■住所:

〒699-5605、
島根県鹿足郡津和野町後田ロ 66-7
津和野カトリック教会
TEL(0856) 72-0251
FAX(0856) 72-0282


 


乙女峠の殉教者



 皆さんは「津和野」と聞かれたら、何を思い浮かべますか。そうです。山陰の小京都と呼ばれる津和野の美しい町並み、鯉のいる町、そして乙女畔のキリシタン殉教の地です。津和野町は山口県と島根県の県境の島根県側にある盆地で、町の中央に錦川が流れ、そこから引かれている掘り割りの水は冷たく、澄んで、丸々と太つた鯉が泳いでいます。中央の通りには和風民芸店、和菓子屋、造り酒屋などが並んでいます。その中でも、中心にあるのが津和野カトリック教会です。御聖堂には、いつでも入ることができ、「たたけよ、さらば開かれん」という聖書の言葉を思い出させてくれます。中は、畳敷きで、中央が板敷きになっています。この教会が1931年(昭6)に再建された現代の津和野カトリック教会です。

       私が今から語ろうとしているのは、この津和野で1868年から1872年の間に起こった尊くも悲しい殉教の物語です。実際に殉教が起こった場所は、この津和野教会ではなく、JR津和野駅から小さな谷川に沿って山を登って行ったところにある乙女峠のマリア聖堂のあたりです。徳川250年以上の厳しいキリシタン迫害を生き抜いた長崎浦上の信徒たちが、「浦上四番崩れ」という弾圧によって、津和野に流刑されてきました。当時、神道研究が盛んだった津和野では、神道による教化、改宗が試みられましたが、彼らの堅い信仰は揺るがず、ついに拷問による棄教が強要されるようになりました。

 雪深い津和野の乙女峠の一隅にある、氷の張った池に裸にされて投げ込まれるという拷問を受けたのは、病身の仙右衛門や甚三郎でした。また、安太郎は裸で雪の中の三尺牢(縦、横、奥行きが99センチメートルの立方体の牢屋) に入れられました。しかし彼は、毎晩12時頃になるとマリア様に似た女性が現れ、慰めを頂いていると言って、最後まで棄教しませんでした。

 マリア聖堂には、乙女峠での殉教の様子を物語るステンドグラスが8枚あります。表紙のカラー写真がそれです。現在の津和野の担当司祭である西山和男神父様は乙女峠を訪れる人々にこの8枚のステンドグラスを中心に殉教の物語をされています。このスライド一枚一枚に、尊く、悲しく、また許すことのできない残酷な行為が描かれています。たとえば、5歳の女の子もりちゃんに行った役人の拷問は、今でも私たちの胸を締めつけます。飢えに苦しんでいるもりちゃんに、役人はおいしいお菓子を見せて言いました。「食べてもいいけど、そのかわりにキリストは嫌いだと言いなさい」と。たった5歳の少女になんと残酷な質問でしょうか。それなのにもりちゃんは、「天国の味のほうがもっとおいしい」と答えました。このように答えさせたのは、いったい何の力だったのでしょうか。この8枚のステンドグラスのメッセージの一枚一枚を時を追って考察することによって、当時のキリシタンの信仰の強さを再認識し、現在に生かしたいと思います。また同時に、この殉教がいつまでも語り継がれることを心から願ってやみません。

 この乙女峠のマリア聖堂から山沿いに南西へと十字架の道行きがあります。この信心業でキリストの死を思い、その十字架上での死の行程を順を追って、14カ所で祈るものです。一留ごとに祈っていくと、やがて最終留に着きます。そこは「至福の園」と呼ばれ、津和野の殉教者たちの墓と十字架にかかったキリスト像があります。そこは、「千人塚」と言われていますが、それは歴史的な背景によるものです。ビリオン神父と殉教者の子孫は、殉教者のお骨を拾い集めて改めて墓を造り、碑を建てました。「至福の碑」があるのがそれです。そこは、人里離れ、訪ねる人も少ない寂しいところです。神様のことを考えるには最適な場所だと思います。