2007年

12月31日
今年も大晦日を迎えました。
今年1年間、「百姓天国inつわの」をごひいきくださいまして厚くお礼申し上げます!
皆様からのご声援が何よりで、さらに毎日の更新を目指して参ります。
ブログ風「あぜみち通信!現場の声」充実して参ります。
今年1年間誠にありがとうございました。
さて、今年を一文字で表すと「偽」だったそうですが、私自身は「歩」でした。
大勢の皆さんから声援をいただき、叱咤激励いただき、僅かですが一歩一歩前に進んでいくことの喜びをいただきました。
そういうことで、「歩」という文字を選ばせていただきました。
さて、来年はどういう漢字をいただけるでしょうか・・・・・・・。

我が家では、年越しのお蕎麦は朝食べることになっています。
蕎麦は、母の恵美子が打った手打ちの蕎麦です。(写真上左)
炒り子出汁に薄口と濃口の醤油をブレンドし、長天、竹輪、蒲鉾です。
長天(長い天ぷら)は長寿に感謝、竹輪は見通しが良く、蒲鉾は赤い色でお祝いを表しています。(我が家の解釈)
孫も喜んで食べてくれました。(写真上右)
午後、氏神様の千原天満宮に大晦日のお参りに孫の凜をつれて行きました。(写真上右)
参道はかなりの積雪でしたが頑張ってあるいてあがりました。

雪が嬉しいのは
孫だけです!

少し大きい
雪だるまです
12月30日 周囲が白くなる程度ですが雪が積もりました。
そんな中、正月準備に忙しいのでしょうか?スーパーは超満員です。
正月飾りを付けて、鏡餅をお供えして我が家の正月準備は完了です。
明日は年越しの蕎麦をいただきますが、昨年から手打ちです。
孫は少し積もった雪で雪だるま(うさぎ?)を作ってご満悦です。

玄関の飾り
12月29日 夜中中待っていましたが、孫が帰ってきません。
名古屋から夕方出発したのですが・・・・・。
仕事の出かける寸前帰ってきました。一安心!
孫の頭をなでて、仕事納めに出発です。
午前中で仕事納めをし、午後は自分の、我が家の年の瀬の準備です。
が、孫守で遊んでしまいました。
夕方には、第2弾の豆台風が到着し大騒ぎです。
孫と寝て至福の時を満喫しております。
12月28日 官庁は今日が御用納めです。
今年1年間お世話になった関係機関に挨拶して回りました。
太皷谷稲成神社の初詣のポスターが貼られています。(写真右)
穏やかな年の初めで、大勢の初詣客で賑わえばその年の活気が出ます。
さて・・・・、週間予報では・・・・、なんと雪だるまが・・・・・・。
明日の夜半から雪が降るとのことですが、予報はウソよ?であってほしいですが・・・・。
今日から孫の帰省ラッシュです。
朝早くから餅をついて、豆台風に備えています。
石西厚生連の仕事納めは明日です。
12月23日 9月に生まれた次男夫婦の長女の「初正月飾り」の羽子板が届きました。(写真)
早速床の間に飾り、贈っていただいたご両親にお礼の電話をしました。ありがとうございました!
28日には正月休みで帰ってくるそうですから、孫と一緒に記念撮影しようと今から待っています。
暮れには孫4人の豆台風ならぬ大台風が我が家に上陸しそうで、嬉しい正月がやってきます。
12月22日 夜半から降り始めた雨が、心地よい音を立てて降っています。
それというのも、まとまった雨が降らず水不足?の心配があったからです。
大山や三瓶山といったスキー場にも雪が積もっていませんから、当然青野山や十種ヶ嶺にも積雪がありません。
草原のスキー場開きになりそうです。
そんな心配をよそに、孫たちのクリスマスプレゼントを買いに出かけました。
「あれがいい」「これがいいといい」と言いながら、楽しい時間を過ごしたのでした。
巷では忘年会のシーズンですが、親不孝通りは少ないですね〜・・・・・・・・・・。
12月18日 津和野町水田再編協議会の設立総会が開催されました。(写真右)
構成する関係機関や各生産部会や農家の代表により構成されています。
会長に斎藤津和野町農業員会会長、副会長に斎藤勲JA西いわみ水稲部会会長を選出しました。
協議会の定款や予算、事業計画を承認して閉会しました。
12月15日 第2回吉賀町有機農業塾が開催され、部外者でしたが案内があったので出かけました。
アイガモ農法を始めるきっかけとなった古野隆雄さんが吉賀町柿木支所(旧柿木村)で講演されました。(写真右)
普段から、私がアイガモ農法の師匠と言って尊敬しておられる方ですからはせ参じました。
「農業と人生を面白くする技術」という演題で、有機農法の実践や合鴨水稲同時作についてお話しいただきました。
詳細につきましては、古野氏のホームページを見ていただく方がよろしいかと存じます。
吉賀町町は県内でもアイガモ農法の先進地でありが盛んに実践されている地域です。
古野氏の信者といってもいいほどのアイガモ農法に取り組んでおられる農家の方が多数参加されました。
古野氏の講演に続き、徳野貞雄先生(熊本大学文学部教授)の講演がありました。(写真上)
「地域づくりと都市農村交流」〜担い手、消費者〜ムラのゆくえ〜と題して時間超過してお話しいただきました。
田舎の人間をしかり、「おまえら何しとるんじゃ!」と言う叱咤激励に「先生の言うとおり!」です。
講演の中でお話しいただいたことは、たぶん実践すると思います。
そのときは、津和野町にきていただき「生ぬるい!」厳しいご指摘をいただきますように!
12月14日 雨曇 「石西地域あぐりトップセミナー」が日原開発センターで開催されました。(写真下)
このセミナーは認定農業者の皆さんを始め多くの方々を対象に開催し、全国の優れた農業経営者の方々から
その取り組みをお聞きするために年二回開催しています。
今回の講師には、農林水産省主催の「明日の農山漁村を担う女性表彰」において、農林水産大臣賞を受賞されるなど、
その活動や行動力が高く評価されるとともに、若い農村女性のリーダーとして交流活動によって農村の魅力を発信して、
活躍されている、岩手県奥州市の及川久仁江さんです。(写真右)
及川さんは、農家の若い女性が集う「わがママ倶楽部」の初代代表をつとめられました。
その間、農産物の直売所や加工場、農家レストラン、農家民宿などを実現され、農業委員も歴任されました。
その取り組みに至る経緯や苦労されたことを中心にお話をされました。
遠路ありがとうございました。
なぜ?私が出ているのか?(ただのSOではありません)
津和野町認定農業者協議会会長として挨拶をさせていただきました。
また、日原の有限会社「あしたば」さんが、社団法人農山漁村生活支援協会主催の
「農山漁村いきいきシニア活動表彰」を受賞されたことも嬉しい話題です。
両氏に共通されるのは、地域の女性の思いが一つの形となり、女性特有の感性と知恵と工夫で事業を展開され、
その取り組みが地域の活性化に貢献されておられることではないでしょうか。

おみやげには
もちろん
「津和野らあめん」
です!
12月12日 (出席された議員)
津和野町農政会議
(大庭次雄会長)と津和野町議会(後山幸次議長)との懇談会が津和野温泉でありました。
町内の各農業部会の代表から意見要望が出され、それに答えるという形で議事が進みました。
田中副会長の巧妙な?進行で、かなり欲求不満の残る質疑応答でした・・・・。
が、その後の懇親会で一杯やりながら相互理解をいっそう深めたのでした。

挨拶する大庭会長
12月10日 厳しい寒さの朝を迎え、大変な霜です。
寒いからといって、ファンヒーターや石油ストーブをガンガン焚くわけにはいきません。
従来の倍の価格ですからシャワーもほどほどにしませんと・・・・・。
そんなわけで、我が家の風呂は威力を発揮?しています。
太陽熱ヒーターと直火炊きの兼用ですから薪が焚かれます。
道路沿いの広葉樹(ナラやカシ)を伐採して薪作りをしました。(写真右)
こんなせきゆ価格の暴騰が続くと、山林のありがたさが実感できます。
12月8日 昨日から益田市に住んでいる孫二人が泊まりに来ています。(右の写真)
「風邪をひかしちゃ〜いけんけ〜の」
「炊き混ぜご飯がすきじゃけ〜、炊いちゃらんと・・・・・」
「ご飯食べる椅子を出さにゃ〜」
朝からてんてこ舞い?です。
「今晩じいちゃんと寝る人〜!」
「イヤ」「イヤ」予想に反して?予想通り?の声・・・・、ガックシ・・・・。
寝る前になると、「じいちゃん一緒に寝よう〜ね」今から嬉しい計略にはまっています。
12月7日 雨曇 本格的な忘年会に突入です。
あっちの店、こっちの居酒屋超満員?です。
ご多分に漏れず、親不孝通りを徘徊しております。
酒と薬を交互に飲んで、ストレス解消?です。
12月6日 大霜です。
薬剤師が退職したため、薬剤師の派遣をいただきました。
10〜11月の2ヶ月間応援をいただいた広島厚生連と広島総合病院にお礼に伺いました。

夜、ママの○○歳の誕生日なので一杯やりました。
12月4日 津和野で落語を聞く会が、今から11年前に始まりました。
主催しているのは、源氏巻の竹風軒(山田仁通社長)です。
会場となった「海老屋」は長い間のファンが押しかけ、この日も大入り満員でした。
11年間で10回の公演を行い、この日を最後に千秋楽ならぬ、「十秋楽」で大ネタも登場しました。
中入りでは、落語界の裏話や修行風景、江戸と上方落語の違い等面白可笑しく語っていただきました。
山田社長の話のよりますと、社長の主催は終わりますが町内の若手経営者の集まるグループが引き継ぐそうです。
来年から始まる新しい落語会に期待するとともに、山田社長に対しお礼申し上げる次第です。
12月1日 雨曇 師走に入りました。
なんと1年が経つのが早いことか・・・・・・・・・。
最後の追い込みです!頑張るぞ!
11月28日
29日
水木 石西厚生連の全職員集会を開催しました。
「公設民営化」にむけて、松浦副町長から経過と今後の方針が説明されました。
11月26日 全厚連に出向き、「公設民営化」に向けての説明と今後の指導助言をお願いしました。
11月25日 来春挙式する長男の結婚式の会場に打ち合わせに行きました。(写真左)
フジテレビのあるお台場です。
レインボーブリッジをバックに、結婚31年目のツーショットです。(写真右)
11月24日 箱根は大渋滞ですから、伊豆に出かけてみました。
修善寺を経由して浄連の滝と天城トンネルで、しばし「伊豆の踊子」モードです。
伊豆スカイラインからの富士山は、期待に反して裾野だけでした。残念・・・・・・。
11月23日 高校の修学旅行以来の熱海です。
尾崎紅葉の「金色夜叉」でお馴染みの「寛一とお宮の松」の浜辺散策?(右の写真)
3連休の初日ですから、ここ熱海は超満員です。
金目鯛や地元でとれた海の幸ををいただきながら至福の時です。
明日は伊豆半島一週です。
11月18日 島根県農協青年連盟のOB会の総会が出雲市で開催されました。
OB会の会長として何ら活動らしきものはしていませんが、年1回の総会は楽しみです。
中央会の三嶋会長はじめ各地でご活躍されている重鎮揃いですから大変です。
近況報告を聞きながら一杯です。
来年の総会は益田市で開催することになりました。

孫の七五三です。
益田市の柿本人丸神社にお参りしました。
記念写真に「はい、ポーズ!」(写真右)
11月16日
島根県立津和野高校が来年創立100周年を迎えます。(私は卒業生ではありません)
本町の、津和野町議会議員河田隆資さんの店舗の一角に当時の教室が再現されていますので紹介します。(写真)
私の子供たち3人が入学して勉強して、無事卒業しています。(ママも卒業生です)
当時PTAの会長をしていたときに、90周年の記念行事に協力しました。
野球部の保護者会の会長をした関係で、スタンドから何度校歌を歌ったか!校歌を覚えてしまいました。
我が母校は名前が再々変わり、なんか愛着がわきませんね〜・・・・・・。
11月15日 晴曇
太皷谷稲成神社秋の大祭がありました。(写真)
好天に恵まれて、豊作を感謝する善男善女がお参りに出かけていました。
露天も出てにぎわっていました。
農業青年クラブは、恒例の餅つきで頑張っていました。(写真上右)
私は、豊作に感謝し来年の五穀豊穣を祈願し、一杯やりました。
11月11日
小川地区民の文化祭ともいえる作品展が小川地区民体育館で開催されました。
地区内外から大勢の方が集まり、バザーや餅まき、写真や絵画展等楽しんでいました。
恒例の1km、2kmのマラソンも(写真上2枚)完走していました。
日原地区では、日原まつりがあり奴道中も練り歩きました。(写真右)
11月10日
津和野共存病院の病院祭が開催され、大勢の町民が来られました。(写真すべて)
オープニングは「つわの子供神楽」で、かわいい舞子が熱演され大きな拍手わき上がっていました。
津和野分遣所による「AED」の実演講習会も開催されました。
大正8年に診療所が開所されてからの、懐かしい写真も展示されていました。
大庭政世先生のVTRもスクリーンに放映され、皆さん見入っていました。
白衣から和装に・・・・・・、抹茶のサービスもありましたよ!
子供たちはヨーヨー釣りや風船をもらって大喜びです。
その他たくさんの催し物があり、病院と地域住民のふれあいは大成功でした。
午後、医療フォーラムがありドクターの講演やシンポジュームもあり、時間が超過するほど盛り上がっていました。
院長先生はじめ、スッタッフノ皆さんのご尽力に敬意を表すとともに、お礼を申し上げます。
「皆さん、大変お疲れ様でした!ご盛会おめでとうございます!」
今回の津和野共存病院の一体感は、来場された皆さんのみならず町民からも信頼ある医療機関として認知されるました。
11月9日 旧日原町長を5期20年された木村治氏とお会いする機会があり、帰るとき1冊の本をいただきました。
「我らに山河あり」というタイトル本で、町長時代のことが記されています。(写真右は表紙)
平成17年に発行されており、噂には聞いておりましたが手にしたのは初めてでした。
436ページに及ぶ歴史書と言っても過言でもなく、町と自信の自叙伝でもあるといえます。
日原共存病院(現日原診療所)、老健施設せせらぎについても記されております。
完読いや熟読しておりませんが、ここにご紹介をさせていただきます。
11月6日 雨曇 オープンホスピタル病院祭11月10日(土)に津和野共存病院で開催されます。

時間は9:00から15:00までで、日原診療所からはシャトルバスが出ます。

幼花園の園児の遊技、子供神楽、津和野共存病院医師によるミニ講演、医療フォーラム、創業者大庭政世の資料映像公開、
津和野分遣所による「AEDの使用方法」、体脂肪測定、お薬相談、介護体験、各種展示、飲食コーナー、リサイクルバザー、
アミューズメントコーナー等が予定されていますよ!
皆さん多数お出かけくださいね!待ってます!
11月4日 平成19年度津和野町表彰式が行われました。
この表彰される皆さんを選考する審議会の委員として出席しました。
個人(9名)と団体(4団体)の代表者が出席し、中島町長より表彰状が手渡されました。
津和野町議会議長の来賓祝辞の後、受賞者を代表して中谷文一旧日原町長が謝辞を述べられました。
受賞者の皆さんは記念撮影をしておられましたが、親戚の法事があり焼香に駆けつけました。
11月3日 秋晴れの中、「わっしょい!津和野特産まつり」が開催されました。(右の写真)
農産物の即売や餅つき、新そば、イモ煮等々・・・・・。
ステージでは神楽がテンポよく舞っています。
昼前からだんだん増えてきたお客さんは、目当てのものを買ってビンゴゲームに興じていました。
今日は各地で秋祭りやイベントが開催されており、収穫の秋を満喫していました。
朝夕めっきり寒さが厳しくなって、秋深しの感があります。
11月1日 (日本農業新聞 11月1日付)
大正8年、日本で初めて産業組合(現JA)の診療所が青原村(旧日原町)に開設されました。
大庭政世組合長が貧困にあえぐ農民のために立ち上がり、農村医療の原点とも言うべき画期的なことでした。
現在全国に120の厚生連の病院がありますが、その原点である日原共存病院が閉院しました。
今日から、「日原診療所」として、119床の老健施設を併設した無床診療所として再出発します。(写真上)
設立当時の理念を受け継いで経営してきましたが、その理念は今後も未来永劫に引き継がれていきます!



