乙女峠記念聖堂 マリア堂
昭和二十六年(1951)パウロ・ネーベル神父により建設
三尺牢趾 明治二年(1869)一月、聖母出現の場
旧光琳寺庫裏・台所流し場 桶
同 古井戸
最初に建てた殉教者の記念碑 大正十一年(1922)ビリヨン神父建つ
キリシタン氷責めの池(一部)
殉教百年記念碑 昭和四十三年(1968)建つ
織部灯籠(俗名 キリシタン灯籠と呼ぶ)
キリシタン牢舎趾
光琳寺本堂趾
宝暦頃(1704―)現在の地に移され、慶応三年(1867)、永明寺に合併、翌明治元年六月、長崎浦上の異宗徒御預所となる
明治四年(1871)六月、廃藩置県を経て同六年(1873)、宗教解放後水田となる
守山祐次郎少年 明治四年(1871)十一月、殉教の十字架趾