Copyright (C) 2004 Totokian Allrights reserved.

 

蒐集家
 
 
 

 行灯堂は、名前の通り、黄昏時あたりに店を開く。

 鄙びた町のはずれの、年がら年中物悲しさを漂わすススキ野原の片隅に、ぽつんと一軒建っている。
  商売を営む立地条件としては、この上なく悪いといえる。

  主に古書、時には多少の古美術品も扱うこの店の外観はといえば、それ自体が品物のひとつなのか、と思わせるほど、周りのススキ野原に同化しかけている。
 その上店主は、うち崩れそうな店に不似合いな若造、いや実際の年齢は判りかねるのだが、ともかく頼りない風貌で、一見客から見れば店への不信感倍増の要因以外の何者でもない。
 オールバックにした黒髪の前部分が、ほつれてタラリンと額に垂れた頭が情けない。少し青みがかったシャツに蝶ネクタイ、黒のズボンと揃いのベストを着込み、事務用の腕抜きをして、丸縁めがねのゆるみを気にしつつ品物の陳列を確かめる、やや猫背なこの店の店主、名を雪政という。
 だが彼を含めた店全体の見た目に反して、扱う品物は、ある種の客の好奇心をそそるのに十分な代物が多い。

 いわゆる、「いわく有り」の品物が、この店のメイン商品なのである。

 その客は、年の頃60を過ぎたぐらいで頭はやや薄めだがもみ上げが立派で、和服を羽織り一見堂々として見えた。が、入店するなり落ち着かなげにキョロキョロと店の中を見回し、う~んと納得したようにうなって、最後に雪政を見て、ちょっとがっくりしたように眉を寄せた。
 余程自分の風貌が頼りなく見えたのだろうと雪政は思ったが、いつものことなので気にせず、にこやかに応対した。
 「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
 客は、うう、と喉からうめくような声を出してじっと雪政を値踏みするように見つめた。
 そして、低く腹に篭もるようなしゃがれ声で、問うた。
 「……噂に聞いたんだが、ここに『狂斎の肉筆本』というのはあるのかね?」
 雪政は、にっこりと笑って、客を奥のテーブルへと導いた。

 「お買い求め頂くのは結構なのですが、どうかこの本を開くことだけはなさいませ んよう、くれぐれもお願いいたします。」
 品物を目の前に置かれて手を出すなという、矛盾した話を聞かされるのは、客にとってさぞ嬉しくないだろうと思いつつ、雪政はいつもの「約束事」を口にした。
 これ無くしては、話にならないのだから仕方が無い。
 テーブルの上には古びた和とじの画集。筆で書かれたタイトルを覆い隠すようにして、封印の御札が貼り付けられている。多分こういう品物のマニアには、その御札さえもたまらないアイテムなのを、雪政は商売柄よく知っている。
 果たして、客は反論した。
 「いや、開くさ。買ったのだからわしのものだし、これにまつわる言い伝えなど、 わしには気にする必要も無い」
 おや、と雪政は思った。
 この客はどうやら余程の正直者か、もしくは自信家なのらしい。止められていても中を見たいと思うなら、この場では黙って了承して本を買い、家に持ち帰ってこっそり見るというのがむしろ普通なのではないか。
 「…言い伝えをお信じにならないので?」
 雪政は、上目遣いに客の顔を見ながら問うた。何を思ってはっきりと反論するのかが、知りたい。
 言い伝え自体は、信じるには根拠があやふやな観がある。
 江戸時代末期に活躍したと言われる細工師、伊藤狂斎。
 絵師ではなかった彼の、残した肉筆画集はこれ一冊のみ。本来細工師であった彼が、なぜ画集などを編んだのかは定かではない。そしてその中身がまた尋常ではないという。
 すべてが妖怪画なのだ。それも名だたる大妖怪ばかりの。その描写力は凄まじく、まさに本物の妖気を吐く、とさえ言われている。
 本を開けばただでは済まない。やれ、開いた途端本の中に取り込まれただの、黒い雲が湧き出て開いた人物を覆い、衣服を残して体が溶けてしまっただの、そういった、思い込みから発生したデマともつかぬ色々な噂が、証明もなされぬまま先行しているのだから、言い伝えを信じない者の気持ちも解からなくはない。
 だが、こういう「いわくつき」の物を好む輩は割とそういうあやふやなことでも信じたがる傾向がある。この客はマニアに見えるけれども異質なタイプなのか、と雪政は思った。
 (だがこの本は、本物だ)
 傍からは頼りなく見られるけれども、雪政にはそういうものを見分けられる能力があった。封印していて尚、この本からは、異様な妖気がわずかに漏れ出しているのを感じる。
 (さて、こうも開きたがる相手に、どう対処しようかなあ)
 慣れたことではあるので、雪政はのんびりと考えあぐねていた。だが、
 「信じているさ。だからこそ開くのよ」
 客はふふん、と不遜に笑いながら言ってのけたのである。