旧日原共存病院
現日原診療所
10月28日 雲南市吉田町で「第3回たまごごはんかけシンポジューム」が開催されました。
山の紅葉はまだまだ先のようですが、快晴の中町民あげて盛況でした。
右の写真はポスターですが、白いシャツを着たのは私です。
「アイガモ農法と津和野らあめん」という内容のお話(基調講演)をさせていただきました。
「白い船」の錦織監督も来賓で来られスピーチされました。
来春公開の「うん、何?」(うん、なん?・雲南)に纏わるエピソードも盛りだくさんのお話でした。
「全国に雲南を発信しています、島根県も発信しています」そうなんです。
10月22日 津和野町が「地域医療対策室」を設置しました。(右は山陰中央新報10月23日付け記事)
石西厚生連の要請に対し、9月津和野町議会において「公設民営化」の方針を打ち出しました。
対策室はスタッフ5名からなり、医療、経営、資産等の調査を行い、「公設民営化」に向けて取り組むことになります。
「地域医療を守る観点から決断した。資金等課題は山積しているが、県と相談をしながらクリアしたい」と、
中島町長さんは話されておられます。(山陰中央新報より抜粋)
10月21日
早朝から氏子が、千原天満宮の秋の大祭(25日)を迎えるため、宮掃除を行いました。
しめ縄を掛け替え、のぼりを立て祭り本番を迎えます。

興源寺の供養があり、焼香に出かけました。(右の写真)

供養の後、孫の七五三の晴れ着を買いに出かけました。
10月20日 JA西いわみの展示会が津和野町民体育館で開催されています。
前回の展示会が好評であったため、今回もパワーアップしていろいろな商品が盛りだくさんです。
各地で秋祭りが盛んに行われていますが、収穫の喜びがこの会場でも感じられました。
10月19日 やっと、やっと、コンバインの足回りの泥を落とすことが出来ました。
チェーンのカバーを外し、コンプレッサーで隅々まで埃をとばし、来年に備えます。
泥を落とすだけでも、一輪車に3台あります。
点検整備するだけでも2日間かかります。
後はこのまま樺キ嶺農機さんにお願いし、部品を交換してもらいます。
刈り終わってから今日まで長い間気になっていましたが、安心です。
これが終わると、稲ワラの鋤込みが始まります。
10月18日 籾摺りした後の厄介者?が籾殻です。
3日間かけて転作した田んぼに搬出しました。
これが意外と重労働で大変な作業です。
雨に濡れて腐る前に搬出して消却しないといけませんから大変です。
焼いた籾殻はくん炭として田んぼに散布します。
牛を飼っていた頃は敷きワラと一緒に利用し、堆肥にしていました。
ホームセンターに行くとビニール袋に入れて販売しているそうで、結構売れているそうです。
10月15日 島根県認定農業者協議会ネットワークの設立準備委員会が大田市でありました。
県内各地から、すでに設立した組織の代表や事務局が参加し、協議しました。
来年1〜2月をめどに設立総会を開催することを確認し、懇親会にのぞみました。
10月14日 「今年は松茸が生えんの〜」
「やっぱり夏が暑かったけ〜かの〜・・・・」
「ドボウ(毒キノコ)も生えんけ〜の」
ごらんのとおりマツタケ山はきれいです。マツタケ泥棒も来ません。

これは松茸では
ありません
10月13日
二男夫婦の長女(私にとって4人目の孫)の33夜の祝いをしました。
里帰り出産のため大分の実家に盆よりお世話になっていました。
この間、大変にお世話になり感謝しています。
大分のご両親に連れられて、孫がやってきました。
早速氏神様(千原天満宮)に報告しお参りをしました。(右の写真)
その後、太皷谷稲成神社にお参り、健やかな成長を祈願しました。
我が家に帰ってからみんなで記念撮影して、津和野温泉観光ホテル 津和野温泉宿わたやさんでお祝いしました。
10月12日 津和野町議会の大先輩で、議員在籍中大変お世話になった青木茂氏が回顧録を出版されました。
平成13年に80歳(傘寿)を記念して出版されたものを加筆され再出版されています。
知人友人に配布されたものをいただきましたので、ここに紹介させていただきます。
ますますご健勝で、地域の発展を見守ってくださいますよう祈念申し上げます。
10月10日 全厚連の会長会議と農村医療学会が新潟県長岡市でありました。
長岡市は「米百俵」で有名な新潟県第二の都市です。
中越沖地震の時、地元厚生連病院が災害時の中核病院として機能したことなど農村医療学会で発表がありました。
10月8日 長男の結納を納めに奈良県に出かけました。
「幾久しく、お納め下さいますようお願い申し上げます」緊張して口上も大変です。
その後、和やかに会食で今後のことを話しました。
「大切なお嬢さんをお嫁さんにいただくのですから、可愛がらにゃ〜の!」帰りの新幹線です。
「やっと3人の子供の責任が済んだね〜」
「まだ来年の結婚式まで元気でやらにゃ〜いけん」心地よい酔いに包まれて帰路につきました。
10月7日 組内の結婚式に出席しました。
結婚式は年に1回でもあれば、と言うように若者が定住していませんからお祝いです。
地域のリーダーとして、頑張って下さい!おめでとうございます。
10月6日 孫の運動会です。
片付けを休んで応援に行きました。
暑い中、一生懸命走っていました。
10月3日 56回目の誕生日が来ました。
朝早く携帯が鳴りました。
「じいちゃん誕生日おめでとう!」孫からお祝いです。
「ありがとう、運動会には行くけ〜ね」
「うん、来てね!」
夜、女房と一杯やってささやかなバースデーでした。
9月30日 曇晴
開会式 直地児童館の館児 綱引き ばあちゃんの応援 ムカデ競争
朝の内の雨も上がり、曇り空ですが開会式を行い、「小川地区民運動会」の開会です。
昼過ぎからは絶好の運動会日和になり、各種プログラムも順調に進行しました。
今日は農作業を止めて、孫を連れ運動会に行きました。
地区内にある「直地児童館」の運動会も合同で行いますから、館児たちの保護者もじいちゃんばあちゃんも必死です。
館児が7人しかいませんから、2組に分かれるときには孫が飛び入りで穴埋め?しました。
隣接する介護施設からじいちゃんばあちゃんも応援にやってきて、全員リレーにも参加していました。
孫の運動会は来週土曜日にあります。もちろん行きます!

孫も飛び入りです
9月27日 8月23日から始まって稲刈りも、夕方無事完了しました。
収量が平年より少なく、単価も下がって厳しい稔りの秋ですが安心です。
明日朝の籾摺りを終えると、最後の出荷となります。
コンバインや籾摺り機、乾燥機の修理に東奔西走いただきました樺キ嶺農機に感謝!感謝!
コンバインの移動に台車を貸していただいておりますホンダカーズ津和野様にも感謝!感謝!
我が家では田植えと稲刈りが無事終わった事への感謝として、刺身で一杯が恒例です。
がんばった家族と協力いただいた方々の御蔭に対して、代わって私が一杯やらせていただきます。
来年も元気で田植えが出来、豊作でありますように!
9月21日 石西厚生連の参事と部長が今月いっぱいで退職されるので、ごく身内で送別会をしました。
「病院のことも分からない新しい分野に飛び込んで精一杯やってきました。今度は、お世話になる身ですが陰ながら応援しております」との退任の挨拶がありました。
医師不足や医療報酬の引き下げ等病院経営が一番大きく変革した時期であり手腕を発揮されました。
その参事の片腕として部長の存在が大きく、最高のコンビで今日まで取り組んで来られました。
「これからは相談役としてご指導ご助言を賜りますようお願い申し上げます」と、送別の言葉を贈りました。
女子職員から花束を贈呈し、乾杯の発声から開宴し、懇親会は和やかな内にお開きとなりました。
長い間お疲れ様でした。
お二方の今後ますますのご健勝を御祈念申し上げます。
9月20日 「きぬむすめ」の刈り取りに入りました。
「まだ早〜こた〜な〜かね・・・・」
「あんまり天気がええけ〜、刈ることにしたけ〜」
「わしゃ〜、もち〜と(2〜3日)おくことにしたけ〜、今日は彼岸の入りじゃけ〜、墓掃除じゃ」
「こね〜に暑い彼岸の入りは初めてじゃの〜」
「夕方にはお寺に行かにゃ〜いけんの〜」
風が吹きますから、コンバインの上はあまり暑く感じませんが、イガ埃がもろに来ますから大変です。
「コシヒカリ」と違って箪管が短く倒伏していませんから刈りやすい品種です。
「さあ〜刈るで〜!」エンジンを始動します。
快調にエンジンが回転しています。「あれれ〜、何か臭うで〜、煙が出取るよ」
「こりゃ〜いけん!」エンジンストップです。
「あり〜、Vベルトが切れとら〜や・・・・・」コンバインのカバーを外して点検です。
「籾上げのラセンが回らんで」そこで、樺キ嶺農機様に電話です。
いろいろお世話になります。ペコペコ!
9月19日 昨日からの残暑?は酷暑です。
真夏を思わせる暑さですから、稲刈りも死ぬ思い?でしょう。
そんな暑さを吹き飛ばして、あっちに走りこっちに走りです。
何をそんなに走り回るのか?今は走り回るだけです。
そんな我が輩に、「ちょっと一杯やる?」
「生ビールが飲みたかったんよ」
「あ〜でもない、こ〜でもない・・・・・・」言語不明意味不明・・・・・。
「たまには息抜きもえ〜が」ありがとうございました。
明日からは稲を刈るぞ!
9月18日 所用での帰り道、本格的な秋を思わせる夕日がとてもきれいでした。(右の写真)
ここは益田市の持石海岸で、日本海に沈む夕日がきれいで評判の所です。
「コシヒカリ」の刈り取りも終わり、「きぬむすめ」の刈り取りまで数日間の時間的余裕があります。
その間を縫って、散髪に行きました。すっきりです。
道路沿いの稲は刈り取りが終わっており、天候にも恵まれ無事収穫の秋を終えられたことと思います。
まだまだ今週いっぱいでは終わりそうにありませんが、豊作の期待大です。
9月17日 晴雨 午前中でコシヒカリの刈り取りを終え、孫を連れて益田市まで出かけました。
途中、大変な激しい雨脚です。
稲刈りを途中で断念し、慌ててコンバインにシートをかけている農家がありました。
「また来いの〜、また一緒に寝ようの〜」
「じいちゃん、また遊びに行くよ」
「運動会に来てね」
「運動会には行くけ〜の」
無事送り届けて、新米付きで送り届けて、あ〜疲れたの〜・・・・・・。
9月16日 曇雨
仕事の合間を縫って、孫を連れて徳山動物園に行きました。
昨日から孫2人が泊まりに来ています。
田んぼに一緒に行ったり、散歩したりです。
籾摺りしている作業場に来て、音の大きいのにびっくりして後ずさりしたりしています。
「動物園に連れて行ってね・・・・」
「仕事が終わったら行こうか」
「じいちゃん大好き!」言ったかどうか??????
そんな会話の後、行ってきました。
年齢的には、まだ無理があります。が、じいちゃんが満足すればそれでいいのです!

稲刈り前の田んぼで
「ハイ!ポーズ」
9月15日 曇晴 台風の余波なのでしょうか?寝苦しい夜を過ごしました。
そのため、朝からどんよりした空模様です。
「雨が降りそうなけ〜、稲刈りを先にするよ」
「何時からするんか?」
「7時には刈り始めるけ〜ね」
あっという間に刈りましたが、空はだんだん明るくなってきました。
「木部の方は大雨が降ったといや、当分出来んで・・・・」
「あね〜に早〜から稲を刈るのはお前くらいと思〜とったら、あちこちで刈りよったで・・・・」
昼前には晴天です。
笹山(市街地から見て青野山の裏側の集落)で最後の稲刈りに行きました。
委託された田んぼ以外は、まだまだこれからが本番です。
委託された稲の品種「コシヒカリ」の刈り取りは終了し、「きぬむすめ」の刈り取りが始まりました。
9月14日 快晴の中、山口県と県境接する名賀での稲刈り(受託)を行いました。
秀峰「十種ヶ峰」の裾野(島根県側)の徳次集落での稲刈りですが、快適です。
ここの米は町内でも最高級の品質です。
明日刈る笹山地区と同じ最高級の折り紙がつきます。
「美味い米を確保してくれにゃ〜、やれんけ〜の」、町内のうるさいグルメです。
「笹山と徳次に稲刈りに行くけ〜、分けてもらういね」
「あそこの米を食うたら、他の所のは食えんけ〜の」、わかっております。
米の透明感はもちろん、何と言っても味が違います!美味い!

