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吉賀町柿木村のあちこちにあったブナ林、昭和30年代になり次々と皆伐され失われていったブナ林。その中で伐採搬出が困難で残された森、水質悪化が懸念され残された森、また保護運動によりかろうじて残された森など数カ所に点在し残されています。 このページではそれらの森を歩き、撮り歩いたごく一部を貼り付けたものです。
この中でブナ林・ブナの森の表現は原生林(極相林)の代名詞としても使っており、ブナの純林の意味ではありません。他にミズナラ、コナラ、トチノキ、シオジ、リョウブ、ナツツバキ、サワグルミ他、生物多様性に富んだ原生林の意味と理解してください。 |
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椛谷山 |
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椛谷山に残された森(高岳山山頂より北東方向 Google Eath画像) |
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上の画像は山口県境にある高岳山から椛谷に続く尾根に残るブナ林、積雪期でないと背丈以上の笹に阻まれ困難。
この森を歩いた動画です。
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柿木長崎谷 |
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柿木長崎の尾根近くに残された森、直径1mを超す巨木も数本確認される。ここへは冬期、尾根反対側の桟敷地区から稜線を歩き柿木長崎谷へ降りた時、また、とびのこやまから長崎山へ続くかつての往還を峠まで行き稜線を歩いたときなど数度入山。 ブナの木にヤドリギが寄生し、雪の上に折れたヤドリギが落ちていた。その中にキミノヤドリギ、アカミノヤドリギの両方があったと記憶している。 |
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右ケ谷・白井 |
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莇ヶ岳東方の右ケ谷と富山東方残る森。(Google Eath画像) |
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右ケ谷 |
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右ケ谷のブナ林は莇ヶ岳(アザミガダケ)の周回ルート中、島根県側に見ることが出来る。右ケ谷から入り、莇ヶ岳・弟見山の中央付近に続く尾根でも見ることが出来る。 |
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白井(ドウノオク谷) |
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白井地区のブナ林は伐採途中反対運動が起こり一部が残された森。弟見山山頂の東側のブナもその一部、貴重なヤシャビシャクなどが着生したブナも見られる。 この森を冬期に歩いた動画 |
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トチサコ谷(鈴の大谷) |
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トチサコ谷は鈴の大谷山の入り口にあたる場所にある。吉賀の古書「吉賀記」を見ると、延享年中備前山師へ御賣拂とあるように、樅・栂・檜・樫・杉が切り出され筏により高津に運ばれた記録がある。そのためか、昭和に入っての皆伐から免れた。しかし、その後、天然檜・欅などの良材のみが伐採されヘリコプターにより搬出されたが、ブナなどは伐採を免れわずかに残されている。 |
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このほかに福川長崎谷にも小学校から見学に行った記憶がある。大きな白っぽい木が切り倒されたまま、架線により運び出されていた。
他に古江堂のオクノコウチ谷にも巨木の森があった。6トン積みのボンネットトラックの荷台の中央に大木が1本乗せられ、転倒しないように小さな木が左右に置かれ運び出されていた。昼休み集材機、チエンソーなの音がしなくなると大木の枝を駆け回るリスの様な小動物も見られた。たぶんモモンガだったのだろうと思う。何を隠そう私も切り倒された大木を貯木場に運ぶ仕事に従事していた。
この頃から起きた保存運動、作業に従事する多くの人が失ってはならない森であることを感じていたに違いない。しかし、他に収入源の少ない山村、村内から伐採反対運動は起きるはずもない。ひそかに隣県からの反対運動が拡大することを私個人的には望んでいた。
鈴ノ大谷山の森もブナ、ケヤキ、ツガ、モミ、ヒノキ、杉などの巨木の森があったと聞く。現在でも残る巨大な切り株、搬出不能で切らずに残された杉の巨木、五輪原に残る数本残る樅の巨木などからも想像できる。このサイト中の「鈴ノ大谷散策」でも一部画像掲載。
このページで掲載した画像はデジカメになってからの画像のみ。他にもフィルムで撮影した画像も多数あるのですが、今回は省きました。 |
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このページは個人的見解で書かれています。 |
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