 「ご店主は、お若いながら、こういう言い伝えの類には余程気をつけておられると 見える」
 客は、笑いながら揶揄するように言った。
 (楽しがられているねえ…)
 ほとほと自分はふがいないタイプに映るのだろうと、雪政は諦めつつ答えた。
 「はあ、まあこういう商売をしていますと、中には怪しげな物とも出会いますしね 、用心する体質になっちゃいまして。」
 もっと強く危険性をアピールしないといけないだろうか、と思ったが、こんな力の抜けた言い方になってしまった。しかしこの客は、言い伝えは信じていると言う。だが、怖がったりはしていない。その強気の根拠は何なのか、興味がある。
 「お客様は、言い伝えをお信じになっているのに、怖くは無いのですか?」
 「怖い?」
 「はあ、普通はそうじゃないかと…」
 「怖い…、怖い、ねえ…」
 客はふいに、いたずらっ子のような表情を雪政に向け、クスッと笑った。
 「怖いといえば、ここに来る途中で、不思議なものを見たよ」
 「は?」
 突然話題を変えられて、雪政はつい間抜けな反応をした。客はそれには頓着せずに続けた。
 「光る首さ」
 「光る、…首?」
 「頭上10メートルくらいの高さで、わしの後をずっとついてきおったよ。耳に羽 が生えていて、それで飛んでるんだな。首だけの化け物がね」
 雪政は、じいっと客の顔を見つめた。化け物話をしみじみと話す客の表情は、「怖い話」といいながら、自身も怖がってはおらす、また雪政を怖がらせているようにも見えなかった。
 「あの時たまたまわしは、独り言をつぶやいていたんだが、…あの耳とも羽ともつ かぬものに、果たして届いたのかねえ…」
 彼はまるでそれを近しいもののように言った。まるで、自分も同類である、とでも言うように。
 にわかに、外の闇が明かりのついた店内を侵食してきたような気がした。気のせいか?なんだかいつもより、部屋の隅の暗がりが濃く感じるのは。
 雪政は、この客は絶対に本を開くだろう、と確信した。
 「とにかく、この本は絶対に開かないで下さい。何が起こるのか保証出来ません。 開けたら最後かもしれませんよ!」
 自分にしては強く出た言葉だったが、客はそれを軽くいなした。
 「いや、見るさ」
 「~~~その手の話は信じると、さっき仰ったじゃないですか」
 「ああ、もちろん。──ご店主、この本のもう一つの言い伝えを知っておられるか ね」
 「も、もうひとつ?」
 客の足元から、目に見えない闇が徐々に立ち上ってきているような気がする。いや、目を凝らしていても確かに。これも、気のせいなのだろうか?
 雪政は、本を持って客の傍からじりじりと後ずさった。
 「ああ。さっきまでのは、人間側に伝わる話だが、」
 闇が。客の腿を、腰まで。まるで生き物のように。

