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探訪日: 2016年1月4日 | ||||||
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← 三ノ瀬城跡のある小山と「とびのこ山」、とびのこ山の麓から抜月へ通じる「長崎新道」がある。 城主の斎藤氏や家臣の家は新井が原にあったと言われ、「陣屋敷」・「矢倉田」・「かご田」・「風呂屋」・「鍛冶田」・「黄幡の森」などの穂野記名として残っていたが、圃場整備により消滅した。 |
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← 三之瀬城へ続く大手だったのだろうか、細い道は田んぼの中を通り、城跡へと続いている。 |
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← 本丸と言われている平地、住居のあった新井ヶ原・本郷などの集落が眼下に広がる。 中央の標柱には次のことが書かれている。 三ノ瀬城址 福川川が半円形に流れ天然の濠をなした山城であることがわかる。 斎藤氏や重臣たちの住居があった新井ヶ原が一望できる。 |
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← 大きくわけて3段に敷地は分かれている。 最上部が本丸と言われている。画面右端に空堀がある。 |
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← 本丸の南東側の尾根を横断するようにに、大 きく堀り込まれた空堀、他の場所のものより深い。さらに平地がありもう一つの空堀らしい窪みがあり、南東に続く奥深い山につながっている。 |
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← 城主や重臣たちの住居であった新井ヶ原、そこにあった五輪塔や宝篋印塔は、おなじ新井ヶ原の墓地公園に集められた。立派な宝篋印塔は城主のもかも知れない。 五輪塔や宝篋印塔が天文の役の犠牲者とは限らないのだが・・。 他にも家来達の住居は菅原地区にあったと言われ、そこにも五輪塔・宝篋印塔が多く見られる。 |
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← 黄幡の森(柿木村誌279頁) 新井ヶ原から三ノ瀬城跡い向かう道のそばにある「黄幡の森(おうはんのもり)」と言われる場所。黄幡神とは八将軍神の一つで、軍陣の守護神だという。三ノ瀬城守護のために祀られたものだという。 この黄幡の森と言われる場所は三ノ瀬城からは西南西の方角になる。村誌の言う北の方角にはあたらない。 2014年まで注連縄をしばり弊を立て祀っていたが、維持が困難になり廃止されたと言うこの場所には、まだ何本かの注連縄が巻かれ、竹串に弊が付いたものが残されていた。400年以上続いてきた祭事だったのだろう。 |
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