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カゲロウ
 
 
 

 初めて会ったとき、嘘、と思った。
 予想していた姿と、あまりにも違っていたから。

 視野いっぱいに広がる猫じゃらしのふさふさとした穂の上で、「それ」は微笑んでいた。
 茎はたわみもせずに、風に軽く吹かれるままになっている。
 目の前の「それ」は、そこに確かに存在するように見えるが、重みは全くないらしい。
 大きさは、手のひらに乗るくらい。
 頭の色が、額の中心から右が薄い緑、左が濃い緑に曲線で分かれており、後頭部のやや上から、一本の長い茎が、その先に葉っぱみたいなものが付いている。
 顔色は人と同じ肌色で、糸目のような目らしきものがある。もしかして開いていないのかもしれない。
 丈のやや長い中国服のような上着と筒状のズボンの左右がそれぞれ頭と同じ配色で、上下で互い違いになっている。
 ズボンの裾から覗く足の形状は、人に模したというよりは、むしろ鳥に近い。おそらく、「それ」の元の姿に一番近いのだろう。
 全体像としては、一見小人に似ているようだが、細部を見ると、全く違う生物の姿に映る。動物とも、植物とも。
 それが。
 揺れる穂の上に座って、風のリズムに合わせて足をブランブランさせている。
 楽しげに。
 無邪気、としか言いようが無い。
 体の周りには、薄い緑色の光臨が光っていた。
 なんだか暖かそうだな、と思った。

 「…あんたが十一番目の?」

 とりあえず人語で話しかけてみた。通じるだろうか。
 人類がこの星に誕生して以来、都合の良さから人に擬態していて久しい。
 でもそんな自分の姿も、「それ」には一体どう映っているのだろう。
 「それ」は、ものすごくゆっくりと小首をかしげ、「はてな?」という顔をした。
 通じていないようだ。
 「それ」はふわりと舞い上がると、くるりくるりとおれの周りを旋回し始めた。時々動きを止めては、襟足や耳の奥を、じーっと見たりする。くすぐったくなりそうで、どうにもやりきれない。
 小首を不思議そうにかしげ続ける様子を見ていたら、ふいにその柔らかそうなほっぺを、ぷにゅ、と突付いてみたくなった。
 恐れ多い。なんという衝動だろう。
 いやむしろ、危険なことかもしれない。 
 だって、いくら無邪気に見えていても、「それ」は。
 可愛らしすぎるその姿は、あまりにも本体のそれとは、かけ離れていたのだから。

 解かってはいるのに止められず、おれはそのほっぺを突付いたつもりだった。
 指先は、感触を味わうことなく、ほっぺの中へと沈んだ。
 まるで、立体映像の中に指を突っ込んだみたい。
 おれは、酷く悲しくなったような気がして、目を泳がせた。
 人のような感情なんて、ないのだけれど。

 ところが、なぜか「それ」は突然、驚いたように顔を上げると、おれに向かってこれ以上ないくらい嬉しそうに笑った。
 まるで、花が一気に満開になったみたい。おれは先ほどの悲しい感じをすっかり拭い去られ、それに見入った。

 ごくたまに、「それ」はこうして「夢の姿」で遊ぶだけ。
 本体は、この丘全体にうずもれている。
 ここから動くことは出来ない。時間の中を行き来する事は出来ても。
 この「場」に縫いとめられたまま、ずっと眠らず、夢を見ている。
 「この世界」の夢を。 永い、永い間。
 「それ」が眠れば、「夢」は消える。
 おれも、あらゆる事物も、何もかも。この世界のすべてが。
 「夢」をつむぎながら、「それ」はこうして時々「夢」の中に「姿」を飛ばして遊ぶのだ。
 まるで、子供のように。

 過去にこうして目撃された姿は様々ではあったが、一貫して恐れを抱くものが多かった、と聞いていた。
 なぜ今、こんな可愛らしい姿で現れたのだろうか。
 単に気分的な理由からか。たまたまそれに、おれは出くわしたのだろうか。

 その姿はまるで、この丘から立ち上るカゲロウのようだ。
 俺はつい、我知らず笑っていた。

 「それ」は、おれがここへ来た理由を知っているのだろうか。
 いつか「それ」を眠らせるかもしれない、その理由を。
 この世界の管理者、とも言うべき存在は。

 もし、「擬態」だとしても。
 その可愛らしい様子が、おれを引き寄せるための、罠だとしても。

 「十壱、と呼んでもいいですか?」

 「十壱」はおれの顔を、ぽけーっと見ていたが、急に「ああ!」という感じで、また顔をほころばせた。

 「おれのことは声に出さなくてもいいから、雪政と呼んで。心の中で」

 十壱は、嬉しそうにおれの周りを飛び回った。くるくると、何回も。

 しばらく、彼(便宜上、そう呼ぶことにした)のそばにいよう。
 そうだ、ここに家を建てよう。
 そうして、いつまでかはわからないけど、ずっとそばにいよう。
 こういうのを、嬉しい、というのだろうな、とおれは思った。

 十壱が、なぜおれを捕らえようとしたのかは、解からない。

 そんな彼の罠に、あえてかかろうとしている、自分の心を、

 おれも含めて

 誰も

 知らない。

 
 
end
 

 

 

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