殉教者のお墓[至福の碑]
殉教者の遺骨が埋葬された墓所
殉教者の遺骨は千人塚と呼ばれるあたりに仮埋葬されていましたが、明治24年にビリオン神父さまと殉教者の遺族・関係者によって拾い集められ、改めて埋葬され、「至福の碑」が建てられました。その脇には、復活した「十字架のキリスト」が建てられています。この場所は、「十字架の道行」の最終留にあたり、しばし祈り、瞑想する場として、「至福の園」と称することにしたいと思います。
*「千人塚」とは、この隣にある「南無地蔵大菩薩」の碑のある塚のことです。天保13年の大飢饉で大勢の人が亡くなり、ここに埋葬し、供養されました。
聖ユスチノ(西暦130年)は、「殉教者の血は奉教人の種である」と言っています。聖書のヨハネ福音記者のことばにも、「一粒の麦、地に落ちで死ねば多くの実を結ぶ」とあります。
キリストの跡に続く多くの殉教者のお陰で信仰は守られています。
信仰の遺産を大事にして、この命の炎を決して絶やさないようにしたいと思います。
[至福の碑]
表面: 為義而被害者真福
裏面:
長崎浦上村天主教信徒
明治二年十一月為主耶
蘇之御名被捕受呵責
而被促改教其間醸疾病
遂捧其生命者三十又二人
其苗裔建之以為記念
明治二十四年八月
この碑の前に立つと、殉教者の信仰の試練の中にありながら自己奉献に貫かれた、純粋で素直な魂を感じ取ることができます。決して高ぶらない、自分の弱さを認め、ただこの世の旅路の終わりにある、パライソの夜明けを待ち望んでいる姿です。
天の父はかれらをいつくしみ深く抱きしめ、慰めてくださったにちがいありません。
この「至福の碑」が、訪れる人の心の安らぎの場となるように祈ります。ここが、安らぎと憩い、新たな命の源泉となるように祈ります。祝福の源泉となるように祈ります。
再出発の場となるように祈ります。