2016年1月作成 | |||||
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これらの城はイラストのような天守閣のある城では無く、おそらく丸太で組まれた柵を巡らし その中に掘っ立て小屋があり、武器(弓・刀・槍・鉄砲など)が保管されていたのでは ないかと想像します。古城跡を訪ねてもそこには石積みも、柱を支える基礎石も 今回訪ねたそこには見ることができませんでした。 ウィキペディアでは城(しろ)とは、敵に攻め込まれた際の防御拠点として設けられた建築物。 戦闘拠点であるとともに、食糧や武器や資金の備蓄場所でもある。云々とあります。 各城も江戸時代に入り慶長20年(1615)、徳川幕府は「一国一城令」を制定した。 つまり大名の領国(後の藩)に大名の居住する城、或いは政庁とする 一つの城を残して、そのほかはすべて廃城にするというものです。 それにより津和野藩の吉賀にある各城はすべて廃城となった。 そして、400年の時は流れた。 |
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吉賀記・六日市町史・柿木村誌・他参照 | |||||