孫が無事退院したとのことです。
母子ともに元気で、何よりです。
来月には33夜を祝ってやります。
9月13日 安部総理が退陣表明、やっと辞意表明しんさった。
次は誰がやってんでしょ〜ね?期待しますよ・・・・・。
田舎をぶっ壊した前総理の遺産を引きずって、幹事長時代と今回で選挙2連敗ですから。
何とかチルドレンが、「改革を続行するには前総理しかいない」とのコメントを聞いて、
早期解散総選挙があったら「お前たちは一人も当選できずに、全員落選じゃけ!」、天の声!!!
「汝の俸、汝の禄は民の膏(汗)ぞ!民の脂ぞ!」
「下民虐げやすきも、上天は欺きがたし」
、何とかチルドレンこの言葉ご存じじゃろか?
9月11日 国民新党の亀井久興衆議院議員と亀井亜紀子参議院議員、民主党の近藤昭一衆議院議員、社民党の保坂展人衆議院議員の4名(写真右・右より)が石西厚生連に視察に来られました。
亀井氏は、「格差是正に取り組む議員有志の会」を発足し、六日市病院と津和野・日原共存病院で意見交換をされ、「医療問題に最優先で取り組みます」と、話されました。
当会からは、参事、院長、事務長、看護部長が出席し、現状を訴えました。
また行政からは町長(挨拶)、副町長が同席されました。
9月8日 日本晴れです。
午後、稲刈りをしました。
田んぼがじるい(軟弱)のでコンバインが悲鳴を上げます。
津和野中学校のグランドでは体育祭が行われています。
「毎年運動会の時にゃ〜ここの稲刈りじゃの〜」
「時期的にそうなるんんよ、そいじゃが子供が少のうになったね〜」
「保護者の方が多いくらいじゃ」
「少子高齢化がよう分かるね〜、この子ら〜も外に出るんじゃろ〜け・・・・・」
「そね〜な話はええけ〜、来年はしっかり干してくれにゃ〜、はあ稲刈りに来んけ〜ね・・・・」
9月7日 朝から雨です。
いくら見上げても晴れ間は期待できません。
そんな中、黙々と籾摺りです。
検査米の供出もこなし、一段落しました。
「なんぼうなんでも今日は稲刈りができんじゃろ?・・・・・・・・」仰せの通りです。
粛々と雨を受け入れて、「明日があるさ!」「塞翁が馬じゃけ・・・・・」言い聞かせております。
台風9号が関東東北と大暴れしています。
収穫前の農家の悲痛の声が聞こえてきます・・・・・・。
9月6日 晴曇 秋晴れです。
稲刈りを始めると、雨雲もが一面覆って今にも泣き出しそうです。
「雨が降るけ〜、早う刈らにゃ〜」気が揉めます。
稲刈りをしていると、稲株の隙間からニョロニョロ出てきました。
「はみ(マムシ)がおったけ〜、生け捕りするけ〜、ペットボトル持ってきて」
マムシの頭にペットボトルの頭を近づけると、面白いように必ずと言っていいほどするりと入ります。
「水を入れておいたら、きれいになるけ〜・・・・」
マムシ酒を造っている人に持って行きました。
9月5日 朝から快晴です(大分県内)。
二男夫婦の2人目の赤ちゃんが生まれるというので、昨夜からこちらに来ています。
9時56分、3256gの女の赤ちゃんが無事生まれました。
里帰り出産ですから、親元のご両親には大変お世話になっています。
これで4人(男1人女3人)の孫持ちになりました。
月並みですが?五体満足に生まれてきたことが何よりです。
「大きくなれよ!」嫁に行くまでは、曾孫を見るまではがんばるけ〜の!
9月4日 曇雨 天気が気になりますが、稲刈りです。
稲刈りが終了すると同時に大雨です。
「普段の心がけがええけ〜、稲刈りをさせてもろう〜た、感謝!感謝!」
「孫が生まれるけ〜、大分まで行かにゃ〜じゃけ、忙しいて〜」
「そら〜楽しみじゃね〜」
こんな会話をしながらの稲刈りでした。
9月3日 夜半の稲光のすごかったこと!
電源が落ちて真っ暗です。
「あれれ?インターネットに接続できんで〜?・・・・・・・・・・、おかしいの〜」
朝、早速電話をすると「保安器が壊れている可能性があるので・・・・」と、担当の話です。
しばらくすると交換に来られました。
「夕べの雨がすごかったけ〜、田んぼの中は大水じゃけ〜、今日は刈れんろ〜・・・」
「水がある方がクローラの泥をきれいにして、かえって刈りやすいけ〜・・・」変な解釈?
今にも雨が降りそうな中、強行です!
「どこにもあんたみたいなのがおって、稲を刈りよるがね・・・・」呆れられています????
9月2日 晴れ間を縫って稲刈りです
予定通りの稲刈りを終え、籾摺りもできました。(右の写真)
アイガモ農法の田んぼの稲刈りも無事終えることが出来ました。
夜には必ずと言っていいほどかなり激しい雨が降ります。
朝の段階では「今日の稲刈りは出来んの〜・・・・・」と、思うのですが・・・・・。
少しでも空が明るくなると、「稲刈るで〜」と、出て行きます。
無事予定した稲刈りが出来ると「やった!」満足感があります。
9月1日 新学期の始まりとともに秋がやってきました。
津和野高校では、秋の学園祭が開催されており、体育祭がありました。
夏休み中に準備して今日の体育祭を待っていましたから雨よ降らないで!だったでしょう。
雨よ降らないでは、稲刈りをする農家も思いは同じです。
高田地区ではコンバインが一斉に始動し、その数10台ばかりです。
倒伏した田んぼでは、「こういうように刈らにゃ〜、ええ手に刈れんけ〜の」老齢?の指導が飛びます。
老いも若きもこの日のために、春の連休返上で田植えをしたんですから。
あれから4ヶ月、草刈りを何度したでしょう・・・・・。
水回りをして、早く大きくなれよとかわいがったことでしょう?
隣の田んぼに水はやらんでも、我が田に水があればいい(我田引水)と。
「青木の田んぼを見てみい、大干割れ、根が切れてつまりゃ〜せん」の悪口を聞きながら・・・・。
「水を充てた田んぼは秋落ちがして、半作じゃの〜、やっぱり中干しをせにゃ〜つまらんの〜」
「今年はあんたのやり方が勝ったの〜、あんたの田だけじゃ、堅い稲が出来たのは」
お褒めに与って恐縮です。
「殻(青田・ワラ)を作るんじゃ〜な〜け〜ね、稲穂を作るんじゃけ〜ね!」
百姓の「来年」いや〜稲作りって、奥が深いですね!
8月31日 「夕べあれだけ降ったのに、稲を刈るんか〜?・・・」
コンバインの覆いを取ると近所のおっさんが声をかけてきます。
「まだ田んぼの中は水が溜まっとるろ〜が?・・・・」
「あのくらいの雨で水が溜まるもんかいね」
「やっぱり中干しを本気でやらにゃ〜いけんろ〜かの〜・・・・・」
「毎年同じことを言うとるよ」
「うちの田に猪が毎晩出るけ〜、うちのから刈ってくれんさい」
「水がありゃ〜せんかね?・・・・・」
「それがあるんじゃ〜ね・・・・・・・、一部倒伏しとるけ〜」
そんな会話をしながら午後から稲刈りにゴーです。
夜になって一杯やっていると電話がかかります。
「おじちゃん、お米ありがとう!」
「大変な目にあって作られたお米をいただいて・・・・・」
「こんなに早く新米が食べられるなんて、ありがたいことです」
誰よりも早く新米を食べて、新米には日本人の心が宿っていますよ!
8月30日 頑固な天気ですね〜!晴れません。
一応田んぼに行きますが、天を仰いでため息ばかり、惨め?帰路につきます・・・・・。
旧吉田村(雲南市)からお客さんが来られました。
いろいろ楽しいお話を聞かせていただき、参考になりました。
10月にはお伺いする旨承諾し、おみやげに大ヒットした「卵かけセット」をいただきました。
お返しは、もちろん「つわの冷麺」です!
お話を伺いながら、日本全国各地には元気のいい仲間がいるな!〜と、思いました。
県下でも雲南地区はいろいろ大ヒット商品を生んでいますからご教授願いたいものです。
(早速いただきました)
8月29日 雨曇 午前中は、JA西いわみの理事会に出席しました。
雨が降っており、稲刈りは断念して余裕の?会議です。
「こね〜な予想はあたらん方がええの〜・・・・・」
「あんまり天気が続いたけ〜、9月は雨が降る思うとったいや」
「なんぼうお前でも今日は稲を刈りゃ〜せんろうがや?・・・・・」
「雨が降っても刈るのが粋ちゅうもんじゃけ〜の!」
「お前の真似をして刈るけ〜、小さいコンバインが詰まるろ〜がや・・・・」
「今日は理事会から帰ってから臼引き(籾摺り)をして様子見じゃね〜」
薄曇りで降らない天気は蛇の生殺しみたいなもんですよ!
予想は反対から読んだら「うそよ」、嘘よになって晴れてちょ〜だい!
8月28日 雨晴 朝から雨が降って、「今日は稲刈りができんの〜・・・・」ため息です。
「どね〜かなるけ〜、籾摺りでもするいね」と言うことで籾摺りをしていました。
「晴れて来たで〜」
「ほいなら、早昼して刈りに行こうや〜」
刈り始めると、パラパラ降ってきましたが決行です。
無事60a刈り取って乾燥機に入れると、シャワーを浴びて夜の会議にゴー!です。
8月27日 午前中、JA西いわみの委員会に出席しました。
益田市では市議会議員の選挙があるので看板の設置が急ピッチで行われていました。
同級生や恩師、同僚理事などが立候補します。ガンバッテください!
本格的な稲刈りに突入しました、と言っても、ごく一部の集落ですが・・・・・・・。
そんな動きに逆行するように、河川の草刈りを自治会がしました。
草丈2〜3mに伸びた葦ですから、素人には手強い相手でした。
今から台風シーズンに入りますが、河川の草刈りがしてあると安心です。
稲刈りは隣がすると我が家もと言うような変な意地の張り合いがあり、一気に稲刈りが終わりますよ。
明日から天気が悪くなるそうで、気が気ではありません・・・・・。
8月26日 「どね〜かいの?まだ青いような気がするんじゃがの〜」
「まだ青いちゅうて、言うとろ〜がね・・・・」
「そね〜言うても来月に入ったら雨が降るけ〜の」
「せっかくここまで作ったんじゃけ、もち〜と熟らして刈ろ〜いね・・・・」
隣の田んぼで刈りたい親父と、それを阻止?せんとする女房殿とのバトルです。
さて結果は?明日の9時頃には判明します。
果たしてコンバインが無事田んぼに出てきますか?どうか。
そんな会話を聞きながら、一杯です。
稲刈りに行った方から、「ブチ冷えとるビールがあるけ〜!、焼き肉で一杯やろう〜いね」
「そりゃ〜ええの!」てなことで、まだ日が高いのにのどを潤します。
田植えからこのかたの苦労話?をはじめ、来年の田植えまで話してビールを飲みます。
いや〜!稲作って奥が深いですね〜!??????ビールが旨い!だけ???
8月25日 「うちの稲刈りは何時やってくれる?はあ、熟れたんじゃやが〜・・・・・」
「今日から本格的な稲刈りをしょう思うとるんじゃが、今日するかね?」
「うちは何時でもええけ、今日やってくれんさい」
「それなら9時過ぎに行くけ〜」と、言うわけで稲刈りが始まりました。
昼過ぎに「明日刈ってもらう田んぼの準備をしとるけ〜、たのむけ〜」との電話です。
「それならついでじゃけ〜、昼から刈ろう〜いね・・・・・」
「明日も今日も違や〜せんけ〜」半ば強制的ですが・・・・・。
ということで、60aの稲刈りが終わりました。
乾燥機に入っていますから、明日の朝には籾摺りが終わり、昼には新米が食べられますよ!
ただし、ご先祖様にお供えをしてからですよ!
8月24日 松江と出雲に出かけてきました。
朝早くから出かけての日帰りはきついですね。
道中は稔りの秋を思わせるように、コシヒカリが熟れて黄金の稲穂をつけています。
明日は土曜日ですから、稲刈りが始まると思います。
春の作業は雨が降っても出来ますが、秋の刈り取りだけは天候任せです。
ですから、雨が降ったらお手上げです!
週間天気予報では、9月に入ると愚図ついた日が続くとの予測です。
気が揉めますね・・・・・・・・、
8月23日 曇晴 夜半に雨が降りましたが、午後からは強い日差しがのぞきました。
午前中、町内高田地区において稲刈りの現地指導がありました。
JA西いわみの指導員が来て刈り取り適期の重要性等を指導しました。
早速我が家では、午後稲刈りです。
「津和野町内で稲刈りは一番じゃけ」くだらない優越感?に浸りながら借りました。(右の写真)
今年の出来具合は、平年並みと思っています。
8月22日 晴雨 島根県議会の文教厚生委員会(委員長 田中八州雄)の視察がありました。
委員会の管内調査ですが、石西厚生連にも事情聴取に来られました。
中島町長はじめ出席者から、医師不足や地域医療の格差について説明申し上げました。
8月20日 津和野町認定農業者協議会(会長 田中幸一)の総会が日原開発センターでありました。
19年度の事業計画と予算案を承認しました。
役員改選で、理事4名選出し互選により会長をお引き受けしました。
今後の課題として、県下に農業者協議会のネットワークを作ることがあります。
8月18日 いよいよ稲刈りが始まります。
そこで、田んぼの水を完全に落水して歩きました。
前半の長雨で中干しが徹底されておらず、後半の猛暑で水を充てたので秋落ちがした田んぼが出始めています。
8月15日 二男夫婦が孫を連れて大分にいきました。
徳山港まで送っていきました。
1年に2回しか会えませんから、人見知りしてなついた頃にはお別れです。
この写真からもまだまだ堅さがとれません?
それでも、フェリーの中まで一緒に手をつないで行ったんですよ!
爺馬鹿といわれてもいいんですが、大きな丈夫な孫です!
来月にはお兄ちゃんになる孫です。
8月9日 猛暑の中、JAの常勤非常勤役員研修会が出雲市で開催されました。
8月3日 溝口知事が来町され、益田広域圏の農業に対する公聴会がありました。
農業者の代表8名がそれぞれ意見を述べました。
若い後継者が
8月2日 曇雨 手術した後の経過を見るための検診に、小郡の第一病院に行きました。
異常なしと言うことで、病院と手が切れました。
7月15日

県内隈無く走覇する候補者に容赦なく降りしきる雨です。
「空梅雨じゃ、ちゅうとったのに、盆まで降りそうな勢いじゃの〜」
「九州は大事になっとるんじゃの〜、ニュースで見たが・・・・」
「降り始める前に、長期予報が空梅雨らしい言うたんで、中干しをしとらんけ〜・・・・」
「追肥をやっても、田んぼの中はズワズワじゃけ〜・・・」
「追肥をする時点で、ズックで歩けるくらいにゃあ、稲刈りはジルイでや」
「今年も稲刈りを頼むけ〜の」
「任しんさい!ほいじゃがジルかったら行かんけ〜ね」
「草刈りがえろうてやれんけ〜、楽に刈れる機械はないかね?」
「それじゃったら、あそこの法人やここの法人が導入しとるが、ええでや」
「使こーた者が言うとったが、ほんとに楽でええちゅうとった」
「これがカタログじゃけ〜、幅広と法面刈りがあって、4輪駆動で・・・・・・」
DVDを見せて売り込みに必死の社長さんでした。
雨が降って、農作業が出来ないので時間つぶし?熱心な農家?大勢来られました。
「何時になったら、あめがあがるんかの〜・・・・・」
こんな会話が弾む?長嶺農機鰍ウんの展示会場から生中継?でした。
7月12日 参議院議員の選挙が公示されました。(右の写真)
島根選挙区は定員1名に3名が立候補しています。
今回は激戦?模様といわれて、全国最注視?の選挙区になっているそうです。
29日には審判が下ります。

(写真は、帰国した中学生と引率した先生)
あれから何年になりますか?ベルリンにある森鴎外記念館の存続運動以来交流が続いています。
当時の活動内容は、「ドイツ8日間の旅」にリンクしてお読みください。
昨年、ベルリンから当町に中学生が来てホームステイしていました。
「去年、うちでホームステイを受け入れたけ、今年はうちの子が行ったんよ」
「合併したおかげで、日原中学から4名も参加できたけ〜」
子供よりも、親が興奮?したお迎え風景でした。

今度の週末は、長嶺農機鰍ウん恒例の展示会です。
台風が直撃?しそうな中、設営が終わりました。(右の下)
皆さん、雨にも負けず、不景気にもめげず、展示会に行って、疎を聞きましょう!







