今日のみ言葉     (2025年8月31日)    


謙遜な人(年間第22主日)


 だれでも高ぶるものは低くされ、へりくだる者は高められる


 今日の福音は私たちも体験する分かりやすいたとえが語られています。誰しも傲慢を避け、謙遜でありたいと望みます。


 イエスやマリアにその模範を見出します。

イエスはこう言われた。

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」              (マタイ11:25−30)


エリザベトを訪問したマリアの賛歌

 マリアは言った。

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、・・・・・ 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。・・・・・ 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」                  (ルカ1:46−53)


 傲慢や謙遜は人間関係だけのことではなく、神さまとの関係において考えなければならないと思います。

 今日の第一朗読のシラ書(旧約聖書シラ3章)から学びます。

 「自らへりくだれ、そうすれば主は喜んで受け入れて下さる。偉くなればなるほど、自らへりくだれ」

 

 「キリストにならいて」(トマス・ア・ケンピス)の一節を思い出しました。

 「自分を人よりも勝っていると思うな。おそらく神のみ前では劣っていると見えよう。神のみが人間の心を知っておられる。自分の善い行いを誇るな。・・・もし何か良い性質をもっているとしたら、他人はさらに多く持っていることを信じて、謙遜な気持ちを失うな。」  

                              (第1篇7章3より)