乙女峠での祈り

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島根県鹿足郡津和野町
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津和野カトリック教会
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乙女峠での祈り(2019/1)


 乙女峠は、津和野の城主の娘さんが不慮の事故にあってこの山の麓に埋葬されたことがきっかけで、この地域のひとびとが乙女山と呼んでおりました。「乙女峠」としてよく知られるようになったのは、長崎の浦上キリシタンの改宗説得から厳しい拷問、そして殉教者を出すまでに至った、禁教弾圧の歴史的事件にあると思います。マリア様出現をたまわった安太郎の話など、永井隆博士の「乙女峠」の物語を通してよく知られるようになりました。
 
 広島・津和野巡礼を通して私が感じたこと

          聖光学園(横浜) 中学1年 雨宮 陽


 私は今回の巡礼を通して、大きく分けて二つ感じたことが
ある。


 一つ目は、今私がいかに恵まれた環境にあるかというこ
とだ。これは、広島の平和記念資料館で強く感じた。資料
館をまわっていると、被爆した人たちの服などが展示されて
いるところがあった。主に私と同い年ぐらいの子の学生服
などが展示されていた。


 まず最初に飛び込んでくるのは、服についた血の跡や、
何かが貫通したような大きな穴。これを見るだけでも、原爆
や戦争がどのようなものかを物語っている。


 そしてもう一つ、あることに気づく。歳は同じはずなのに、
今私達が着ている学生服に比べ、展示されている学生服
は遥かに小さいのだ。おそらく戦時下で食べ物が少なく、栄
養が取れなかったためにここまで小さくなってしまったので
はないかと思う。被爆した学生の服からだけでも、彼らが戦
争の恐怖に怯え、どれほど飢えに苦しんでいたのかを私達
に教えている。これと私たちの暮らしを比べると、平成に生
まれた私達がいかに安全な環境に育ってきたかを痛感させ
られるのだ。わたしたちはその恵まれた環境に感謝し、戦
争が二度と起こらないよう努力すべきだと私は思った。


 二つ目は、私が今、どれだけ他人にすがっているかという
ことである。これは、津和野乙女峠で感じたことである。乙
女峠では狭い坂道を登りながら、イエス・キリスト、そして津
和野の殉教者たちがどのような道を歩み殉教していったか
を学べた。彼らは、決して譲れないもの、つまり信仰を守り
通すため、痛みや飢えなど計り知れない苦痛を自ら受け
た。キリスト、安太郎などがなぜ信仰を捨てることがなかっ
たのか、彼らには信仰を軸とした、強い信念があったから
だ。自分が絶対に信じられることを持っておくことで、自分
の外から何をされようと、守るべきものを守れるのだと私は
思う。


 対して私はどうだろうか、他人の意見に付和雷同し、いざ
一人で行動するときには、何もできないのではないだろう
か。わたしたちは、この学生という猶予期間のうちに、信念
の軸となるものを見出し、将来社会に出ても強い人間にな
れるよう、努めるべきだと私は思った。


 この巡礼を通して私は、キリスト教を学ぶだけでなく、人と
してどのようになるべきかを、はっきり痛感させられた旅と
なった。これまでの自分の行動を改め、人に尽くせる、そん
な人間になりたい。

人の救いをもたらす恵みとなりました。信仰者の証しは神の
国の完成に貢献するものと言えます。