7月11日 長い長い梅雨に入っています。
台風4号も数日先に上陸?しそうです。
そんな中、小雨決行?小雨結構?ゲートボールを楽しんでいます。(右の写真)
平均年齢80歳のチームですが、皆さんとても上手ですよ!
腰が曲がって、球を打つ角度がちょうどいい姿勢になっています。
早朝の数時間ですが、気持ちいい汗をかかれています。
7月8日 梅雨の晴れ間で久々にお天道様の顔を拝みました。
九州一帯は大雨の被害が出て大変そうで、お見舞い申し上げます。
田んぼの水回りの帰り道に歓声が聞こえるので寄り道しました。
津和野高校のグランドで練習試合をやっていました。(写真右)
来週から甲子園を目指して島根県予選が始まります。
選手の保護者が声援を送っています。
今から10年前になりますが、次男の追っかけをやっていたのが懐かしき思い出です。
7月6日 夕方孫が泊まりに来ました。
それからというもの、我が家を上げててんてこ舞いです。
風呂に入れる騒ぎが一段落したと思ったら、食事が大変です。
この騒ぎ?が日曜日の夕方まで続きます。
7月3日 (挨拶をする大庭次雄会長)
第2回津和野町農政会議の通常総会が吉賀町柿木の基幹センターで開催されました。
18年度事業報告並びに決算を承認し、19年度事業計画並びに予算を承認しました。
大会決議を行い、吉賀町農政会議と合同で研修会を開催、講演がありました。
その後は恒例の懇親会が柿木の温泉施設(はとの湯荘)であり、一杯です。
残念ながら、まだまだウーロン茶でお付き合いです。

総会の様子
7月2日 時々強く降る雨模様ですが、水嵩が上がるまではいきません。
そんな道中ですが、手術以来の検診に出かけていきました。
「きれいになっていますから大丈夫ですよ」指を入れての診察です。
「先生、締まりが悪いようですが?・・・・・」
「心配ありませんよ、糸が解けてしまうと元通りに筋肉が動きますから」
「先生、そろそろビールがおいしい季節になりますが?・・・・・・・」
「適度に飲むのはいいでしょう」
そのお言葉、待っていました!では、早速!もう、これを契機にやめようかな?
そんな勇気もないくせに!酒と薬を交互に飲み・・・・・・・。

津和野共存病院が混合型の入院体型になり開所式がありました。
2階部分は従来の一般入院ですが、3階が医療療養型に変わりました。
看護体制も2交代制になり、試行期間を経てのスタートとなりました。
「抜本的経営改善計画」が承認され、先陣を切って津和野共存病院が実働に入りました。
開所式にあわせ、早めに出向き施設の改善した様子を見て歩きました。
初めての勤務体系や療養型への転換など戸惑うことも多々あると思います。
今日の開所が予定通り出来たのも、院長先生はじめ職員皆さんの労苦の賜であります。
町民の皆様から信頼され、地域医療に貢献できる病院目指して労使一体となって取り組む所存です。
県のご尽力により、今月から新たに2名の医師が赴任され、充実した医療体制が整います。
7月1日 曇雨 「小川地区健康を守る会」が小川地区民体育館でありました。
体操から始まり、綱引きや玉入れなど集落対抗の競技もあります。
農作業も一休みして、心地よい汗をかいていました。(上の写真)

曇り空の下、消防団による消防捜法大会が城山下の駐車場で開催されました。(右の写真)
選手は日頃の成果を発揮すべくきびきびと取り組んでいました。
団員や家族の声援を背に受け、的目掛けて放水していました。
この日ごろの努力の積み重ねが、いざと言う時に発揮されるんですよね。
6月30日 津和野の夏の訪れを告げる「夏の大祓・茅の輪」神事が弥栄神社でありました。
津和野ではこの日から浴衣を着始めるという習わしがあり、出かけていきました。
偶々孫が遊びに来ておりましたので、数年ぶりに出かけていきました。
境内には屋台が出ており、焼き鳥片手に生ビールを飲んでいました。
しばらくして総代が神前でお祓いを受け、神楽が舞われ大勢の善男善女で賑わいました。
お祓いを受けた後、人型に無病息災等のお願いを書いていました。
この茅野輪をくぐると、この夏を無事に乗り切ることができるといいます。
6月27日 晴曇
石西厚生連の総会が開催されました。
18年度決算に引き続き19年度の事業計画が承認されました。
「抜本的経営改善計画」がスタートする最初の年度でもあります。
地域医療を守る上でも病院の存続は不可欠で、住民の期待こ応えなければなりません!
6月26日 JA西いわみの通常総代会(総代800人)が益田市のグラントワにおいて開催されました。
2006年度決算や2007年度の事業計画など提案された議案すべて可決承認されました。
また空白だった理事2名の選出も行われました。
総代会のあと第1回の理事会が開催されました。
6月24日 個人的事情により、大変長い間お休みして申しわけありませんでした。
本日から再開しますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
休んでいた間の記憶を頼りに簡単に振り返ってみました。(下記の数日間の記事)
6月20日 畑ヶ迫小学校から依頼されていたアイガモですが、入院したためお渡しできませんでした。
今日、4羽のアイガモを学校に引き渡すことができました。
子供たちに可愛がられて、田んぼで活躍することでしょう。
6月18日 梅雨空を眺めながら、午後退院しました。
しばらくは自宅療養です。
6月17日 外出許可をもらい、帰宅しました。
弟の33年と、祖父の27年の法事を入院前から予定していましたので行いました。
叔父さんや叔母さん皆さんにきていただき、興源寺住職様にお経を挙げていただきました。
焼香後お墓に参り、皆さんと会食しながら故人を偲びました。
その後は、また病院へUターンです。
6月14日 待望の梅雨入りです。
窓の外の雨をみながらベッドに横たわっていると、遠路お見舞いに来てくださいました。
歩けるようになったのでロビーに出て談笑です。
「ホームページに、個人的にもメンテナンス云々とあったので・・・・・・・」
「早くお見舞いに来なければと・・・・・」
こんな病気は病気に入りませんが?お見舞いに来ていただきありがたいことです。
6月10日 外の天気が気になりますが、田んぼの畦畔雑草の草刈りは近所のおっさんにお願いしました。
今は寝るしかない?覚悟を決めてテレビを見ています。
6月9日 麻酔が切れてきたので患部が痛み出し、夜半には2回ほど痛み止めの注射をしました。
困ったことに尿意があり、何とか試行錯誤しましたが管を入れてとってもらいました。
その後は2時間おきに自分で横になり出しましたが、なかなか下半身に力が入らず悪戦苦闘でした。
以上が朝までのことですが、なんと長い夜であり朝が待ち遠しかったですよ・・・・・。
朝も食事はなく、歩いてトイレに行けるのがうれしかったですね。
昼から重湯、夜3分粥です。
患部の痛みは相変わらずありますが、横になってテレビを見るしか方法がありません。
6月8日 朝から点滴や絶食が始まり、12時前に点滴をぶら下げて歩いて手術室に入りました。
ベッドに横たわり、執刀する医師から説明を受け、エビのように丸くなった背中に麻酔が入ります。
何となく下半身がだるくなって、「あれ?」見事に麻酔が効いてきました。
「さあ、始めますよ」
うつぶせ状態での手術です。
何の手術でしょう?
話せば長くなりますが、世間一般で言われている「疣痔」です。
田植えが終わった頃から、排便時に出血があり便器が真っ赤に染まり出しました。
その出血もだんだんひどくなり、噴射?状態になってきました。
便器の中は見事な鮮血です。
そんなことですから、当然貧血が起こります。
草刈りをしていても、ふらふらすることがあり、「これはいけん!」と、診察にいきました。
「これはひどい、手術して取り除くしか方法がないですよ」との所見です。
「すぐやってください!」と、お願いをして今日の手術となった次第です。
「なかなか年季の入った痔ですから、再発しないようにやりますから」とのお言葉。
親指大の患部をデジカメで記念撮影?してメスが入ったようですが、全然わかりません。
2時間後無事終わりましたが、麻酔がまだ効いています。
若くきれいな看護師さんとの生活が始まりました。
6月7日 簡単な入院道具を持って山口市小郡のJA第一総合病院に入院しました。
明日はいよいよ手術です。
午前中麻酔に関しての外来診察を受け、6人部屋で安静です。
コンピューターとオーナーが骨董品?になりました。
そこで、CPUを3G、メモリーを1G、HDDを300Gくらいのにグレードアップします。
また、個人的にもメンテナンスすることになり、
6月20日まで更新が出来ないと思われます。
「百姓天国inつわの」をご贔屓いただいております皆様には大変ご迷惑をおかけします。
ご理解の程お願い申し上げます。
5月31日 アイガモが我が家に来てから1週間が経ちました。
例年ならまだ暖房をかけて飼育しているのですが、今年は厳しさを全面に打ち出しました。
暖かい日射しがない時に田んぼに出るのは不安がありましたが?・・・・・。
そんな不安は自然のものには不用でした。
あっと言う間に水を求めて田んぼに入りました。(右の写真・携帯で撮影)
やはり水鳥ですから、泳ぎ回っています。
早速オタマジャクシを追っかけて回って、餌にしています。
「まだ寒い日は可哀想なの〜」近所の常連さんです。
「この辺りの初夏の風物詩じゃけ〜、カモが田んぼで泳がにゃ〜、寂しいけ〜」
「お〜、出た出た、今年はなかなかカモがお出ましにならかったけ〜」
皆さんアイガモのことを「カモ」「カルガモ」と呼んで「アイガモ」と言いませんです。
5月27日 石西厚生連の機構改革に伴う説明会がスタートしました。(写真右)
津和野会場からスタートして6月20日までの間、町内12カ所で行います。
初日の今日は御前と午後の2会場でそれぞれ50名の出席がありました。
出席された皆さんから質問がありました。
「機構改革後に伴う診察科目の縮小はあるのか?」
「時間外対応について」
「医師不足の現状はどうか」
「町民が安心して受診できる病院にするには町民がもっと利用して行きましょう」等々
皆さんの地域医療に関する思いが伝わってきます!
「大正8年に全国に先駆けて出来た農協の経営する病院(厚生連)であり、
機構改革をしても先人が守り続けてきた地域医療に対する理念は微動だにするものではありません」
との決意を申し上げ理解と協力をお願いしました。

津和野会場の様子
5月26日 今日から田んぼの中干しを始めます。
田植えが終わってからちょうど1ヶ月になりますが、土中の酸素が不足しています。
出来立った苗の下葉や先の部分が枯れたような状態ですが、酸素不足です。
これを補う方法は、中干しの徹底です。
「せっかく水温が上がって、温い水を落水しちゃ〜、惜しいの〜」
「こね〜に早よ〜に干しちゃ〜、株が張らんけ〜の」
このように、昔ながらの栽培方法がいまだに通用しております。
田んぼに鋤込んだ稲藁が醗酵してガスが湧いてきています。
「当分水を充てんけ〜、好きなだけ水を取りんさい」
「そうか、そうか」何と嬉しそうな??????
「田を干すけ〜、取水口を絞るけ〜の」
「ウチも干すけ〜、かまわんよ」
「あそこの集落じゃ〜、干す者がおらんよ」
「町内で中干しを徹底してする集落は2〜3カ所しかな〜よ」
「中干しのやり過ぎは、あんたと2人くらいじゃね〜」
こんな会話をしながら家路に急ぎ、冷えたビール(発泡酒)を飲むのでありました。
5月24日 アイガモが活躍する田んぼにネットを張りました。
時々風が吹いて作業が止まることもありましたが、無事張り終えることが出来ました。
2.5m間隔に1.5mの竹の杭を打ち、それにネットを張り付けていきます。
全長250mありますから、1人での作業は時間がかかります。
夕方無事終え、後残された作業は竹の杭(支柱)から杭へカラスや鳶よけの糸を張ることです。
2.5m間隔で縦横張りますから、これも半日がかりです。

今日は午後から津和野商工会の総代会が開催されました。
合併後の運営を任される役員が選出されることになっていますが・・・・・・・。
「津和野らあめん」「つわの冷麺」の販売をするため商工会の会員になっています。
その中の「土産物組合」にも加入していますが、会費以上の効果は上がっていません。
新役員さんのご活躍を御祈念申し上げます。
5月23日 「アイガモ農法米」をはじめて6年になります。
早朝益田市まで大阪から深夜便でやって来た「アイガモ」を引き取りに行きました。
早速帰ると、砂糖水を飲ませ籾殻の敷いてある飼育小屋に入れました。
飼料と水を与えると「ぴ〜」「ぴ〜」と餌を頬張り、水の中に入って水を飲みます。
今年の雛は大きく元気です。
「せわしいろうけ〜、今年はアイガモが来るのが遅いの〜ちゅうて話とったんよ」
「お客さん(アイガモ)が見えられたか、お披露目はいつかの〜」
「来週の月曜日には田んぼにデビューするけ〜」
「やはりアイガモが田んぼで遊ばにゃ〜、風物詩じゃけの〜」
今年は役職を遂行する上で忙しいので25aの田んぼ1カ所に50羽入れることにしました。
「アイガモ農法米」2007年のサイトも始まりました。ご覧下さい!