 「もう一つは、──妖怪側に伝わる話さ」

 客の全身が、闇に支配された。

 雪政は、逃げようとして肩を掴まれ、その妖気の凄まじさに思わず震えた。
 真っ黒な気配が、にやりと笑う。
 「名だたる大妖怪が、描かれていると言ったなあぁ?」
 店中に響きわたる声。気味悪く間延びする言葉が、元口であったところから黒く滴り落ちるようだと思った。
 「それらが本物の妖気を吐くというのは本当さ。もしそれを妖怪が喰らえば、並の 妖怪でも大妖怪へと化けるそうな。」
 本には封印が施してある。だがそれも、この相手に果たして通じるのだろうか?
 「ましてや、元から大妖怪である者が喰らえば、尚の事!」
 「うぁっ……!」
 闇の者は、無理やり雪政から本を奪い取り、彼を壁に突き飛ばした。
 力任せに封印を破り、本を開く。
 一瞬、ものすごい圧迫感が店を揺るがせ、本の中から大量の妖気が、開放された喜びに震えながら全体に広がった。
 「おおお…!」
 闇の者は、舌なめずりをしながら、愛しげに本を撫でた。
 「この、妖気、全部、全部わしのものだ…」
 まさに本ごと喰らおうとしたその瞬間、周囲を浮遊していた妖気が、闇の者をぐるりと包み込んだ。
 「あ、あああぁ……っ!?」
 闇の者の体が徐々に透き通り、その分圧縮するかのように周りの妖気が彼を押し包んで、どんどん小さくなっていった。
 「た、助け……」
 うめく声もか細く、煙のような妖気と共に排気口に吸い込まれるかのように、闇の者の手を離れ宙に浮いたままだった本の中へ。
 本はすべてを飲み込むと、満足したみたいにフッと力を抜いて、静かに床へと落ちた。

 「あいたた…、全く、乱暴なんだからなー」
 雪政は後頭部をさすりながらむくりと起き上がると、本を拾ってパタパタとホコリを払った。おもむろに最後のページを開く。
 「これでまた、1ページ、と」
 満足げに新たに増えたページを眺める。それにしても、
 「狸の妖怪だったのね…」
 そこには丸々と太った化け狸の、ページ一杯に涙目で、「出してぇ、出してぇ」と訴えている姿があった。
 「言ったじゃないですか、開けたら最後になるかもって」
 唄うように微笑みながら、雪政は言う。
 「狂斎はね、細工師だったんです。絵なんか一枚も描きゃあしなかったんですよ。 」
 聞こえているのか、絵の中の狸の目が大きく見開かれていく。
 「檻を作ったんですよ、彼は。本自らが餌となって、妖怪をおびき寄せ、捕らえる 檻を、ね」
 では自分は、まんまとだまされて、それまでの妖怪と同様に、絵としてこの中に、このまま。
 真っ暗な絶望感をたたえてうつろに開く狸の目に、店に来る前に出会った光る首が、雪政の周囲を旋回しているのが映った。
 「ごめんね、あの2つの噂も、オレがまいたんです。実は」
 済まなそうに告げる雪政に、左肩にとまった光る首が何かをささやいていた。
 彼の式か───、狸は悟った。
 渾身の力を振り絞り、紙の中から指の先を浮き立たせ、本を持つ雪政の手の先に添えて懇願した。
 「助けて…」
 これが精一杯、もう自分にはこれ以上の、力は。
 だが、雪政は少し悲しそうに告げる。
 「駄目ですよ。───だってあなた、ここに来る前につぶやいていたんでしょう?
 わしこそ、あの本に載るにふさわしい大妖怪だ、…って、ね」
 狸の指先が、力なく本の中に沈んでゆく。
 ああ、確かにそうでしょうね。少なくともあの封印を自力で破ることが出来たのだから。
 言葉にせず、雪政は静かに本を閉じた。

 (でも、私が人間に見えているようでは、まだまだなんですよ)

 新たな封印を施し、本を奥の書棚へ以前のように仕舞い込む。
 わずかに漏れ出す妖気で周囲の空間を震わせた後、本はまた、しばしの眠りにおちた。

 
 
end
 

 

 

<close>