野城主)を頼り高尻に居住すると吉賀記は伝えています。
 当初、現在の田丸に落ちて来ると川の流れをたどり高尻にたどり着き、現在の「樋の谷口」から、谷を数百メートル入った所を伐り開き、屋敷を建て、田畑を開き、自ら長となりこの高尻地域を繁栄させました。
吉賀記ではこの屋敷跡を「伐入屋敷(きりいりやしき)」としています。 
この屋敷跡「伐入屋敷」のある樋(ひ)の谷(たに)を遡ると弥十郎山になります。

 弥十郎には三人の子供があり長男は高尻に、次男弥七郎は斎藤と改め見迎村(柿木)に住み、三男助七郎は大野原に住みそれらの地を治めました。
 河野氏の家紋は町内の家でも使われているようです。またこの紋のある庄屋の墓と言われる古い墓もあるようです。

 私的には弥十郎山の地名は古くから言われているのではなく、国土地理院が三角点を設置した時、三角点の名前として、この地の歴史を踏まえて付けたのではないかと考えています。

 
       12:30昼食
 見晴らしの良いところでの昼食と云う事で作業道まで下山しての昼食!熱くもなく寒くもなく心地よい。
 一人ならここで暫く昼寝をするところだ。

 
       昼食場所から見た弥十郎山(右端のピーク)。
空を見上げると小鳥の大きな群れが飛び回っている。それを狙っているのか、ハイタカらしい鳥もさらに上空で飛び回っている。
 
   
ふるさとの山並みに向かい「ふるさと」を合唱中
   13:20
 恒例となった♫ふるさと♫の合唱です。


1.うさぎ追いし かの山
  小鮒(こぶな)釣りし かの川
  夢は今も めぐりて
  忘れがたき 故郷(ふるさと)

2.如何(いか)に在(い)ます 父母
  恙(つつが)なしや 友がき
  雨に風に つけても
  思い出(い)ずる 故郷

3.志(こころざし)を はたして
 いつの日にか 帰らん
  山は青き 故郷
 水は清き 故郷

 
   ふるさとの山ぁええぜゃ」幾太郎さんはいつもそう言われます。

 
     この後林道まで下山、バスで集合場所の松乃湯駐車場で解散!
「お世話になりました」「ありがとうございました」「また逢いましょう」の声でそれぞれの帰途についた。