津和野藩参勤交代道散策

   津和野野藩参勤交代の道は津和野と現在の広島県廿日市市宮内までを結ぶ約70kmほどの街道を言い、津和野をはじめ沿線町村の産物が行き交い、また文化の交流・発展にも重要な役割を果たした街道です。
 徳川幕府の武家諸法度の制度により参勤交代が行われるようになり、津和野から江戸まで247里、約1ヶ月の行程で津和野を4月に出発してその年は江戸に滞在し、翌年7月に江戸を出発して津和野に帰国しました。この繰り返しで参勤交代は1635年から1858年まで続きました。これにより街道は整備された。参勤交代はこの街道を通り廿日市から船で大阪へさらに東海道を江戸へ向かったと言われています。

 またそのルート等に関しても書籍により少しずつ違いがあるようです。また230年間も続いた参勤交代の間、そのルートも変化しないはずがありません。

街道の呼び方も色々で「はつかいち道」・「廿日市街道」、廿日市からは「つわの道」・「津和野街道」などと言われていたようです。
これはその街道を参勤交代の道順で散策したレポートです。コメント等に付いては筆者の偏見(^_^;)で書かれています。
参考文献 津和野町史・柿木村誌・六日市町史
津和野〜笹山〜唐人屋 津和野亀井家藩邸跡から町内を通り、南谷を経て笹山地区に入り、茶屋で休憩、籠立て、杉ヶ峠を越え唐人屋に入る。
福川〜柿木〜伊豆師 唐人屋を過ぎ折橋を経て福川にはいる。三之瀬は長崎新道にも続く分岐。柿木の渡し場、掛棚を通り月瀬へ
大野原伊豆師付近まで・・。
長崎新道 江戸時代の初期約80年間は柿木を通らず、三之瀬から険しい山越えで抜月に出た。
田丸〜六日市〜星坂〜大原〜生山 難所だった田丸の岩壁、七日市の道標、本陣跡、星坂の番所跡、峠を越えて宇佐郷に降りる。羅漢山へ登っていくと二日目の本陣となる大原に到着。生山峠を越える。

廿日市(御舟屋敷周辺

津和野藩が借り受け築いた舟屋敷周辺