アイガモ50羽
5月22日 快晴の中、1番茶の後に出た新芽の刈り取りが盛んに行われています。
2番茶の芽を揃えるために行う作業ですが、きれいに刈り揃えられていきます。(写真は下地さんの茶園)
右の写真は見づらいですが、川一面に蔓延った葦です。
わずかに水面が見えますが、葦の高さは2mを超えています。
これで雨が降ったら、足田んぼに流入して冠水します。
葦の刈り取りと河床掘削が望まれますが、これだけ繁茂すると重機での根こそぎしか手がありません。
梅雨入りを前に早急に対処して欲しいものです。
5月21日 田んぼの中は初期雑草が発生して、そろそろ中期の除草剤を散布する時期です。
ヒエが生え、ウリカワ、セリが見えます。
この時期に退治しないと、後期になるとなかなか除草剤が効きません。
「アイガモが23日の朝着くけ〜」との連絡です。
忙しくなるゾ〜、ネットを張ったりして準備せにゃ〜いけんけ〜。
「アイガモ農法米」については、別ページに新しくサイトを作ります。
5月18日 世界遺産に登録されて3年になる吉野山に、縁あってお詣りすることが出来ました。
来春は親としての務めが果たされそうです!
吉野千本桜で有名ですが、世界遺産に指定されて参道は活性化しています。
皮肉なことに、島根県の石見銀山は指定見送りが通告されました。
豊臣秀吉が5000人を引き連れて花見をした重箱が展示されている料亭で昼食をいただきました。
桜のシーズンは大変な人で賑わうそうですが、参道の勢いは世界遺産のお陰と思われます。

母の兄(伯父)の88歳の祝いがあり両親が出席し、子供や兄妹が集まりました。
曾孫からお祝いのプレゼントがあったりして、みんなで長寿を祝いました。
「お慶びで会えるのは良いね!」
「元気で長生きしようね!」和やかなお祝いでした。

金峯山寺
5月17日 「白鷺が来て稲を踏み荒らしとるけ〜、糸を張るかどうかせにゃ〜やれんよ」との電話です。
「今年は被害が少な〜思うたが、爆音器を鳴らしちゃ〜いけんかね?」
「そりゃ〜ええいね」てなことで、早朝仕掛けました。(右の写真)
所用で奈良県まで出かけましたが、宿泊は天王寺でした。
通天閣の下で食事をしましたが、串カツを何十本食べたでしょうか?・・・・。
「びりけんさん」の前で、はいポーズ!
5月18日 晴曇 「水が減ったが水門にゴミがかかっとりゃ〜せんろうか・・・・」
「水回りのついでに見てくるけ〜」と言うことで行くと、風で飛んだ竹の葉や杉の枝がかかっています。
取り除いてやると、気持ちが良いくらい水が吸い込まれていきました。
「これで当分しゃ〜な〜け〜ね、その内雨が降るいね」まあ一安心?です。
水門の直ぐ近くで取材が始まっていました。
「何の取材かね?」野次馬根性丸出しで近づきます。
「遺跡の発掘調査をしたんじゃがね〜、江戸時代に整備された道がそのまま出てきたのいね」
「今度20日の日曜に説明会をするけ〜、風で飛んだ竹の葉を掃いとるのいね」
「ここに9号線からのバイパスが温泉に向けて通るけ〜、遺跡調査をしたのいね」
「昔ここから徳佐に向けて道があったのは聞いとったが、こね〜な立派な石畳とは知らんかったね〜」
「何でも、山陰道の一部ちゅうことらしいよ、テレビが取材に来るくらいじゃけ〜」
「何とか保存すりゃ〜ええのいね〜、説明会が終わったら埋め戻すらしいよ?」
現地でそんな会話を交わして散策です。
見事なものです!(右の写真)
平らに敷いた石畳の側には側溝もあり、かなりの技術?労力?だったものですね。
興味のある方は、20日(日)午前10時30分から説明会が開催されますから出かけてみては。
場所は、津和野町中座(門林)です。
5月17日 「今年はホタルがじょうに(たくさん)おるろうかの〜?・・・・」
「あんまり湿度がなあけ〜、どうじゃろ〜かの〜」
「今年もホタル祭をするんかね」
「はあ恒例じゃけ、せにゃ〜やれんわ〜ね、皆が待っとるけ〜」
町内に「ホタル祭」のポスター(右の写真)を貼って歩いている人との会話です。
梅雨空が続くような年はホタルがたくさんでますが、今年のように乾燥しているとどうでしょか?・・・・。
悪年蛍に蝦豊作??????
このホタルを見るツアーも今から20数年前に私達のグループが企画して始めたのですよ!
それ以来、ず〜と続いていますから皆さんも来て下さいね!
焼き肉や農産物の即売、ビンゴもありますよ。
5月16日 曇雨風 いつもは晴天の時にするのですが、風が強く吹きそうだと言うことで飛ばされたら大変です。
倉庫の側に高く苗箱(使用済み)が積んであります。
そこで、急遽苗箱を洗うことにしました。
洗浄機を出しセットしてしまうと、後はその機械の中を通すだけですから簡単?です。
洗い終わった箱はトラックに積み上げ、離れた倉庫まで運んで格納します。
倉庫に移動する間はよかったんですが、着いたとたん強い風が吹き出しました。
せっかく洗った箱が、1枚2枚と田んぼに吹き飛んでしまいました。
何せ1000枚の箱が積んであるんですから、せっかく回収しても、また飛んでいきます。
悪戦苦闘して1時間かかって倉庫の格納場所に積み上げました。
まだしずくが落ちて腕やら胸は水浸しになってしまいましたが、安心です。
明日は残りの200枚洗って完了です。
一杯やりながら時間が経つにつれて、夜半にかけての風邪のすごさと言ったらすごかったです!
5月15日
大皷谷稲成神社春の大祭は多くの参拝者で賑わいました。(写真上)
参道には多くの露店が建ち並び、苗ものや芋類、海産物にイカ焼き、まんじゅう等々を買っていました。
農業クラブの皆さんと婦人部合同の餅つきも人気を集め、観光客や地元の人が早速頬張っていました。

山陰中央新報
5/16
山陰ワイドより
5月14日 昭和52年の今日、大皷谷稲成神社下の総霊社において、結婚式を挙げました。
あれから31回目の結婚記念日を迎えました。満30年です。
2男1女に恵まれ、何とかここまでやって来たな〜、と言う気持ちとこれから20年(金婚式)あるぞ!
女房が21歳で嫁いで来たんですが、はや52歳(誕生日が来たら)を迎えようとしています。
そうすると私は、56歳になるんですね〜!
女房は未、私は卯(どちらもやさしい?)我が家は代々嫁さんは(母親も祖母も)未です。
そんなわけで昨夜は日曜日でもあり、結婚記念日イブを急遽することにし一杯やりに出かけました。

真夏並みの暑さが続き、田んぼの水も温み表層剥離の現象が現れてきました。
冷たい水をかけ流してやると治まります。
ハウスのビニールを剥がすのに暑かったのなんのって、たまらん・・・・・。
5月13日 田植えが終わって一息ついていると、「宅急便です」と、相次いで母の日の贈り物が届きます。
娘や嫁さんや孫からカーネーションやいろいろと有り難いことです。(右の写真)
中には海の幸の詰め合わせもあり、一足早い父の日?が来たようです・・・・・・。
大きい婆ちゃんにも来ましたよ。
5月15日は、大皷谷稲成神社の春の大祭です。(写真上の右  大皷谷稲成神社春の大祭のポスター)
田植えも終わり、今年の豊作祈願に各地から善男善女がお詣りします。
5月12日 晴曇 今年の田植えが無事、事故もなく終わりました。
田植えが始まってから雨や風の心配が無く、順調に田植えが出来ました。
今年は昨年まで委託されていた代掻きや田植え、苗造りをほとんど断りました。
よって、面積的には大幅な縮小となりました。
それでも、他の農家から見ると遅い田植えの終了だったんでしょう。
「今年もまだ田植えをしよるんか〜?・・・・」
「まだ苗を運びよるが、田植えは終わらんのか?・・・・」
心配してくれているのやら、野次馬やら、馬鹿にしとるんやら?有り難いご指摘です。
疲れ果てていますが充実感はあります。
お世話になったトラクターや田植機を明日丸1日かけて洗浄して格納です。
それが終わると、水回りから始まって畦畔の2回目の草刈り等管理が待っています。
ビニールハウスのビニールの撤去や苗箱をあらって片付けが待っています。
「五穀豊穣」稔りの秋が待っています!
5月11日 田植えもいよいよ終わりに近づきました。
明日午前中で作付予定面積すべての田植えが終わります。

町内の中原集落では、農業クラブの皆さんが町内の園児を集めて田植えをしていました。
津和野町役場に勤務されている米原さんの田んぼにみんなでモチ米を植えていました。
毎年行われる恒例のイベントですが、収穫後はみんなでお餅をついて食べるんだそうです。
園児達は田んぼに入って泥に足を取られ悪戦苦闘でした。(写真右 山陰中央新報5/16山陰ワイドより)
お昼にはお母さん達が作ったおむすびをほおばって美味しそうに食べていました。
八十八の手間かけるから「米」と書くんだよ!まだ分からないか・・・・・。
5月8日 暑かったですね!30℃ありました。
最初に植えた稲も10日になり、植えたときよりも元気を出しています。
我が家の田植えも終わっているはずでしたが、トラクターが原因不明の故障でリタイアしていました。
修理に入っていましたが、完全に直らないままだましだまし使うことになりました。
特に困ったのが、今までの使用していた速度が上がらず、1段遅い速度での作業です。
しかしながら作業効率から言えば、他のトラクターよりは面積当たりの作業は早いです。
作業をしている周辺は田植えが最盛期ですから、田植機が3台も出て田植えをしています。
よほど暑いんでしょうね、再々水分補給をしていますよ!
我が家のトラクターはエアコンが効いていますから快適です。寒いくらい?・・・・・・。
代掻きも残り30aまでになりましたが、作業終了です。
友達のお父さんが亡くなり通夜に参列するため早めに切り上げました。
5月5日 曇晴 連休も終わりに近づき、帰省していた子供達も孫を連れて帰っていきました。
午前中に二男夫婦が帰っていきました。
「いつ頃着くんか?・・・・」
「吹田を5時までに通過したら10時頃には着くと思うよ・・・・」
「事故に気をつけての〜」
「盆にゃ〜帰るけ〜」米1袋30kgと野菜を積んで帰って行きました。
その後長女が、「仕事じゃけ帰るけ〜ね、爺ちゃん、婆ちゃんにバイバイしんさい」と、帰って行きました。
1時間後、「じいちゃん、帰ったよ、また行くよ!」孫から家に着いたという電話です。
「また来んさいね、待っとるけ〜ね・・・・・」
昼過ぎ、長男達を連れて新山口まで送っていきました。
山口地方は雨が降っており、新幹線口の駐車場は車が長蛇の列ですから、在来線から見送りです。
「体に気をつけんさいよ!」別れ際の言葉は何時も同じ台詞ですね!
改札まで見送り、「楽しい連休じゃったね!あっと言う間じゃったね〜・・・・」
「子供達も、大きゅ〜なって?・・・」
「こっちは年を取るはずじゃの〜」満足!満足!
「連休中は、あそこにも連れて行ってやりたい、ここにも行きたい思っとたが行けんかったの〜」
「ゆっくり子守をしてやりかったのに、慌ただしかったけ〜・・・・」
「皆ゆっくり出来たらえかったがね〜・・・・・」反省?
「田植えを早〜に済ませて、親の務めがまっとるけ〜の」
「田植えが終わったら、忙しゅーなるね〜」
「草臥れたの〜」「疲れたね〜」本音もポロリ・・・・・・・・。
「さあ!田植えも最後の追い込み!ガンバラナクッチャ!」
夜10時過ぎ、立て続けに、長男、二男から「無事着いたよ、ありがとうね」のコールです。
これで安心して、グッスリ寝られます!よかった!よかった!
田植えが終わったら、親としての大きな楽しみが待っています!




5月4日 晴曇 青木家全員勢揃いしました。
子供達夫婦も集まり、孫3人もやってきました。
午後からは休みにして、孫と遊んで鋭気を養いました。
夕方からは、割烹あおき寿司に揃って出かけ美味しい生ビールで乾杯です!
明日はみんな仕事場に帰って行きます。
しばし至福の時を楽しんで会話も弾みます。
「明日はいつ頃帰るんかいの〜」
「交通事故には気をつけにゃ〜の〜」
「子供を大きゅ〜せにゃ〜の〜」
津和野の町は観光客で、しばし交通渋滞がおこるほどの賑わいでした。
5月3日 「乙女峠まつり」に全国から2000人の信者が集まって乙女峠において野外ミサが行われました。
乙女峠はキリシタン殉教の地として知られ、長崎からキリスト教徒153人がこの地で幽閉されました。
その内36人の殉教者を出し、追悼をするため1952年からこのまつりが行われています。
(写真は山陰中央新報2007年5月4日付島根ワイドより)
JR津和野駅裏手にある乙女峠には聖堂があり、四季を通して観光客が訪れています。

混み合う町内を避けて、大規模林道を経由すること5分で現着です。
残り1.5haの田んぼに到着すると、早速草刈りが待っています。
町内でも田植えが遅い集落ですが、早くも植代に入っています。
負けてたまるか?ヘンな意地を出して?草刈りを始めました。

孫は乗り物が
大好きです!
田植機に乗りポーズ!
動力三輪車が
気に入っています。
5月2日 雨曇 昨夜来の雨が降り続いていましたが、田植えを始める頃から上がりました。
連休の中休み?2日目ですが、観光客は大勢来町されています。
我が家の田植えも作付面積6haの内、4.5haを植え付けました。
残りの1.5haは連休明けから畦畔の草刈り、代掻き、田植えと行います。
3〜5日にかけては帰省している子供達や孫を連れてノンビリします。
5月3日には、「乙女峠まつり」が行われ、大勢の信者が全国各地から訪れます。
マリア像を先頭に幼花園の園児や信者の長い行列が殿町の教会から続きます。
この日もよく雨が降りますが、今年は快晴の中での「乙女峠まつり」になりそうです。
5月1日 雨曇 昨夜から朝方にかけてすごい風が吹き荒れました。
早くも5月の声を聞くようになりました。
町内の田植えも9割り終わった集落もあり、後は泥落としを待つだけです?・・・・・。
我が家も6割程度田植えが終わり、今日明日で8割が完了します。
私の記憶に間違いがなければですが、5月1日はよく雨が降りますね〜!
雨降りの合間を縫って、田植えを敢行しました。
長男も田植えの手伝いをするために?帰ってきていますから(憶測です)。
苗運びやえぶり(田植機が旋回したところを平らに均す)に汗だくになっています。
それでも若いし力があるので仕事が速いですね!
昨年まではトラクターに乗って代掻きをしていましたが、こういう作業もあると言うことです。
来年は田植機に乗っての田植えに挑戦させる予定です。
来年の連休には、田植えの手伝いが1名増員していると思います!
田植えが終わったら、公私ともに多忙の毎日が待っているはずです。
4月28日 我が家も田植えに入りました。
「ヒメノモチ」いうモチ米を手始めに植えます。
その後は、「コシヒカリ」を植え付けていきます。
連休に入り、子供達が孫を連れて帰ってきました。
孫3人で賑わっています。
が、連休中は結婚式が重なり、孫をおいて出かけていきました。
そうする内に姪夫婦がやって来ました。
田植えをおいて少し息抜きの休憩です。
天気も良く、田植えは順調に捗ります。
夜は孫抱いて寝ましたが、慣れないことで気を遣いながら寝たような寝ないような・・・・。
連休中の1日は仕事を休んで、孫を連れて動物園に行こうと思っています。
4月26日 半袖の観光客がちらほら見えるような陽気です。
町内のトップを切ってコシヒカリの田植えが始まりました。
苗も順調に生育しており、根の張りもよくきれいに植え付けていました。
田植機に乗って田植えをしているのは阿東町から応援に来た娘婿殿です。
山口県内トップの米所から来たのですから、さすがに上手です。
暖かい日射しの中で順調に田植えが捗っています。
多分、こんどの土曜日から田植えが始まって、あっと言う間に田植えが終わることでしょう。
いくら急いで植えても、刈り取り時期は一緒なんですがね・・・・。
4月22日 朝から雨が降っています。
昼前にはかなり激しく降っていました。

端午の節句を前に孫の鎧甲を飾っています。(右の写真上)
連休に帰ってくるとの連絡があり、今から待っています。
1歳2ヶ月になりますから歩くようになっていることでしょう。

蛙が鳴く側でトラクターが快適な音を発てて代掻きが捗っています。
孫二人がやってきて、全員で子守です。(右の写真下)
その田んぼの側まで来て、手を振っています。
近づくとエンジン音に怖そうにしますが、興味津々なのでしょう・・・・・。
上の孫は童謡を覚えて歌って聞かせてくれます。
「か〜らあす〜、なぜなくの〜、からすはやまに〜・・・・・・」一生懸命歌います。
「か〜ら〜す〜、なずなくの〜、からすのかってでしょ〜」教えてやりました。
多分、明日は保育園で熱唱することでしょう!先生ゴメンなさい・・・・。悪いジジです、ペコペコ!


