高津川(福川川)の地名 中条〜茂土路
ここでは高津川のうち柿木付近で合流する福川川のうち中条〜茂土路までの記載です。  


左右画像は川の地名位置を示しています。


 
 

カケノフチ(タキノフチ名も) 中条地区より県道を340m黒渕方向に下った県道下にある。画像右側上が県道(下流側から撮影)

クロブチ?はこのあたりではないか? 地元の人に尋ねてもクロブチは不明。黒渕集会所より約80m上流にある。吉賀記による記述を以下に記載。
 

吉賀記
は西暦1799年尾崎太左衛門の書いた吉賀地方の歴史書となっている。それによると、「黒渕_椛谷へ属す在家より奥十町計り入黒淵あり是より在名と成此澗底濁々として水色黒き故渕名と成此川へ三十二間の樋をかけ黒渕在田地を作るとある。現在、黒渕地区の圃場の用水はこのあたりから取り入れ、コンクリートの用水路により圃場へと取り入れられている。32間(およそ60m)もの樋によりの記述は、まさにこの場所以外に考えられない。
(個人的な記憶ですが、道路改良される以前は、左岸の護岸の位置は落ち葉の溜まる淵になっていた記憶がある。)


 

下の2画像は支流白井谷川
 

一の滝 白井谷川にあり、 黒渕地区の県道から約500m白井方向に行ったところの道路下にある。白井谷に入って最初の滝の意味。


二の滝 黒渕県道より白井へ約850m入った道路下の滝を言う。滝壷と言うより凹窟と言える。渦を巻く水流と土砂により丸く削り取られたもの。この上流約100mに三滝がある。

 

カワジリ(川尻) 黒渕バス停近くにあり、白井谷川との合流地点にある淵を言う。地名は川尻、つまり白井谷川の終わりの意味と考えられる。

タグチブチ(田口淵) 黒渕より県道を約1km下った所、ちょうど入江山林道に入る橋の下になる。入江山は田口山とも呼ばれていた。両岸に岩盤が現れ浸食され美しい渓谷美を見せてくれる。
 

ミナスイ 椛谷ダムから上流へ約500m行った道路下にあり、道路からはダム上流150mあたりでかすかに見える。画面中央付近の淵を言う。
地名の由来はわからない。


椛谷ダム 洪水調節の為のダムで、豪雨時鈴ノ大谷川、古江堂谷川の増水と時間的な差を付けるために作られた。近年補強工事が行われた。秋には紅葉が美しい。

 

 
滝の淵 タキノフチ 椛谷ダムから中河内方向へ約350m下った県道の下にある。樹木が 茂り現代では道路からは目視出来ない。ここは道路から約50m下。この滝の淵の上流は岩盤の露出した所があり、八枚滑(なめら)という場所もある。ここは魚切になっていて鮎、鱒はこれ以上遡上できなかった。現在ではダムによる水量の変化、道路工事等により土砂が堆積し、落差も少なくなり淵も埋まってしまった。そのために今は鱒はここを越えることができるようになった。

 

ショウジブチ (障子淵)中河内から鈴の大谷林道へ約100mほど入った道路下の淵を言 う。道路からは見えにくい。地名由来は岩盤が障子の如く立っていることによる。

デアイ(出会) 画面中央奥巨岩の並ぶ所は、左岸(画像では右側)から流れ出る古江堂谷川との合流地点、ここから約250m上流にはオッツケブチもある。
 
 

殿淵 中河内バス停から県道を約300m下った道路下にあったが、道路工事 に伴う掘削で淵は消滅した。流れの下流にかすかに見える淵はトンマツという淵だが名前の由来はわからない。

ゴミノフチ 河川は道路から離れ造林地をかき分けて出ると現れてくる。おそらくゴミの溜まる淵なのだろう。さらに下流に約60mほど下るとコウカイブチがあるがこの淵も県道からは離れていて見ることは出来ない。コウカイはネムノキの地方名でこれに由来するのか?
 

殿淵
での鱒漁が逸話として柿木村誌に記載されている。この淵は殿様に献上する鱒を捕った淵だという。
藩主が鱒漁を見物に来た。当時の漁は潜って鱒に近づき手づかみで捕るというもの、殿淵には大きな岩穴がありここで鱒が多く捕れた。鱒捕りの名人忠吉は殿様の前で勇んで潜っていった。しかし、なかなか上がってこないので、殿様は見に行けと命じた。泳ぎの達者な者が見に行くと、忠吉は穴の奥で大きな鱒を捕って岩に腰を掛けていた。ふんどしに泥が付いて汚れ、殿様の前に出られないという。
殿様にそのことを報告すると「苦しゅうないから出てこい、余のふんどしをやる」、忠助にそのことを伝えると二匹の大物を抱えて照れくさそうに上がってきた。「大儀、大儀」と殿様に誉められ、共の者から殿様の新しいふんどしをもらい、大喜びをしたという。

 

京良瀬(キョウラセ) 清良瀬の名前も聞かれる。かつては巨岩の転がる河川だったが、改修により様変わりしている。対岸には田んぼがあったが、残土処理場となり山林となっている。ここにも淵があったが改修により消滅、名前はわからなかった。


ドウドウ 京良瀬から川はまた迂回し戻ってくるあたり、椛谷バス停から上流方向へ約1.2kmの道路下。落差は2mほどだろうか、ドウドウと大きな音をたて落ち込んでいる。

 

マイノフチ 椛谷バス停から上流方向へ約1km、駐車エリアがありその左にある。ここは椛谷地区の圃場へ用水を引き込む堰になっている。

ササブチ 椛谷から約650m県道を上った左側の圃場の奥にある。椛谷地区対岸の圃場の用水堰だが近年使われない。県道からは見えない。この淵の下流200mの所にはスエノフチという小さな淵がある。
 

カタギブチ 椛谷集会所から上流へ300m、道路下に淵はある。カタギ(ウラジロガシ)が覆い被さるようにありこう呼ばれる。ここの右岸にある大石、岩ではなく転石だという。近くの住人の話によると、鮎漁であちこちに出かけたが、これほどの石は他には見たことがないという。更に下流のゆるやかな瀬はナガトロと言われ集落の近くを流れ、イダノフチに流れる。

イダノフチ 繁山谷川を横切る繁山谷橋から50mほど椛谷方向へ行った田んぼの先にある。イダとは川魚のウグイのことで、ウグイの多い淵なのだろう。この下流に繁山谷川との合流点がありそこは出合(デアイ)と呼ばれている。
デアイ(出合)の地名は川の合流点ではよく聞かれる。

 

ヨコセ 椛谷と椛谷口の間の瀬を言う。途中にワルダン(悪谷)という淵がある。アブの多いところで「ヨコセのアブか茂土路のガキか」と言われた時代が懐かしい。この撮影場所下近くにカメスケ(カミスケ?)という淵がある。さらに200m下流にはシモスケという淵があるが道路上からは見えない。

オッツケブチ 茂土路地区にあり道路からは見えない。地名由来も不明。この淵の上流はクボと言われる瀬があり、さらにその上流にドウガセがある。ドウガセは茂土路地区の堰のある下流で県道から見ることができる。
 

中河内から上流域は川の地名が少ないように感じる。魚切でもある滝の淵、鮎鱒もここから上流には上れないという。川漁の情報交換で場所の名前が必要になり、残っているのだろうか?