4月21日 生ぬるい風が朝から吹きまくっています。
多分雨になる予兆でしょう。
午後、仕事を切り上げて、この3月いっぱいで退職された方にお祝いに出向きました。
日頃の無沙汰をわび、長い間のお勤めが無事終わった事へのお祝いを述べさせたいただきました。
百姓には定年が無いのか、何時が定年なのか分かりませんが、生涯現役!でやります!
毎日元気で働けることに喜びを求め、稔りの秋を後何度満喫出来るやら分かりませんが・・・・。
たくさんの孫に囲まれて、好きなビールをたらふく飲んで(これがいけないのです!)惚けることなく!
最愛の女房と好きなときに旅行に行って・・・・。あれから30年・・・・(きみまろ節で)。
5月14日には31回目の結婚記念日が待っています!
4月20日 晴曇 朝から草刈りです。
心地酔いを通り越して強い風が吹きます。
刈った草が吹き飛んでいきます。チョット大げさですが・・・・。
鯉のぼりが嬉しそうに泳いでいます。(鷲原付近で撮影)
昔はあっちもこっちも鯉のぼりが泳いでいましたが、今は数えるほどです。
端午の節句までは元気よく泳いで欲しいものです。
元気の良い息子が生まれた、跡継ぎが出来た、その証の鯉のぼりなんですよね。
4月19日 霜が降りたかと思うぐらい冷え込んだ朝です。
久しぶりに強い日射しになり、快晴の1日でした。
町内中座地区にある「丸山公園」のツツジが満開です。(右の写真・城山の石垣がくっきり見えます)
今日から畦畔の草刈りです。
何日かかるか気の遠くなるスタートです。
高田地区では植代を掻き出しました。
多分、24日頃から田植えが始まると思います。
我が家の田植えは、子供達が帰った連休初日の28日からを予定しています。
「米を送ってやるけ〜、代掻きや苗運びくらいせにゃ〜の!」言えませんが・・・・。
4月18日 曇雨 「今年は来ないのかな〜?・・・・・」
「去年猫が取ったけ〜、今年は来んかも知れんの〜・・・・」
そんな会話をしていたところ、ツバメがやっと来て巣作りを開始しました。
「よかった、よかった!」猫とアオダイショウに気をつけて無事雛が孵るまで見張りです。

「つわの冷麺」の販売を開始しました!(右のパッケージ)
販売しているのは、「津和野温泉なごみの里」と「シルクウェイ日原」の道の駅です
どちらも津和野町内にある道の駅で、ここでしか買えません!
1袋2食・スープ・ゴマ付で、500円(消費税込)です!
「津和野らあめん」も販売しておりますので、お土産にどうぞ!
なお、箱入りのギフトやお中元も取り扱っておりますのでよろしく!
通信販売もいたしております!
4月15日
団塊の世代が挙って退職を迎え始めています。
松江市在住の佐藤友章氏もその中の1人として、36年間勤務された山陰中央新報を退職されました。
佐藤さんは山陰中央新報津和野支局の初代局長で赴任されました。
在任中の3年間は紙面の拡張に奔走され、町内の有識者とも懇意にされておられました。
そんな中、私達との交流が始まりました。
久々に佐藤さんを囲んで退職の祝いをなごみの里で開催しました。
同時に、退職するにあたって「松江・理想郷づくり実践記」なる本を出版されました。
その出版記念の祝賀会も兼ねておりますので、「津和野編」では若かった人が出てきます。
そんな記事に載った(良い意味で)人が集まって一杯やりました。
「桜の天狗巣病を退治するなど元気だった当時を思い出して・・・・・」松浦副町長発起人挨拶。
「わずかのスペースで2度登場する機会をいただき・・・・・・」中島町長の挨拶。
「こんなにも若かったのかね〜・・・・・・」山田元助役。
「お互い赴任者同士麻雀に一杯楽しかったね〜・・・・・」三隅から駆けつけた加納さん。
山陰中央新報を木部で拡張したのはわしじゃけ〜の〜!」糸賀盛人氏。
各人が思い出を語り和やかな内にお開きです。
「昔よう行った”こい”に行ってカラオケをやろうで」てなわけで出陣です。
各自十八番を謡って、こっちでは談笑(上の写真)
「来年は加納さんの番じゃの〜、やっちゃるけ〜の」
「あんたもじゃろが」そんな歳になったんですね!
25年前にタイムスリップして楽しい時間を過ごすことが出来ました。
佐藤氏の第二の人生の出発を祝いました。
4月14日 田んぼの代掻きをしていると、「業務連絡です。花見をします」と、携帯が鳴ります。
それから数日、快晴の暖かい午後ですがは一杯です。美味い!
ホンダカーズ津和野の皆さんと取り巻き連中が20人くらいで盛り上がりました。(写真右)
左がパパ、中がくんぼう、右が社長です。
焼き肉と海の幸を炭火で豪快に焼きます。
生ビールは自分でサーバーから注ぎます。
ネットで集めた全国各地の魚介類に舌鼓を打ち夜暗くなるまで続きました。
続き、その勢いで夜の親不孝通りへと消えていきました。
4月13日 曇雨 夕方の雷雨はすごかったです。
これは大変と田んぼに入る水を放して歩いて帰るときには上がってしまいました・・・・。エ!・・・・。

津和野出身の太鼓伴奏者の右田君の所属していた「あすか組」の公演が6月にあります。
右田君は高校卒業と同時にあすか組に入り、太鼓を叩いていました。
この度、退団し別の道を歩く決心をして帰郷しましたが、記念公演になります。(右の写真)
津和野町本町のメガネのヤマダ隣で「岡田吉男展」が開かれています。
水彩画ですが町内外の自然風景が描かれていますよ!
岡田さんは津和野在住の方ですが、昔から風景画を描かれており貴重な資料?になっています。
若い頃は、50ccのバイクに乗って信州の方まで撮影旅行されたそうです、
最近はスケッチしている姿を拝見しませんが、お元気の様子を見て安心しました。
岡田さんの数百ある絵画を見たいものです。
その内大規模な個展を開催して、町民の皆さんに見ていただきましょう。
この個展を開いている場所の提供者は、津和野町議会議員の河田隆資氏です。
河田氏は津和野町の活性化に情熱を捧げ、もういう催しものをはじめいろいろな事業に取り組んでいます。
今では恒例になった「えびす講」祭や「乙女峠」祭など精力的な活動で信頼されています。
ここでは農産物の即売や物産展も開催されています。
本町のど真ん中での試みですが、賞賛に値する取り組みであります。拍手!
4月12日 快晴の中、代掻き三昧です!
6haの内4haが終わりました。
県内でも田植えが始まったそうです。
盆前に出荷して、高値で売ろうという事でしょうか?
3年前に盆前の稲刈りをしましたが、暑かったですよ!
忙しいので今日はこれで終わり。
4月11日
害鳥白鷺 菜の花も満開 代掻き三昧 桜と記念写真
快晴の中、代掻きが順調に捗っています。
ここ数年ですが、白鷺がトラクターに恐れもせずに代掻きの周辺に飛んできて蛙を貪っています。
田植え後は、この白鷺が極端に増え稲を踏み込みます。
見た目はきれいな鳥ですが、農家にとってはカラスやスズメ同様害鳥です!
これが津和野町の「町の鳥」に指定されているんですから、情けない!(写真上の左)
そんな思いも吹っ飛ぶような桜の木が出現します。
高田集落で「桜の里を創りたい」と、家の周辺に桜を植えている野村満さんの桜です。
ちょうど田んぼの上にあって代掻きが楽しいですよ!
集落の圃場整備の時に土を取った跡地をミニゴルフ場に造成し、打ちっ放しが出来ます。
その芝が張りつめた中に、たくさんの桜が植えられており、少しずつ花が咲き始めました。
数年先には桜の名所になりますよ!

後方は高田山
4月9日 石西厚生連の本部がJA西いわみ津和野支所の2階から日原共存病院に移転しました。(写真右)
先週後半から引っ越し作業に追われていた職員は大変であったろうと思います。
新年度から新天地で気分一新です。
関係機関に移転の挨拶を行い、併せて今後供のご支援をお願いしました。

挨拶回りから帰ってみると、育苗機の中は苗の芽が伸び放題です。
上段はすでにひっくり返りそうになっています。
2時間ばかりかかりましたが、無事ハウスの中に出しました。
日射しがあると、ハウスの中は直ぐ40℃を超えますから換気が必要です。
たっぷり冠水し、日射し除けのラブシートで数日覆います。
それが終わると代掻きです。
(右の写真はホンダカーズ津和野の有福さんが撮影したものがメールで届きました)
4月8日
満開の桜の下、流鏑馬神事が行われました。(写真上4枚すべて)
駐車場の津和野温泉なごみの里は、柴犬愛好者の大会もあり超満杯でした。
路上駐車があっちこっちに出現し、流鏑馬が観光として定着したんだな〜と思いました。
地元の人もお花見気分で随分と出かけていました。
「よ〜、寄付を頼むで〜」地元の世話人さんです。
「毎年、ここで代掻きするときと流鏑馬が重なるね〜、寄付しといたよ」

最初に出した苗が緑化しました。(写真右)
今日から毎日冠水が始まります。

仕事の合間を縫って島根県知事選挙の投票に行きました。
ムードが低調で投票率が心配です。
開票と同時に、選管発表なしの時点で「当確」がでました。
溝口新知事が20年ぶりに誕生しました。
出雲と石見の地域間格差、特に医療問題に取り組んで欲しいものです。
4月7日
上千原自治会の花見が総会を兼ねて開催されました。
18年度の事業報告ならびに決算が承認され、19年度の事業計画が承認されました。(写真上の右)
役員改選が行われ、副会長が交代しました。
総会が終わると、記念写真を撮ります。
「来年も誰も欠けんと写らにゃ〜ね〜」因みに平均年齢は63歳です。
その後は自治会恒例の花見です。
謡曲「羅生門」の一節を新しく副会長に就任した大羽瑞廣氏が謡い乾杯です。(写真上の中)

明日8日は「鷲原八幡宮の流鏑馬」が行われます。(右の写真)
桜が満開(少し散り始めていますが)の下でリハーサルが行われており、準備に追われていました。
皆さん観に来てくださいね!
4月6日 出雲市方面に向かって国道9号線を100km行ったところが江津市浅利町付近になります。
其処の信号を右にシフトして更に左にシフトして進んでいくと大森銀山に行き着きます。
今や世界的に有名になった「世界遺産」に登録された現地はどんなんかな?
そんな興味が湧き、進路変更して行ってきました。
途中が良かった!至る所桜が満開できれいでしたよ!
チョットした場所に桜並木が続いたり、昔の校舎跡に咲く桜、神社周辺の桜等々。
30分ほどで大森銀山に着きました。(写真右の上と中)
何と、20年前に来たときとは様変わりして観光客の多いこと!
観光バスが数台、駐車場は満車です。
代官所跡では撮影が始まっており、五百羅漢付近は多くのカメラマンが撮影しております。
古い町並み(この表現は失礼かな)は散策の人だらけで車が遠慮して走ります。
この町が生き生きしているのは素晴らしいことです!
昔の津和野がそうであったように、みんなで考える銀山観光?であって欲しいものです。

話は変わり、35年前の古い友人との再会を楽しみに出雲市佐田町まで足を延ばしました。
桜並木もきれいな立久恵峡を眺めながら、しばらく行くと目的地に着きます。
道路沿いの案内板には「カウベル」と、イラストと共に迎えてくれます。(写真右の中と下)
たぶんこのイラストはオーナーが描いたものだな〜と、感心しつつ車を止めました。
昔の面影を残すも、頭はシルバーグレーの笑顔がそこにはありました。
しばし昔話に花を咲かせるのでありました。
息子さんが跡を継いで乳牛を飼っておられ、昨年秋にパン屋さんを開店されております。
ちょうど子供連れのお母さんやお客さんで賑わっていました。
ご自慢の美味しいパンとコーヒーをご馳走になり、互いの頑張りを讃えながらしばし談笑です。
「カウベル」のオーナーの伊藤さんは島根県の「郷土建設青年大学」の同期生です。
彼は、当時から真面目で絵が上手く責任感が強く、権力に立ち向かって行くタイプの優等生でした。
将来の夢を語り、それに向かって突き進んでこられた結果が花開いたのでした。
地域の良きリーダーとして今後益々のご活躍を御祈念申し上げます。
皆さんも是非訪ねてみてください!「牛を飼っているパン屋さんはどこ?」で通じます。

その夜は浜田市の悪友?飲み友達の同級生(高校が違う)と、途中下車して一杯やりました。
徳利が沢山並んでいる棚を前にしたカウンターでまず一杯!ついでに一杯!美味い!
ここのママさんが津和野の出身で「あら!まあ!」てなことでした。
今宵はよく寝られそうです!







4月4日 曇雪
4月1日に播種した種籾を32℃で育苗していたものが、芽を出しました。(右の写真)
育苗機から出して、育苗ハウスに並べていきます。(上左の写真)
並べ終わったらたっぷり冠水します。(上中)
この冠水も、「せっかく保温した土であり、出した当分は急激な冠水は避けた方がよい」と、言う人もいます。
我が家はお構いなしで冷たい?水をたっぷりやり、その後3日間保温シートで被覆します。(上右)
「こねーに寒う〜ちゃ〜、出した苗も凍えるの〜」霙が降る空を眺めて近所のオッサンです。
霙が降り寒い中、時々太陽が出ると暖かく、ちなみにハウスの中は18℃でした。
午後は代掻きですが、トラクターの中はエアコンが効いて快適です。

4月3日 旧の節句ですから、我が家でもお雛様を飾ります。
娘も嫁に行ったので、段飾りを省略して平らに並べています。
我が家から嫁に行った叔母さん達の古いお雛様も一緒です。

小学校に行っていた頃は、節句の今日は「花見」で、家族が全員農作業を休んで祝っていました。
家族1人1人に料理を造り、重箱や折に入れて貰っていました。
その中には、当時としては高級食材がたくさんはいっていました。
まず、かまぼこにゆで卵、寒天ようかんと小豆のようかん、いなり寿司に海苔巻き等々・・・・・。
それを持って、友達と一緒に(友達のも同じような料理)裏山に登り、さらに尾根づたいに行きます。
そうすると、岩肌がむき出しになった所に出ます。(当時は「岩」と呼んで遊び場でした)
正面に青野山が見え、周囲が見渡せた場所でもありました。(炭焼きが盛んで伐採されていた)
おかずを換えっこしたものでした。(懐かしい思い出です・・・・)

桜の花が満開(右の写真)の今日、津和野幼花園では入園式がありました。
両親に手を引かれて緊張気味ですが、嬉しそうでしたよ!(もう忘れた世界だったです)

そんな感傷?に惹かれながら代掻き三昧です。




4月2日 新年度が始まりました。
各企業や会社でも入社式があり、真新しいスーツを着た新社会人が辞令を受けたことでしょう。
石西厚生連でも辞令交付式があり、3名の方に辞令をお渡ししました。
辞令交付が終わると、こちらも着替えをして真新しい?作業着を着て「さあ!仕事仕事!」
そんなわけで、育苗ハウスのビニールを張りました。
かなり強い風が吹きましたが、何とか張り終えました。
それが終わると代掻きです。
4月1日 春がやってきました。
近所の溝掃除を済ませた後、今年初めての種まき(播種)をしました。
ヒメノモチ30箱、コシヒカリ330箱播種しました。
早い人は数日前に播種していますから、近日中にはハウスに出すでしょう。
田植え前の準備は溝掃除から始まり、田んぼに水を引きます。
それが終われば代掻きが始まります。
明日から代掻きに入ります。
3月30日 県議選がスタートしましたが、鹿足郡選挙区(定数1)は現職以外に立候補がなく無投票当選でした。
中村芳信県議は今回が3選になり、今後益々のご活躍が期待されます。
たった1日の遊説でしたが、郡内各地からの激励の声に答えて欲しいものです。
特に、中山間地の医療現場は医師不足や看護師不足が深刻です。
安心して働くことが出来、生活できる地域社会になるようご尽力を期待しています。

中村県議の県政でのご活躍を祈念申し上げます!
3月24日 雨晴 田植えが近づき、休みの日は各地で溝掃除が始まりました。
朝早くから、3カ所の溝掃除に出かけています。
溝掃除が終わると、苗箱に床土(グリーンソイル)を入れます。
播種時に一括して作業すればいいのですが、人手が無く2段階で行います。
今日は1000箱分の床土を入れましたが、くたびれました。

孫がインフルエンザにかかって入院したので、飛んでいきました。
熱も下がっており、一安心です。

益田市内の、山陰高速道とバイパスの一部が開通しました。
雨の中早速走ってみました。が、車の多いこと!始点から終点まで30分かかってしまいました。
国道9号線の津和野側は看板の位置と走行車線の矢印が紛らわしく、ガードレールにぶつかりそうです!
夜間や雨の時、土地勘がないドライバー等きっと事故が起こります。絶対起こります。気をつけてね!
帰りは自動車がぐっと減り5分ばかりで通過しました。
それにつけても、191号線との平面交差はどうにかして欲しいものです。(写真右下)

万葉トンネル付近
3月22日 5期20年の澄田県政の後を担う県知事選挙が告示されました。(右の写真は選挙ポスターです)
3月18日 毎年正月明けにお詣りする金比羅さんにやっとお詣りできました。
40歳からお詣りして今年で15年になります。
来年の正月の年賀状用写真も、「ハイ!ポーズ」できました。
讃岐うどんも食べて、ぶっかけうどんも食べて満足!満足!
時間に余裕がないのでゆっくり出来ませんでしたが、気持ちの区切りがつきました。
3月17日 春が間近に来たような良い天気です。
朝からJA西いわみ津和野支所管内3カ所で地区座談会です。
理事に就任して初めての座談会ですから町内すべての会場に出席しました。
組合員数500名ですが、出席者は30名ばかりと寂しい限りです。
因みに、お隣の旧日原町管内ではまだ終わっていませんが、すでに200名を突破したそうです。
天候がよいのと土曜日の日中と言うこともあり・・・・そうだったんですか?・・・・・。

なんと、長嶺農機鰍ウんが春の農機展示会を今日明日と開催されていました。
その会場は超満員?でしたが、やはり話を聞くよりお祭り?の方が良いかな・・・・・。
JA西いわみに対しての厳しいご意見は出席者からいただきました。

座談会の合間を縫って種籾を浸種しました。(写真右)
ヒメノモチ、コシヒカリ、キヌムスメの3品種で、1200箱分です。
今年からは、苗造りの受託は行わないことにしました。


3月15日 1月2日から入院していた父もリハビリが終わり、やっと退院してきました。
女房とは母が退院のため迎えに行きました。
やっと、やっと、我が家にも正月が来た感じです。
さあ〜!田植えの準備だ!
3月12日 晴曇 風が冷たい良い天気でした。
生まれて初めて議会の傍聴に出向きました。
今日から3月定例会の一般質問です。
18人の議員さんの内、議長を除く17人の内、14人が質問します。
「私は皆様のパイプ役となって意見を吸い上げ、行政に届けます」と、言ったかどうか知りませんが、
地域の利益代表として要望を質問したり、全町的見地からの振興策を質問したりです。
鋭い?つっこみに執行部の答弁もタジタジ?だったりして・・・・・。
質問する議員さんも原稿をしたため、理路整然と質問する時は聞いていても「さすが!」ですが、
再質問にはいると、原稿なしではチョットまごまご?・・・・・・・・。執行部の勝ち!?・・・・。
自分の足で稼いだネタの質問する議員さんの質問は良いですね〜!
TVや新聞からの質問は上滑り気味?ですか・・・・・・。
議案に対する討論頑張ってください!真剣勝負見応えがありますよ!(誉めすぎ?)
ちなみに、傍聴された町民はマスコミ3人、平民2人でした。
3月11日 津和野町が主催した出会いのパーティーでカップルになった夫婦に待望の赤ちゃん誕生です。
かわいい赤ちゃんのお祝いに出かけました。
これで津和野町は人口増です!
葬儀通夜への出席ばかりでしたが、嬉しい話になりました。
病気せずにスクスク大きくなって下さい!
3月7日 雪曇 東京で会議があり、往復機中の人となりました。
南アルプスが真っ白でした。
津和野も周囲が雪で白くなっているそうです。
飛行機から見た日本の山はきれいですが、可哀想です。
至る所ゴルフ場で、無惨にも山肌が削り取られ?ています。
あたかも涙を流しているようなひょろ長い楕円に地肌がむき出されています。
特に、房総半島はむごい惨状です。
金儲けで開発しただけのゴルフ場に、国土が悲鳴を上げています。
勝ち組気取りで楽しんでいるんでしょ〜ね?
あれは山には戻れません。残念ながら!
その内、人がいなくなった過疎地の荒廃した田んぼがゴルフ場になるんですかね?・・・・・。
東京はまた新しいビルが建ちました。
年に数回しか行かないのに、行く度にビルが建設されています。
日本のお金がと労働力が集中しているんでしょうね・・・・・。
聞くところによると、東京都の財政は黒字とか?・・・・・。うらやましいですね!
貧困?に喘いでいる地方自治体が大半なのに〜・・・・。
ここで生まれて、ここで育って、票は爺ちゃんが生まれた田舎!の三世議員。
あ〜!くそ!金と権力無い平民。愚痴ってみました・・・・・。
3月3日 午前中、孫のお遊戯会(学習発表会)があり行きました。(左の写真)
長女も産休が終わり、今月から勤務に励んでいます。
2人目の孫もこの乳児園でお世話になっており、早速デビューです。
それにつけても孫の成長は楽しいもんです。(女房は仕事で行けませんでした)

午後、「女性のための健康講座」が津和野町民体育館で開催されました。(右の写真)
町内から150名が出席し、島根大学医学部の宮崎教授の講演を熱心に聴講されていました。
3月2日 昨年収穫した菜種を採油して菜種油が出来ました。
出雲市の景山製油所さんにお願いしてビンに詰めていただきました。
菜種100kgから1リットルビンで24本出来ました。
早速田んぼを提供いただいた藤井さんや友達に贈呈しました。
この油で揚げた天ぷらを食べるとクセになりますよ!本当!美味い!
2月26日 金曜日の昼頃から体調が思わしくなく、食事が摂れない状態で津和野共存病院に駆け込む。
時間外であったので救急外来で診察して貰うと38.6度の熱がある。
インフルエンザ?かな、検査の結果マイナスでただの熱でした。
インフルエンザの予防接種したからな〜、と一安心です。
点滴を受けて座薬を入れて2時間チョットで汗びっしょりです。
このまま帰って寝るか〜。そして3日間の寝たきり状態が続いたのです。
安静中?はテレビか読書しかすることがない?寝るのが仕事みたいな・・・・。
テレビのCMにパチンコのCMが多いのなんのって、○○兆円産業ですね〜!
今やパチンコ機のメーカーもそれとなくCM打ってますね〜!
景気が悪いといいながらこちらの方は好景気の体ですか・・・・・。
パチンコに数万円平気で使い、家計費は火の車?なんでしょか・・・・・。
時間つぶしの遊びからギャンブルになってしまった庶民の娯楽・・・・。
あのお金どこに行くんでしょうね?税金で帰るのかな?
農家から所得税取ることを考えるより、現金産業からしっかり取ってね!
そんなことを考えながら風邪を追い払う毎日でした。
2月23日 晴曇 長女の産休が今月いっぱいで終わりになります。
そこで、最後の数日間を我が家で過ごすため孫2人とやって来ました。
「一緒に寝ようね」と、孫と約束したのに風邪を引いて中止!
可哀想な僕!1人寂しく寝るのでした。
日曜日には帰るのですが間に合いそうにありません。
2月19日 土日と大雨が続き、川の水が濁っています。
二男の孫が一歳の誕生を迎えたので、女房が土曜日の午後から出かけました。
まだ歩行は出来ないようですが、立って歩こうとするそうです。
日曜日は夕方まで孫守を堪能して帰ってきました。
爺ちゃんはお留守番でした。
新幹線のお陰でわずかの時間でも出かけられます。
東京日帰りが楽勝になって、疲れが溜まるだけですが・・・・・・。
2月16日 今日から確定申告が始まりました。
町内でも一番早く始まるのが小川地区です。
公民館には朝早くから長蛇?の列です。
8時30分現在30番目の順番カードを取って待機ですが、午後になりそうです。
案の定、午後になりました。
1時間チョットで無事申告が終了しました。
数日来の好天で花粉が飛び始めました。
目が痒くなるし、鼻がグシュグシュいいます。
まだ洟垂れ小僧ほどではありませんが、微妙です。
ティッシュペーパーが放されません!これから3ヶ月間地獄の日々が続きます。
2月14日 雨晴 昨夜来の強風は「春1番」?大変な風でした。
朝方から激しい雨でしたが、夕方からは晴れ上がって日射しが春を思わせていました。
16日から始まる確定申告の準備に追われています。
毎年のことですが、大変です。
ともかく、申告が終わると一安心です。
納税は国民の義務ですから納得しますが、地域間格差の解消に使ってくださいね!
東京ばかりが潤って、行く度にビルが建ってなんなの・・・・・・。
地方から労働力を集めて生産し、得た利益を地方に還元しないやりかってあり?・・・・。
地方から流れる水に使用料を取りましょう!ただで飲ますな!
何かの大会をして参加者を見ると70歳前後のオッサンばっかり、老人クラブか?
今に田舎は落ち葉マークの軽トラック専用道路になるぞ!
お産は出来ない、子供はいない、若者は役場の職員だけ、トラクターに乗る80歳代の自称若者?
国会議員は東京生まれで東京育ちの3世議員、票だけ爺ちゃん父ちゃんの地盤の田舎から。
何か、直ぐ達成できそうなことばかりですね〜・・・・・。
確定申告の準備の時くらい考えてみましょうね!交付税を倍にしろ!特交を3倍よこせ!
2月12日 「百姓天国」inつわののファンの皆様、アクセスキリ番20000人目の方から応募がありませんでした。
5年を過ぎ良くもここまで頑張って来られたな〜、実感です!
18:00現在20010人目のアクセスがありました。ありがとうございます!
「津和野らあめん」を進呈できなかったことが残念です。またの機会に!
何とか毎日更新しようと思っておりますが、酒の注入が多かったり、疲労困憊だったり・・・・・。
長いこと更新しなくても、文句一つ言わないファンの皆様、許してね・・・・。
時間の許す限り更新していくことをお誓い申し上げお礼の言葉といたします!

孫に雛人形の代わりに人形を買ってやりました。
2人目ですから常時飾れるケース入りの人形にしました。
3月からは乳児院に行くことになりますが、病気をしないで大きくなって欲しいものです。

お姉ちゃんと
ハイ!ポーズ!
2月11日 先般お亡くなりになった、同級生の母親の49日の法事に参列しました。
多くの方から親しまれていた「日本のお母さん」的存在の方でしたから、悲しみを新たにしました。
お寺で読経の後納骨があり、会場を移して故人を偲びました。
喪主の長男から「公務に忙しかった父親に代わり、家庭を切り盛りしていた日本的母親だった」
「何時でもやさしい笑顔をして、決して美人じゃなかったが和服で参観日に来てくれた」
「酒飲みが毎晩のように集まって来るのをいやな顔をせず相手をしていた」
「今後は、父親が1人残るので皆様にお世話になります」と、結ばれました。
素晴らしい家庭がここにもありました。合掌!
2月9日 2月8日、東京都内において全厚連の会長会議があり出席しましました。
その後、厚生連による特別養護老人ホームの開設を求める全国要請集会に参加しました。
集会には、全国のJA中央会会長はじめ200人が参加しました。
農村部の高齢化に備え安心して住める地域社会目指し、医療と介護を一体的のサービスするものです。
そのためには特養ホームの開設に関する法整備が必要となります。
自民党の国会議員で構成する「農民の健康を創る会・中川昭一座長」が議員立法することを決定しました。
多忙の中、中川政調会長が法案成立に向けて決意を述べられました。
会場には、その会の衆参国会議員が来賓として列席され祝辞と決意を述べられました。
法案は今国会提出に向けて動きが活発化しています。
要請集会の後、地元選出の国会議員先生に議員会館に出向き要請しました。
青木、景山両参議院議員先生は地元に帰られており、秘書の方が対応されました。
竹下衆議院議員は要請集会の会場にも見えられましたが、議員会館でも対応されました。
自民党の経理局長をされておられる細田衆議院議員は自民党本部で本人が対応されました。
細田、景山両先生は「農民の健康を創る会」の会員でもあります。
議員要請には、「医師確保について」個別に医師不足についての現状を訴え理解を得ました。
2月5日 ドン!ドン!と、派手な音を発てて煙火が上がりました。
「なにごとじゃろか〜?・・・」
「何か今日あるんかの〜・・・・」
「今日は初午じゃけ〜の、それで煙火が上がったのいや」
「そういや〜、団体が歩いとったの〜」
てな話が終わると、初午のお詣りに太皷谷稲成神社に出かけました。
今日お詣りすると、1年分のお詣りをしたことになるそうです。
2月4日 朝から晴れ上がって気持ちの良い天気です。
入院中の父の見舞いに叔父や叔母が来ました。
夕食を一緒に食べながら、健康長寿?を誓い合いました。(右の写真)
今日は名古屋の孫の誕生日です。1歳になりました。
先週誕生日の祝いを送りましたから、喜んでくれた?と思います。
誕生日時点で、11kgちょっとあると言っていました。
昨年の今頃は、「何時生まれるかな〜」心配していましたが、早いものです。
2月3日 晴曇
今日は節分です。
我が家は昔から山口県旧田万川町江崎(現萩市)にある、出雲大社長門分院に節分はお詣りします。
昔ながらの造りのお社に大勢お詣りに来ていました。
長門分院では、お詣りすると福くじを引いて商品を配ります。
遠くは益田市からも来られます。(上の左の写真)
江崎から帰ると、太皷谷稲成神社にお詣りします。(上の中・右の写真)
節分のお詣りが終わると、次は初午にお詣りします。
夕方からは、我が家の神様に節分のお食事を差し上げ、豆まきをします。
「福は内!鬼は外!」「福は内!鬼は外!」今年も無病息災!できますように。
正月2日に脳梗塞で入院した父親も、益田市の医師会病院に転院し、リハビリに励んでいます。
早いもので、発病以来1月が経過しました。
今では、その気になったのか?以前のように社会復帰目指して頑張っています。
昨年は母が膝を手術し、女房がヘルニアの手術をし、今年こそは病気知らずでとは行かず正月早々・・。
「鬼は外!福は内!」豆を撒く手に力が入ります。
「福は内!」
「福は内!」
「鬼は外!」
「鬼は外!」

2月2日 朝起きたらうっすらと雪化粧していました。
朝食を取るわずかの時間でしたが、あっと言う間に10cmばかり積もってしまいました。
節分前後は雪が降りますが、まさにそのとおりでした。
JA西いわみ津和野支所の歓送迎会があり、定年退職される3名と新しく移動になられた方々と一杯です。
女子職員から花束と記念品をを贈り、長かったJAマンとしての労苦を労いました。
56歳での選択定年は若い気がします、第2の人生頑張ってください!
「片道36kmの道のりが短く感じた津和野支所での勤務は、農協の原点を見つめることが出来た」
「毎朝、津和野に入る手前で観る青野山の四季の移り変わりが印象的でした」
「本所勤務では味わえなかった支所勤務で有終の美が飾れたことが嬉しかった」とのコメントでした。
生真面目で卒のない支所長さん、お疲れ様でした!町内の農家を代表してお礼申し上げます。
奥さんと一緒に退職旅行でも行ってください!
2月1日 雪曇 長かった?1月が終わりました。
今日から2月ですが、2月は逃げると言われるくらい時間が経つのが早いですね。
JA西いわみも本日付で人事異動がありました。
JA西いわみ津和野支所も、支所長がかわりました。
明日は、歓送迎会です。
朝、夜が明けるのが早くなってきていますが、夕方の日が長くなってきましたね〜。
さて、「百姓天国」inつわのも6年経過し、アクセス数も20000件に到達しそうです。
そこで、アクセス20000人目の百姓応援団の皆様にプレゼントをお贈りしますよ!
キリ番20000人目の方は必ずメール下さいね!証拠のファイルコピーもいりますよ!
20000人目の方には、「津和野らあめん」ギフトセットを送りしますよ!(右の写真)
1月31日 雨曇 毎年の我が家の行事ですが、「宅神祭」を行いました。
本来なら、節分を過ぎた最初の午の日の、初午に行うのですがチョット繰り上げました。
総霊社の宅の宮司様に来ていただき、我が家の今年1年の家内安全を祈願しました。
お米、祝い餅、海の幸、山の幸、畑の幸をお供えします。
町内の各自治体や町内会も「春神楽」と言って、まとめて1年の商売繁盛をきがんしています。
そんなわけですから土日祝祭日は予約で一杯になっているそうです。
この「宅神祭」を終えると一安心です。
1月28日 朝から雪が降り、あっと言う間に雪化粧です。
「今年は雪が降らんの〜」
「暖冬じゃろ〜かの〜」
「役場は除雪費が浮いて大喜びじゃろ〜の」
「旧正月が遅いけ〜、2月になったら振るいね・・・・」
「雪が降って、凍らにゃ〜蛆がしなんけ〜の」
「代掻きの水にも困るけ〜の」
「やっぱり、時期時期には相応の雪やら雨が降らにゃ〜いけんの〜」
こんな会話が聞こえたんでしょうか、雪の神様?が降らせてくれました。
大雪だけはご勘弁を!
1月27日 朝から降った雨は山の中腹まで白くしております。
昼過ぎから孫が来て賑わっています。
すべての動きが孫と共に動くのですから、てんやわんやの忙しさです。
「風邪をひかしちゃ〜いけんけ〜、こっちに来んさい」
人見知りするので、「ジジには行かん」とのこと・・・・・・。ガックリ・・・・。
名古屋の孫はもうじき1歳の誕生日が来ます。
「祝い餅をついて送らにゃ〜、1升モチを背負わせにゃ〜」
「あっちは温いけ〜、大きゅ〜になったろ〜の」ハウス栽培じゃ〜な〜ちゅ〜の。
1月21日 昨年から参加している「島根ふるさとフェア」に今年も出品です。
広島球場隣にあり、広島城周辺にある「広島グリーンアリーナ」が主会場です。
県下各町村が挙って参加する大イベントですから、会場内は人だかりです。
当日は、都道府県対抗男子駅伝が開催されるのでお祭り騒ぎ?です。
平和記念公園前を出発するので、合間を見て歩いて応援に行きましたがすごい人だかりでした。
ふるさと島根の疎を聴きに来る?のか、市民で賑わいました。
ただ、広域合併で各町村の存在が薄れたように感じたのは私だけでしょうか?・・・・。
主催者発表では16万人の来場者があったそうです。
肝心の「津和野らあめん」は売れたかって?ご想像にお任せしますよ・・・・・・。
売れたのは、津和野名物の源氏巻きだけです!
広島市民の皆さん、来年は「津和野らあめん」を買ってね!お願い!
1月20日 昨日来て準備をし宿泊したため、早朝広島を発って、益田まで帰りました。
JA西いわみの役職員研修会が開かれました。
橋本組合長の挨拶の後、コンプライアンスマニュアルを唱和し、コンプライアンスの研修に入りました。
個人情報の取り扱いや支所単位のシェア等の現状等認識を新たにしました。
JAあぶらんど萩の水津組合長が「組合員に期待される農業経営ビジョンと実践」と題して講演されました。
その後、広島の「第10回島根ふるさとフェア2007」に向かいました。
1月17日 12年前になりますか・・・・・、テレビから伝えられる悲惨な現場の様子。
阪神淡路大震災が発生したのが今日です。
炊き出しのボランティアとして2回被災地に出向いたときのことが鮮明に思い出されます。
あの時は、小学校の校庭でカシワの混ぜご飯と豚汁を食べていただきました。
ご飯と豚汁でしたが被災者の方々に感謝されたものでした。
この時、「心身共に支えたのは炊き出しの時のおむすびであった」とのコメントを読んだ記憶があります。
百姓冥利?につきますが、経済戦争の中における勝ち組でも空腹には勝てない!
今日は「おむすびの日」です!(日本農業新聞より一部引用)
手軽に携行できるおむすびは、世界最速のファーストフードでもあります。
農作業に携行し、戦場にも、学校にも、かの松井選手も試合前に頬張るそうです。
あなたは梅干し派?鮭派?明太子派?オカカ派・・・・・・・。昔は梅干しじゃった!
おにぎりの日を契機に、景気回復を祈念し、お米の復権に決起!しましょう。
ちなみに、「津和野らあめん」「つわの冷麺」はお米から出来ていますよ!よろしく!
1月15日 鏡開きに割った?お飾りで塩味の「モチがゆ」というお粥を神様に供えます。
塩味なのでぜんざいのように甘くはありませんが、まあ美味しい?
小さい頃はこれが大嫌いで、大嫌いで・・・・。今はその味が分かる歳になりましたが・・・・。
昔は、このお粥を果樹の成木、柿木等に塗りつけたそうです。「成るか!成らぬか?」と言いつつ。
どんと焼きも見なくなりましたね・・・・・・。
そんな神事を終えた後は、松江に日帰りの出張?です。
益田市内では山陰道のバイパス工事がたけなわです。
「いつになったら松江まで2時間で行けるようになろうかね〜」
「松江まで行く用事が無あようになった頃にゃ〜開通するろうね〜」諦めともイヤミとも・・・・。
「その頃にゃ〜、道州制で広島に行くんじゃろ〜ね〜・・・・・・」
「広島なら、石見人は言葉が広島弁じゃけ〜親近感が?わくね〜」
「今でも広島なら2時間で行けるけ〜の」
「出雲部の者は4時間かかるけ〜の、遠いの〜思うじゃろの〜」
「それを想定して?かしらんが中国道に向けて宍道から三次に急ピッチで高速道が出来よる」
行きも帰りも長い長い往復400kmのドライブでありました。
1月14日 小春日和?暖かい日曜日でした。
正月から多忙?で、女房の実家にも暮れから墓参りにも行ってなかったので出かけました。
17日は義母の?回目の命日でもあり、菊の花を買って供えてきました。
その後、益田まで足を伸ばし孫の顔を見に行きました。
「じいちゃんとクルクル寿司に行くか〜?」
「お寿司が回るの!大好き」孫が言います。てなわけで行きました。
日曜日の夕食時ですから、家族連れやカップルで超満員。
しばらく待つと、案内がありテーブル席が取れました。
食べるのやら溢すのやら、口には運びますが・・・・・。
茶碗蒸しを冷ます嬉しさ?にフーフーにも力が入ります?。
「ご馳走様!」「また行こうね〜」楽しい一時です。
1月9日 連休も終わり、今日からが今年の本格スタートとなりました。
旧津和野信用金庫が合併して県境を越え、西中国信用金庫としてスタートを切りました。
そのオープンセレモニーが旧津和野信金本店前でありました。
先日、同級生のお母さんが亡くなり本日が葬儀になり列席しました。
故人は、昔で言う?優しいお母さんそのままで、多くの弔問客がお見送りしました。
数年前から体調を崩されており、よく居間に横になっておられました。
「自分で冷蔵からビールを出して飲みんさいね、起きられんけ〜」
「勝手知ったる我が家じゃけ〜、しゃ〜な〜よ」てなもんです。
同級生と言うことで、ご主人にはいろいろな面で相談し、助言をいただいており再々訪問しておりました。
そう言う人柄もあり、仲人した数・数十件となり○○会という会まで出来ていました。
「お前が再々行っちゃらな〜、ビールが無あようならんで、話し相手を頼むけ〜」
「1人になるけ〜、お互いにチョイチョイ覗くいね」
そんなこんなの思い出話をしながら故人を偲びました。合掌!
1月7日 雪曇 朝起きたらうっすらと雪化粧です。
天気予報は大雪みたいに言っていましたが、はずれです。こういうはずれは大歓迎?ですから。
今日は上千原自治会の新年会です。
高齢化になってなかなか参加できない方も出てきましたが、みんなで一杯やりました。
総会を開き、次年度の役員改選を行い乾杯を行いました。
乾杯の後は、謡曲「羅生門」の一節「ともな〜い、かたろ〜う、もろびとに、みきをすす〜め〜て、さかずきを、とりどりなれや、あずさゆみ、やたけごころの〜、ひとつなる〜、つわ〜もののまじわり、たのみあるなか〜の、しゅえんか〜な〜」はい、拍手〜。
宴も酣になった頃、自治会長がマジックをやりました。
今年1年、上千原自治会皆さんが元気で過ごすことが出来ますように!
1月5日 晴曇 石西厚生連の仕事始めです。
仕事始めにあたっての挨拶の後、関係機関に対して年始回りです。
丸1日かけて回りましたが、行く先々で叱咤激励?を受けた次第です。
正月休みの事業所もあり、本格的な始動は来週からになりそうです。
ともあれ、体を動かすことはいいもんですね〜。
1月4日 今日はJA西いわみの仕事始めです。
津和野支所の仕事始めに出向き、今年1年間の業績アップと職員の健康を誓い合いました。
その後、長男が勤務先に帰るので新山口まで送っていきました。
新幹線口は見送り客等でごった返していましたが、雪のない正月で暖かかったせいか薄着?です。
「今度は連休じゃの〜」「おう!」
「連休には代掻きや田植えをするけ〜、今年もトラクターに乗って貰うけ〜」
「は〜忘れたの〜、また一からじゃの〜」
「体に気をつけてやらにゃ〜の」
「土産はこうたか?源氏巻きでええけ〜の」
名残は尽きませんが?お見送りです。
無事付いた電話もあり、正月が終わりました。
気持ちを切り替えて、今年も頑張るぞ!
1月3日 津和野町は今日が成人式です。
成人式を迎えた皆さんに心よりお祝い申し上げます。
成人される本人よりも保護者の皆様の感激?はそれ以上のものがあると思われます。
特に娘さんをお持ちのの方は着物を着たわが子の晴れ姿をみて感激も新たに涙される?かも・・・・。
大分前になりますか・・・・、我が家でもそんなことがありました。
そんなわが子も孫を連れてきています。
親は居っても子は育つ?・・・。
今日は目一杯親バカして下さい!あなた達には、その権利がありますから!
あと17年したら孫の成人式です。頑張らなくっちゃ!
雪のない正月ですから、太皷谷稲成神社の初詣は24万人を突破しそうな勢いだとか・・・・。
亥年に相応しく、幸先良い正月三が日ですね!
太皷谷稲成神社の売店では、「津和野らあめん」の販売もしていますよ!お土産に買ってね!
三が日の仕上げは、お世話になる方への年始回りです。
1月2日 雨曇 正月も2日目の朝を迎え、我が家は正月の神事です。
寝静まった早朝、家内の神様に雑煮をあげます。
夜が明けると、みんな起こして雑煮を食べます。
これが三が日続きます。子供達に言わせると、休みにならない?とか・・・・。青木家のやり方ですから!
年賀状を読みながら、しばらく会っていない人や最近知り合った人など思いを巡らせております。
二男夫婦は嫁の実家に行くための準備に大忙しです。
昼過ぎに徳山港に連れて行きました。そこからフェリーです。
長女夫婦は旦那の実家から我が家へやって来ました。
賑やかな正月は孫の泣き声と世話に明け暮れて、疲れ切った頃仕事始めになりそうです。
2007年

1月1日
        
輝かしい新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。
本年も「百姓天国」inつわのよろしくお願い申し上げます。
今年は亥年です。
農家にとっては田畑を荒らし回る困った存在ですが、猪突猛進の元気さ?は見習いたいものです。
あの鼻と爪で荒れ地もかき回すの勢いで、この不景気を吹き飛ばそう!

我が家の元日の朝の神事を終え、その足で行く朝早い時間の初詣は毎年の恒例です。
集落はまだ寝静まって家々の灯はまだ消えています。
心地よい新年の新鮮な空気を胸一杯の吸い込み、今年1年のスタートです。
氏神様である千原天満宮にお詣りし、太皷谷稲成神社の赤い鳥居の石段を登っていきます。
露天商も眠りについており、数時間前の賑やかさから一気に静寂へとなっています。
今年1年の家内安全、交通安全、身体健全、五穀豊穣、商売繁盛を祈念しお祓いを受けます。
元の石段を下りると、富貴大神にお詣りし、弥栄神社にお詣りして帰路につきます。
東の空が空けて、今年の初日の出は最高でした。(右の写真)
初詣までに済ませていた神事の雑煮を下げ、家族全員でお雑煮を食べます。
我が家の雑煮はいたってシンプルです。
炒り子出汁に濃い口醤油と薄口醤油を半々使います。
蕪を銀杏切りにしたものと葉っぱを丸餅と一緒に煮ます。
雑煮とカズノコ、梅干し、黒豆、鯨の白身のぬた、刺身は鰤、野菜の煮染めが食卓に上がります。
以上が正月の献立です。

太皷谷稲成神社



青木家全員集合



初日の出